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東北の10年間と私の4年間


「震災の話をするのはもう古いんじゃないか」

これは4年前、東北地方の大学の後期試験を受ける前に面接練習をした時、ある先生に言われた言葉。

この大学に行きたい明確な理由がなくて
(第一志望以外はもはや資格がとれれば正直どこでも良かった)
それでも捻り出した、震災を自分の目で見て感じたいという本気の理由。
結局、面接本番では先生からの言葉が引っ掛かり、(確かにそれだと東北の大学ならどこでもいい感も出るなとも思った)この本気の理由は言わず、適当にカリキュラムが〜とか何とか言って無事合格した。(奇跡!)

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時は流れ、入試を受けた4年後。
引越しが4日後に迫った2021年2月13日夜23時。
震度5強の揺れ。未だかつて無い恐怖。
どうしていいのか分からず、オロオロしていた私にすぐに連絡をくれた大学の何人かの友だち。
何をすればいいのかについて2つ(しかもみんな同じ)の指示をすぐにしてくれた。
その指示がなければ全く何をすべきか分からなかった自分。

この出来事から私は4年間東北にいたくらいでは全く震災を、あの東日本大震災を理解できないんだな、と改めて思い知った。

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私の大学は半分は実家から通い、全学生の東北民の割合は8~9割である。
東北民でない私は1年生の頃からずっとアウェイ感を感じていた。
授業で震災当時の話をする機会も何度かあったが、何しろ経験が違いすぎる。
周りの友達は当時小学校6年生。卒業式ができなかった子だっている。
あの寒い冬の東北を、多少の差はあれど、電気なし、風呂なしで乗り切った人たちだ。
片や私は、その日も翌日も、当たり前のように学校に行き、寒いと文句を言いながら温かいご飯を食べ、お風呂に入っていた。

この経験の差から、友達から震災の話をされるとどのように反応すればいいのか、困ってしまう。
東北の人は、ただ、経験したことを、淡々と話す。
表上には悲しさや辛さは見えてこない。
「震災の話を聞いたときに、どのように返せばいいか分からなくて、困ってしまう」
と友達に伝えたら、「それでいいんだよ」と言われた。
なにがいいのか私には分からなかった。

私はこの4年間で全ては理解できないことをことあるごとに知った。
当たり前だ、と思うかもしれない。
当たり前だと私も思う。でも想像以上に理解できないことがあると身をもって感じた。
石巻の、津波「到達ライン」の文字を、不自然に新しくなった町を、見るたび心が痛む。



でも結局私は、東北の人から見たら「部外者」なんだと思う。
その事実を認めたくない時期もあったが、それでいいと、今は思う。

なぜなら東日本大震災の「被災者」というくくりだった人の中に「知り合い」ができ、「友達」ができ、「馴染みの店」が加わった。
それだけでも、あの震災との、東北の人との距離は縮まった。

次、いつ来るか分からない震災、どこで起こるか分からない自然災害
それらが来たときにどのくらい他人事ではなく、自分事と考えられるだろうか。それが重要だと思う。
もし東北で地震によって被害が出たとしたら、その被災者は「被災者」ではなく、「知り合い」であり「友達」であり、「馴染みの店」だ。

どこで被害が出たとしても、いつでもそう感じられる感覚があれば、きっともっと、助け合える。たとえ、全てを理解できなくても。
これが、4年間かけて考え着いた私の災害との向き合い方。







震災の話をするのは、本当にもう古いのだろうか。
そんなことはない。


なぜなら私はまだあの震災のすべてを知らないから。
まだ、あの震災の余震は続いているのだから。
まだ、4年前と同じようにこの目で、この五感で震災を感じたいと思っているから。

きっとまだ東北の人が言いたいことがある、その声に耳を傾けようと思う。



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