タイトル未定a(6)
ある朝目が覚めると、お母さんが私に言った。
「学校も塾も語学教室も、行っても行かなくても良くなったの。さやかちゃんはどうしたい?」
昨日までは休みなく通っていたアレコレを急に取り上げられて、私は少し驚いた。
「……たまに、行きたい」
嘘だ。本当はどれも全部行きたかった。だってそこにはお母さんの影しかないから。でも、お母さんは行って欲しくない、って思ってる。だから…
「そう。じゃあそうしましょう。さやかちゃんが行きたい時に、行きたい所にだけ行きましょう」
百合が咲いた。
お母さんの笑顔は百合の花に似ている。大きくて、美しくて、ひどく芳しい。遠くにいてもわかる。おねえちゃんの笑顔はクレマチスに似ている。ツルの先に凛として咲く。どちらも本物を見たことは無い。百合の香りも合成データで知るだけで…。
「……あれ?」
覚醒した。また白昼夢を見ていた。最近ひどく夢うつつだ。夜も寝た気がしないし、白昼夢もしょっちゅう見る…なんでだろう?いつから?半年くらい前?
適温・適光に管理された私の部屋はまさに温室で、私は一日の多くをその中で過ごす。冬は暖かく、夏は涼しい。去年の冬は、暖房を効かせすぎだのなんだのってよく怒られたけれど、今は何も言われない。今年は去年より寒いもんね。
フラフラと部屋を出て、リビングに向かう。佐々木さんが用意してくれている謎のお茶を飲む。そばにあるカップを、佐々木さんが用意してくれた布巾で拭いた。いつも通り。薬の色と同じで黄緑。薬の色と一緒に変わっていく。今は緑茶みたいな色だからいいけど、薬が薄紫だった頃は辛かった。紫色の飲み物ってなんだろうって。今はそれも酷く遠く感じる。白昼夢を見たあとは必ず飲むようにと言われている。朝の錠剤と夢うつつの後のお茶。これが生活の全て。去年はもっと、何か色々とすることがあった気がするのに、なんだかひどく暇だ。なんでだろう。わからない。
「紗也香、こぼれてる」
「え?あ、ごめん…」
お姉ちゃんがいた。全然気づかなかった。
「もう。」
零したお茶を足してくれる。
「……お姉ちゃん、仕事は?」
今日の撮影は終わったの、とこちらを見ずに告げる。昔は仲良しだったのにな。
「紗也香、この布巾使った?」
「…?さっき、カップ拭いたよ」
「そう…」
洗濯に出しておくから、と告げた姉はシャワー室に向かった。いつからこんな風になっちゃったんだっけ…今何時…?もう20時…あぁ、それにしても最近、ぼーっとしてる時間が長い…。
◇◆◇◆◇
帰宅。
「ただいまー。さやかー?いるのー?」
リビングのモニターで確認すると、さやかの部屋のランプが在室を告げるグリーンに光っていた。ブルーではないから起きているのだろう。物音がしないのはきっとぼんやりしているから…。
あの日以来、さやかはある特定のものしか食べられなくなった。それは、フルーツと水しか摂らない私より残酷だ。この家でまともな食事をとるのは、今はママしかいない。
「ママは太らなくていいなぁ…」
ぼんやり思う。私はダメ。フルーツと水以外のものを食べると、すぐに太るし体調を崩す。お菓子なんてもってのほか。多分、油がダメなんだと思う。今はカフェインもダメだから、紅茶もコーヒーダメ。とにかく、フルーツと水。まぁいいんだけど。
ピッピピ
リビングの電子ロックが開いた。さやかだ。ぼんやりして、たどたどしい足取り。お茶かな。さやかの主食はこのお茶。紫。薬の色と同じペースで変わっていくけれど、補色。紫色のお茶なんて、なかなか飲みにくいだろうに…。
「紗也香、こぼれてる」
「え?あ、ごめん…」
「もう」
注ぎ足して、テーブルをふく。布巾が紫色に染まる。毒が染み込むように…。
「……お姉ちゃん、仕事は?」
「今日はもう終わったの」
布巾に染み込んだ紫色が、急に赤く色が変わり始めた。なにこれ。なにこれなにこれなにこれ。え?
「紗也香、この布巾使った?」
「…?さっき、カップ拭いたよ」
これでカップを拭いたですって?
「洗濯に出しておくから」
私はシャワー室に向かう。何かがおかしい。