違和感を覚える瞬間と、その行き着く先

まずは新年のご挨拶を申し上げます。
昨年は「不易流行」へのご愛顧を賜りまして、心より感謝申し上げます。
お客様に喜んでいただける企画を生み出していかれるように、チームとして日々新たな着想を得ながら議論を続けて参ります。
引き続きまして、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

これを書いているのは令和4年1月6日なのですが、今日は関東地方が雪でして、私が今いる逗子のカフェのテラスには徐々に雪がつもり始めています。
ここのところは対面での打合せも多くなって参りました。
「不易流行」はメンバーの居住地がバラバラなのでzoomやスプレッドシートを活用しての共有・議論が多いのですが、やはり対面でのコミュニケーションから生まれるものも大切ですね。
併せて、世の中がどのように動いているか肌を持って感じることも重視しております。
というわけで、久しぶりに海沿いのお洒落なカフェで窓の向こうを見回しながらキーボードを叩いております。
まだ対面や劇場公演など、オンラインに対比させてのワードが定着していないようではありますが、私の周りでは「リアル」や「フィジカル」と表現している方が多いので、ここでは「リアル」と呼ぶ事にします。

今回は「違和感」についてのお話をいたします。
「リアル」でのコミュニケーションがもたらす最たるものは「違和感」だと思っております。
それは微細なものになれば顕著になります。
「はっきりと原因を認識するまでには至らないが、なんとなくしっくりこない感覚」が「違和感」だとすると、これは慣れや常日頃意識を張り巡らせることから感じられるズレだと言えます。

私は特にここ最近、この「違和感」こそがビジネスを作る上で最も重要なものとして捉えています。
打合せの場では、全てを言葉にしてハッキリと意思を表す人ばかりではありません。
当然ながら向き不向きもありますし、熱量の違いもあります。
これらの要素を感じ取るために打合せの場をセッティングすると言っても過言ではないと思います。
多くの場合、実務を進めていくのは各個人作業でありますから、打合せの場では以下のようなことを掴むように心がけています。
・発言に対しての反応速度や姿勢など(いわゆるニュアンス)から感じ取れるチームとしての現在地の確認
・より前向きに、心が弾む(笑顔で話せる)関係性の構築
・各人のクセ(目線、表情、言葉運び)や、言外行動(言葉にはしないが意図が感じ取れる各行為)の認識
改めて並べてみると誰しもが無意識で行っていることばかりですが、これらを意識的に行うことにより、ふとした瞬間の「あれ?」という感覚が得られるのだと思います。
また、回数や時間を重ねて馴染む習慣を、早めに得られるようにするということでもあります。

「リアル」での打合せは、これらチーム機能を円滑にするための確認作業においては、非常に効率的なように思えます。
(オンライン上でも出来るはずですが、不思議なものでそれをしようとするとお互いの負荷が大きくなるように感じました)

一方で「不易流行」メンバー間はほぼ全て本音で話せる関係となっている(これも決めつけてはいけないですね!)ので、「こうしたら良いと思う」「これは誰々と連携したら上手くいくと思う」など建設的な議論が高速で展開されています。
これは「不易流行」というプロジェクトを推進する上で、かなり多くのタスクを共有して議論を重ねてきたからであり、全ての関係者と出来ることではありません。レベニューシェアで運営をしていることにも関係しています。

「不易流行」各メンバーは役割ごとの分科会におけるチームリーダーでありますから、分科会で進める実務の精度を上げることが「不易流行」チームが魅力的なコンテンツを生み出すために不可欠となります。
その前提となるのは各メンバーが「違和感」に敏感でいることであり、これこそがチームワークの強みであると思っています。
私としては「違和感」によってチーム運営の確認作業ができますので、議題ごとにチームメンバーの誰かが「違和感」を覚えて反論を展開することを常に望んでいます。
たとえ「今更?」というタイミングであっても「沈吟して嘆息して、千思万考、審念熟慮」することは「不易流行」では是としています。(「始めちゃったんだからやるしかない」とはならないようにするということです)
そうやって議論を積み重ね、「何のためにこれをやるのか?」という意識を常に共有して運営しております。

また、「違和感」の効用は面白さを作ることにも繋がります。
「なぜこのタイミングでこんなことをするのだろう?」という引っ掛かりが解明されたときの面白さ、馴染みとは違うことによる面白さなど、様々です。

「違和感」の効用は他にもたくさんあると感じています。
例えば、世の中で流行っていること、是とされていることのなかにも、「本当にそのとおりであろうか?」と思うものも当然ですが多くあります。
そのような、ふとした時に訪れる「違和感」によって、流行っていたり良いとされていることの本質が伺い知ることもできますし、心のなかに生まれたひっかかりが新たな発見をもたらしてくれます。
これは決して世に溢れる事物それぞれを良悪高低に判別することではなくて、「今あるがままを見つめる」ことと「自分のなかの尺度」を照らし合わせることであり、ドラッカーの言うところのフィードバックそのものであると思います。
言い換えれば、日々のなかに「違和感」を持てないのであれば、自分の心が落ち着いておらず「在りたい姿」がぼんやりとしている状態であると自戒するよう心がけております。
(「在りたい姿がなくてはダメなのか?」「感情の赴くままただ生きているだけではダメなのか?」という話にも繋がってしまいますが、これは改めて読書などを通じて自分のなかで組み立ててみることにします。)


今回は、
「違和感」を大切にする。
そのためには、普段のルーティンに意識を張り巡らせる。
「違和感」は現状を見つめるために必要であり、ひいては面白さを作る上でも重要である。
ということについて、お話をいたしました。

次回からは数回にわたり、
不易流行運営のヒントとなっている言葉
をご紹介いたします。

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