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天使に粗相はできかねる 第一話 「天使」


-1-
「案内人が、ほしいのですが」

小さな村の祝祭日。
色とりどりの紙吹雪、藁を編んでつくった動物の像。
豪華ではないが知恵を絞った工芸品で村は彩られている。
子どもたちには動物を模した水笛、菓子が振る舞われて、
広場では有志の楽器隊が牧歌的な伴奏を奏でている。
子供たちの笑い声が街に花を添えていた。

しかし、それもさっきまでのことだ。
つい先ほどまで穏やかだった村の一角はぴたりと音を止め、
静寂の中には微妙な、野暮ったい緊張感が祭を遮っていた。
ひとりの少女をぐるりと囲むように人垣ができている。

さらにその中央、人垣の群れから三人の村の女性が少女に問う。
「話を整理するわね、お嬢ちゃん。」
「ええ。かまいませんよ。」

肉屋の女主人が少女に問う。
「あなたは天使なのね?」
「はい」

弁護士の妻が少女に問う。
「目的はこの村の視察ですって?」
「そうです」

石細工の妻が少女に問う。
「天使の名前を騙ることは、禁じられているのよ。
 それは分かってる?」
「もちろんです」

天使を名乗る少女は言い淀むことなく朗らかに答え、
生花を添えるようにそっと、こう付け加えた。

「それから、お忘れなく。
 この村の案内に失敗したと判断した時は、
 その案内人の魂をわたしが預かります。」

大人たちの苦笑混じりの笑い声が沸き起こる。
こんな祝祭日にやってきた見知らぬ少女を、
大人をからかう嘘つきの子供と判断していた。

年の頃は16、7くらいだろうか。
豊かな髪をゆるやかにな三つ編みに束ね、
白を基調にした服に身をつつんでいた。
ぴんと伸びた背筋、臍下で揃えるように重ねられた指先に、
澄んだ水がゆき渡っているような凛とした気品がある。

祝祭になぞらえた嘘をつきに来たのなら、もってこいの日だ。
けれども、天使を自称するなど気が狂っている。
どう収めたものかと村人が思い始めた頃、それは到着した。

「待たせたな。
 天使様というのは、こちらか?」

-2-
少女を遠巻きに囲む人の群れから、
村長が進み出て、その役割を示す。
村長はあまり村人と積極的に関わろうとしない。
今日も付人が慌てて村長の部屋を訪ねなければ、
彼はこの祭に一切関わりはしなかっただろう。
有能ではあったが、人嫌いの気があった。

それでも彼が呼ばれたのは、
この面倒ごとを丸く収めるためだ。

村長の天使様、という言い方にはやや含みがあり、
村人の嘲笑に似た笑い声がふたたび沸き起こった。
こんな子供に似つかわしくない仰々しい呼び方に。

「ええ、こんにちは。
 あなたが案内してくださるのでしょうか?」
「いえ、いえ、いえ。お待ちください。
 お話を整理させていただきましょう。
 われわれの中から案内人をひとり選び、
 この三日間、あなたは祭を見て回る、
 それにあなたが満足できなければ…、」
「魂を預かる、です。」
「それでは、残念ながら私は役にも及びませんよ。
 政でくたくたの、煙草臭い老人の魂なんかはね。」

人垣から笑いが漏れる。

「万が一お持ち帰りになることがあっては、
 われわれは天に顔向けができませんから。
 もっと清くて柔らかくて甘い魂がよいでしょう。
 いえ、万が一に備えてね。
 いま、適任を呼んでおります」
「適任、ですって?」

薄ら笑いを浮かべて村長が言い放つ。
あきらかに天の使いを敬う態度ではないことは
誰の目にも明らかだったが、
天使を名乗る少女は気を悪くする様子もなければ、
かといって怖気付く様子もなく村長の言葉を待つ。
この年ごろの少女にしては、肝が据わっている。

自分の威厳が効かない相手というのは、…
しかもそれが歳下の子どもとあっては、
あまり心地の良いものではない。
ばつが悪そうに視線を逸らし、
苛立った様子で付人に尋ねる。

「おい、まだか?」

村長にじろりと睨まれた役人は、慌てて後方を確認した。
「適任」を呼びに行ったはずのもう一人の役人が、
人垣のいちばん後ろに到着しているかと思えば、
いつのまにか到着し人垣の中腹を指差している。
時おり「何か」にぶつかられた大人が小さく声を上げ、
ようやく初めてそこに「誰か」がいることに気づく。

人垣に埋もれてしまうほど背の小さい「適任」は、
やっと人垣をかき分けて中央に吐き出された。

「すみません、遅くなりました。」

年の頃は10歳前後。
箒を持ったままの少年は、明らかに動揺していて、
お世辞にも、魂をかけて村の案内を務められるほど
しっかりしているようには見えない。

「話は聞いているだろう?
 しっかり案内するように」

村長は、これで収まったと言わんばかりに少年の肩に両手を置いて微笑んだ。
自分の圧が効く人間は安心する、というのが、
だれの目にも愚かなまでに透けて見えていた。

「…はい」

少年は顔を一瞬不安げに曇らせたが、
天使を名乗る少女に向き直る。

「さあ、天使様。こちらが適任です。」

村長はもうこの時すでに部屋に戻って葉巻を吸うこと、
それからコーヒーを濃いめに淹れることを考えていた。
厄介払いが手軽に済むほど気分の良いことはない。
ついでと言わんばかりに、村長が少年の肩を叩く。

「しっかり務めろよ。
 天使に粗相はできかねる」

少年の瞳は不安に揺れ、天使を名乗る少女は薄く微笑んでいた。

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