『生きてくしかないんで』

 ニリー、ニリル、シニニリル、面倒臭さがポケモンみたいに進化していく。そんで世の中そう上手くいかないので、進化によって強さを手に入れた代わりに、可愛さだとか愛嬌を失ってしまうこともよくある。さりとて私には強さも愛嬌も、それを下支えする心強さも欠けているようなので、何もかもやり通せない。小学校の頃、調子良く手を付けた全50ページのドリルは12ページ、交換日記は5ラリー、琉舞の習い事は2ヶ月しか続かなかった。ライフステージに応じて似た感じの投げっぱなしが発生している。中途半端の製造元は、紛れもなく私の根腐れした性分によるものだが。
 ライブ前の待ち時間、だいたい私はステッカーまみれの壁を見つめながらこんなことばかり考えている。いつだって逃げ出したい。さっさと控室の窓を割って飛び出したい。もしくは堂々と正面玄関から出てって、さも外で知り合いが待っている風に振る舞って、そのまま国際通りと名付けられた街を何も考えずに歩いていきたい。そして歩き疲れたらインシャラーでメビウスくゆらせながら2、3時間適当に潰したくなる。アイリッシュコーヒーでも飲みながら。
 現実はせいぜい便所で吐くぐらい。せめて逃げる勇気ぐらいあればもっといい線イケていたに違いない。ザ・人生。私は5%ぐらいの勇気しか持ち合わせてないので、常に床が濡れているライブハウスの便所で昼に食べたジミーのチェリーパイを排水溝送りにすることしかできない。いつだって私は無能で、それでも図々しく慎ましく生きていくしかない。アイドル稼業で人前に立っているのはかけなしの5%が引き起こしたエラーなので許してほしい、許してくれる方だけでいいので。
 ご当地アイドルユニット・ドルフィンハイビスカス、略してドルハイって呼ばれてる私たちは四人組。それ一本で喰えるわけもないから各々コンカフェとかアパレルとか謎の日雇いとかでバイトしながら糊口をしのいでいる。普通に三食オートミールの日とかもある。ちなみに半年前までいたもう一人のメンバーは、チラの良さを買われて内地の事務所に引き抜かれた。当時の芸名・パイナップル愛海なんてのはとうに捨てて、いまじゃÆ=MÏ(発音自体は本名のアミと同じ)を名乗って雑誌のカバー。同年代の沖縄出身タレントのトップランカーだ。なるほど愛海以外そこまで万人受けする顔立ちじゃないし、残された私ら平均年齢24歳、若さを売るにはそろそろ厳しくなってきた。そこら辺もニリー、真剣によ。
 結局チェリーパイを吐くのはもったいないと感じて、楽屋に差し入れられていた経口補水液をゴボゴボと2本も飲み干した。
「あんたそんなに飲んで動けんの?」
リーダーの星砂ヒカリが馬鹿にした口調で尋ねてきた。星砂ヒカリは根が真面目な性分らしく小学校の頃は級長とかやってたらしい。道路も横断歩道のあるところでしか渡らない。
「余裕余裕。シモーネ・バイルズ並みに動き回れっから」
「ハッ、誰よ」
「調べれよ」
 星砂ヒカリは真面目ではあるが向上心や好奇心のないタイプの人間だ。私の見立てではたぶん人とか規則とかに支配されてた方が落ち着くんだと思う。わかるぜ、楽だもんなそれ。彼女はそんな性分だからか、わかりやすく「偉い人」に弱いみたいで、内地から来た自称音楽プロデューサーみたいな奴とかに言い寄られては若狭に消えていったところを何度か見た。その生き方も悪くはないと思う。幸せって人それぞれだもんな。勇気でいえば60%ぐらいは必要な生き方だし。この勇気っていうのは100%あれば忍者にだってなれる。私の中学生の頃の愛読書は乱太郎×きり丸カップリングの同人誌で、確か『100%本気汁』というタイトルだった。私もせめて50%ぐらいは勇気と本気を出さないと、この厳しい厳しい生き馬の目を抜いて刺し身で食べる世界を生き抜いていけないのだ。
「ところでヒカリさんや、タバコある?」
「ねぇし。アイドルなんだから自重しれよ」
 やっぱり真面目さんだ。たかだか喫煙で目くじら立てるなよ。
 ライブに向けてエンジンが掛かってきた。私のアイドル活動のモチベーションは怒りしかない。いつかはステージ上でヒカリをぶん殴りたい。素手でも椅子でもマイクでも。
 殴ってそのままステージから客席に飛んでもみくちゃにされながら店をあとにして、夜の街を駆け抜けたい。歩道を塞ぎながらダラダラ歩いてる観光客や酔っぱらいを蹴り飛ばして、パレット前に停まってるパトカーに糞を投げつけたい。悪豚糞や。
「ほらほら柔軟体操するよ」
 やる気を滾らす私を知ってか知らずか、オリジナルメンバーの一人であるヒートゥーUが体育の授業前みたいにみんなを集める。ドルハイ・アッセンブル。狭くて湿った楽屋の一角で車座になる。
「ちゃんと伸ばさないと怪我するからね」
 それは間違いではない。何事も準備を怠ってはいけない。オリジナルメンバーというだけあって責任感がある。ドルハイは元々ヒートゥーUと赤花サキコのユニットだった。この二人だけはスクール?養成所?みたいなところを出ていて、表に出る人間としての基礎はあるように思える。まず腹から声が出てるし、裏でもリズムが取れてる。全ては地道な基礎の賜物だ。それ故に柔軟体操も欠かさないのだ。しかし努力の成果を発表して人が集まるのは町内会の出し物までで、つまるところ二人組では芽が出ず、解散するかメンバーを増やすか迫られた。悩みに悩んで、占い師にまで相談して(深夜の与儀公園にいる「寄宮の母」というノロの家系を謳った奴)、ドルハイはメンバー募集に踏み切った。その割に、まずはじめに声を掛けられたのは街のゴロツキみたいな私だった。ちょうど一年前半、栄町のガールズバーで客に酒をねだっては吐いてはを繰り返していた私にドルハイのマネージャーが声を掛けてきた。絶対地下風俗とかに売られると思った。
「けど私なんもできませんけど」
「歌や踊りどころか家事全般できなくて鶴も折れない私なんか人前に出しても金になりませんけど」
「酒でむくんで吐くのと眠剤を飲むことしか普段やってませんけど」
 と自己批判しながらお断りを入れるのが虚しくなった。まぁ三顧の礼ってやつ、ライブのチケットとか再生数三桁のライブ動画とかを見せてきながら、熱心なスカウトに折れた。
前後して星砂ヒカリとパイナップル愛美も加入するのだが、どうにも愛美に関しては「元沖縄の地下アイドル」という箔付けのためだけに在籍させられていたっぽい。在籍晩年はライブも出んかったし。星砂ヒカリに関しては別のアイドルユニットを首になったところを拾ってきたらしい。
「ちゃんとお腹の奥まで息を吸って」
 ヒートゥーUは本当に部活のキャプテンみたい。深呼吸をしただけで私はむせてしまった。足首、太もも、股関節、と伸ばす度に筋がピキッとなる。私は無事にステージまでたどり着けるのか。肉離れで負傷退場とかしないだろうか。経口補水液が喉の浅いところまで逆流してくる。

 私は2曲目で吐いた。無慈悲な吐瀉物を最前列のお客様にぶちかまして差し上げた。お客様は一瞬核戦争前夜のような表情を見せたが、周りの盛り上がりに流されてすぐさま笑顔を作って飛び跳ね始めた。
「今日マジヤバイ、マジヤバイ」と前列のお客様たちは自分に言い聞かせるように叫んで、中列のお客様が速記者のようにその叫びを逐一SNSに投稿している。後列は特に盛り上がってない。たぶん別の演者のファンなのだろう。
「ユッカヌヒースペシャルライブ」にはドルハイ以外にもアイドルが2組、バンドが2組出演している。司会は地元の芸人だ。みんな拙くて、そのくせモテようとか儲けようとか浅ましさを心の底に抱えているから、無理が祟って壊れてしまう。私はあらかじめ壊れたフリをしておいて、本当に壊れてしまった時の衝撃を少しでも和らげようとしている。いやしかし「実はまとも」なんて思い込んでも無理があるな。砕いた睡眠薬を鼻から吸って、口からは高濃度チューハイを接種して、ステージで嘔吐する人間がもつまともさとは。どうしてこうなった。小学校の頃とかは無邪気にカエルを校庭の蛇口に接続して破裂させるような快活な人間だったではないか。中学校の頃だってセックスしてお金をもらったのは1回しかないし、高校はきちんと毎日保健室を経由して通っていたではないか。ギリギリのところでまとも界隈に踏みとどまっていたと思うんだが。
「チル、もっとゲロくれ~」
 野太い、ちょけた色合いの声援で私は反省会マイセルフから呼び戻される。ああ、一度こうやって表舞台に出てしまうと、逃げられる場所が減るな、嫌だな、最後はミザリーみたいなファンに足を砕かれるのかな。
 最初は本当にしょうもなさ過ぎてドルハイにファンなんて付かなかった。私なんて特に踊れない歌えない愛嬌も度胸もないの四重苦で、唯一の取り柄に転じたのは流されやすい軸のない性根。一応マネージャーは「アル中のシンシア」って風に多少顔立ちを褒めてくれたけど。
 売れない私たちはお通夜みたいな月一定例ミーティングを開いた。ピザを食べながら、私たちとマネージャー、たまに来る訳知り顔の自称プロデューサーで無い頭をひねった。マネージャーの悪ふざけや自称プロデューサーのセクハラまがいな発案など紆余曲折を経て「21世紀のコンディショングリーン」を掲げることになった私たちは、ステージで血糊を浴びたり、焼いたワニの脚を食べたり、吐いたり、吸ったり、なんかそれっぽいパフォーマンスをして頭のどうかしたファン層を徐々に取り込むことができた。ファンからは久茂地川で釣れた鮫や名護から取り寄せたダチョウのゆで卵を差し入れられたこともある。なので私の胃を経由した経口補水液を浴びるぐらいは彼らにとって大したことではない。私は吐いた後もヨダレを垂らしながら名付けようのないステップを踏み、「死ねゲレンども」とか「アンマーファッカー」とか適当に叫び、間奏中に星砂ヒカリの臀部を蹴飛ばした。バランスを崩したヒカリは客席に落ちたが、お客様たちは慣れた手付きでキャッチして、そのまま胴上げが始まった。ペナントレースを制した監督みたいに高々と、5回は舞い上がる星砂ヒカリ。

「てめぇ、調子のってんじゃねえぞ」
 ヒカリのセリフも形相も女子プロレスラー染みていた。そして掌底で3発殴られた。ステージならまだしも舞台袖で殴られるのはマジシケる。そんなのタダの暴力じゃん。
「はいはい、ごめんごめん。だって盛り上がると思って」
 私はわざと怒りに油を注ぐような態度を取った。
「はぁ、客席落ちんのはあんたの約割でしょ、それぐらいしかできないんだから」
 これもまた、侮蔑の眼差し、と台本に書かれているかのような大仰な仕草と表情をヒカリは見せる。
「まぁまぁ、お互い言いたいことはあると思うけど、反省会は全部終わってからさ、ね」
 古株の赤花サキコが仲介に入ってきた。そういえばサキコと今日話したのこれが初めてだな。良い人なんだけどな、サキコ。メンバーの間に入ったり、ライブハウスの人とコミュニケーション取ったり、会報誌作ったり、マネージャーよりマネージャーしてて大変そうなんだよな。自称マネージャーは私が掌底を食らった時も横でニヤニヤしているだけだった。ドルハイを巡る善悪があるとするならば、諸悪の根源はこいつだ。2000年代にちょっと売れたバンドマンらしい。女関係でごたついて干されて、2013年からアイドルプロデュース業に手を出し始めたらしい。ドルハイは2組目のユニットだ。
「はいはい、そろそろ次の出番だよ」
 マネージャーが手を叩きながら私たちに指示する。何だ偉そうに。今回のライブは2曲やったら別のグループに交代して、また2曲やるというスケジューリングだった。アイドルステージの前にはバンドのライブがあった。
「ちょっと楽屋に忘れ物」
 もうシラフじゃやってられないので、イキガからもらった気分の跳ね上がるポカリを飲んで、次の曲あたりで曲がってくるようにした。ライフ・イズ・ドゥーカッティシェ。
一口で飲み干すと次の曲『私を愛したスッパイマン』のイントロが聞こえてきた。完全にシニニリルだ。タイプはどく・じめん。特性はなまけ。一回動いたら一回休まないといけない。私はイーヤサッサーと気合を入れて立ち上がる。足取りよろよろとステージに向かう。袖までたどり着くとマネージャーと目が合う。
「よっ、真打ち登場」とへらへらしながら私を舞台に突き出した。
 ぬるぬる踊る三人の間を体幹0みたいなバランス感覚の私が通り過ぎる。上手から下手まで横断してしまった。下手で休んでる演者が笑っている。
「どうしたんすか」
「まじうける」
「ドルハイってそういう演出なんでしょ」
 お客様も演者も私たちを見る目は同じだ。むしろ私たちが望んだその通りに楽しんだり馬鹿にしたりしてくれている。別にそれで大金稼いでるわけじゃないけど。自身それで満たされてる部分も少しはあるんじゃないかな。私は身体のシフトレバーをリバースに入れて、後ろ歩きで舞台に戻った。出来損ないのムーンウォーク。
 ーーあなたの~心は~甘酸っぱい!干した梅干し!!ーー
 ちょうど2回目のサビのコールアンドレスポンスが行われている。次の「隠し味は甘いはちみつ」という掛け声とともに、100エーカーの森でおなじみの壺に入ったはちみつを赤花サキコが頭からかぶる約束になっている。無理しなくていいんだよサキコ。私は急に優しい気持ちになって彼女が大事そうに抱える蜜壺を奪い、頭からかぶった。
「チル今日絶好調じゃん」
 お客様どもが大爆笑している。袖もPAさんも笑ってる。愉快な私にみんなが笑ってる。お日様も笑ってる。今日もいい天気。そんな中、ヒカリだけが能動的な無視の態度を取っていた。つんけんしたオーラを出している。こういうのって中学で終わりだと思っていた。しかしそんなのお構いなくステージも客席もボルテージは最高潮。
「いいぞーもっとやれー」
「脱げー、脱げー」
「ダイブしてこいよー」
 下卑た掛け声が袖まで聞こえる。今日は大暴れができそうなモード。今日はたぶんグッドトリップ。いい日旅立ち。1分の暗転インターバルの後、本日最後の曲『ドルハイのチンボーラー』のイントロとともに私たちはドロップキックしながらステージにインする。私は尻もちを着いたかと思ったらそのままバウンドして、カービィみたいにゆっくり着地した。虹色の照明が私の眼を貫通する。極彩色を浴びたステージから見えるお客様どもの輪郭はぼやけて、とろけて、輝いて、生まれてきた全てが最高に幸せって感じで、永遠さえも一瞬のようで、靴底が地面に付いているのが不思議なぐらいで、もう私の意識自体はステージもライブハウスも越えて、そもそも偏狭な意識だとか自我みたいなのも流れ去って、押し寄せる波のように共通意識みたいなものが全身を駆け巡って、声にならない声をあげるだけで全てが満たされた。

 気付くというか意識が私に着地した時、そこは楽屋の汗臭いソファーの上だった。起き上がるより先に開いたSNSに上がっていた私は白目を剥きながらステージ上で小刻みに揺れていた。やがて振動は激しくなり、いわゆる痙攣をして、なりたてのゾンビみたいに横のヒカリへ近づいていた。多幸感に包まれた私は、幸せをおすそ分けしようとヒカリに抱きつこうとしたに違いない。しかしヒカリは無視を決め込んだ弊害からか、完全に不意を突かれた形となり、バランスを崩してまたステージから落ちてしまった。お客様たちはカンダタに連なる亡者のように、ヒカリを自分たちのテリトリーへ引きずり込もうとしていた。胸とか股とか触りまくっていた。極楽の昼時にはまだ遠い。私といえば、気分的には愛の化身同然だった。全身にまとったはちみつが輝いている。そして愛が眩しくて触れ難いのか、結局全曲終わるまで私は放置されていた。ステージは何事もないように進行し、赤花サキコは間奏中にテキーラボトルを一気で飲み干し、ヒートゥーUは平素のボイトレをデスボイスで遺憾なく発揮した。
ーードルハイのチンボーラー、恋する夜や 辻ぬ姉小達ん恋すらどーー
 ヒートゥーUはどんな気持ちで叫んでいるのか、無責任ながら私は訊いたことがない。愛の化身、幸せの権現は一転して憂鬱な地蔵に変わってしまった。みるみるうちにソファ沼へ引きずるこまれる私。わかってるよ、私たちのパフォーマンスははっきり言って頭打ち。一番顔のいい愛海が一番過激なことをしていたからドルハイは話題になった。爬虫類に噛みつくのもサソリの踊り食いも、毒霧もお客様をラリアットでなぎ倒すのも、全て愛海の担当だった。私たちはおんぶに抱っこに肩車までされている状態だった。自分の足で立つステージはいつ崩れ落ちるかわからない不安しかなかった。
「吉屋さんああいうの辞めたほうがいいよ」
 呆けてソファに埋まった私にヒートゥーUが世間話の距離感で話しかけてきた。喉には降板した先発ピッチャーみたいにアイシングが巻かれている。大変だよなデスボイス。そんな声出すために青春捧げてきたんじゃないもんな、あんたは。
「ああ、なんか今日は特にヤバかったみたいだね」
「みたいって。他人事?」
「記憶があんまりなくって。楽しいなぁ、幸せだなぁって感覚だけ残ってる」
 半分嘘で半分本当。ライブの出来事は記憶は定かでないけれど、記録を見て既に補完している。
「そうなんだ。それよりこの後打ち上げだけど来る?」
「ちょっと待って。自分の体調に訊いてみるから」
「ああ、うん。全然無理しなくていいからね」
 ヒートゥーUはどこか呆れた口調だった。そりゃそうだ。仲間内で酒を飲んで碌なことが起こりそうもない。サキコは「反省会で」って言ったけど、愛海が抜けてからそんなのしたことないやし。
 私はLINEを開いてイキガからのメッセージを確認してみる。そっちからは特に連絡来てない。一回寝ただけでセフレづらのマッチングアプリ野郎からの定型文メッセージとエステの営業DMと知らないうちに入っていた謎のライングループからの未読で消去するようなメッセージしか来ていない。たぶんイキガサイドもこれから出番とかなんだろう。週末の夜だし。どーせベロンベロンのパキンパキンで話が通じる気もしないし、それは私の方も同様だし、意思疎通の取れない者通しが出会うのはもう少し宵がふけてからだ。再びイーヤサッサーと呟いて、釣り上げられた深海魚のようにぺしゃんこだった私はようやく立ち上がる。
「ヒートゥーさん、やっぱ自分も行くけど店どこ?」
「桜坂のダウン・バイ・ローって」
「了解」
 ヒカリやサキコはもう向かっているとのことだった。あいつらお酌とかするからな。自分で注げよって思う。私は今日の演者の荷物が山になったゾーンから自分のエナメルポーチを抜き取る。そこからメビウスの箱をまさぐり取り出す。火をつけながらライブハウスの裏口を飛び出し、ゆっくり肺まで吸い込む。一点集中、血が頭を巡り、もう一人の自分が耳元で囁く。HeyGirl、調子はどうだい。うん、視界は良好。未来とかわかんないけど、いい感じに若さを楽しんで、多少人生擦り切らせて、今日の煙はただ目に染みるやつ。OK、私はもっとチルくふかしていきたい。そういえば私ずっとチル(CHILL)ってチルダイを略した言葉なんだと思い込んでた。
「吉屋さーん。そろそろ出るよー」
 私を呼ぶヒートゥーUの声が聞こえた。私はそろそろ出なくてはいけないのか。出たり入ったりを繰り返して、人生は終わるのだと思った。

 馬鹿みたいな安い酒は人を不幸にする。本人だけじゃなくて、その家族とか友だちとか色々と巻き込んで駄目にしてしまう。ガキを置いて飲みに歩く親に育てられた身には自然の理として染みついてるはずなのに、今日も今日とて誘われたからといって酩酊に一歩を踏み込む。桜坂の、無理に気取った店内で楽器もマイクも持たないタダの酒飲みが、節度の域内で暴れている。私は苛立って、さっさとこんな稼業から足を洗おうと決意を新たにする。週明けたらマネージャーに脱退届を出そう。受理されなかったらそのまま逃げよう。私はカウンターに座って立て続けにジントニックを飲み、生レモンサワーを噛み砕き、ハイボールを吸おうとしたところで自分を呼ぶ声に気がついた。
「あっ、もしかしてCHILL吉屋さん?」
 髪も顔も青い女が話しかけてきた。目もどことなく吊り上がっている。アバターか。たぶん今回の演者だと思うけど、アイドルサイドっぽくない。
「そうです。私がCHILL吉屋です」
 私としては「そうです。私が変なおじさんです」のパンチラインを意識していたのだが。ただでさえ悪い滑舌に、呂律不順まで加わってきちんと相手の鼓膜に伝わったのか不安である。だっふんだ。
「やっぱりCHILL吉屋じゃん。ライブ最高でしたよ。大好き」
 どうやら伝わっていたようで安心した。そして好きと言われた。直接の好意は満更でもないのだ。やっぱりアイドル辞めるの辞めようかな。
「ええ、まじありがとう。私も君のこと好きになりたいけど、実はあなたが誰か分かんなくて」
「そんなの誰だっていいじゃん。お酒奢らせてよ」
 名無しのアバターちゃんは屈託のない笑顔を浮かべながら手を顔の前で横に振る。
「ごっつぁんです。アイドル冥利に尽きる」「CHILLさんたちに比べたら私らなんて前座前座」
 私の前にショットグラスが並べられていく。
「なんてバンド?」
「ポムポムズだよ」
「アイドルじゃん」
 私たちはカンパーイと精一杯の甲高い声を上げて、テキーラを飲み干す。
「そう。ジャンルとしては」
「ジャンルねぇ」
 気を利かせた店員が私たちに輪切りライムを出してくれた。
「お嬢さん、結局なんて名前なの?」
「ユミコグレース。CHILL吉屋に比べたら全然無意味な名前だよ」
 無意味な名前なんて考え方を湯婆婆以外に持っている奴がいるとは。ユミコグレースは青い毛先で自分の上唇を掃けている。
「そんなこと言ったらさ、私なんて最初アイドルネームをバーキー・ビッチにしようとしてたけど」
「なにそれ、ヤバ」
 ユミコグレースは目を丸くして笑った。そしてもう一杯頼んだ。
「さすがに無理だってなって。ってかマネージャーにしたたか怒られてからさ」
「別にいいと思うけどね。そういうコンセプトでしょ。ドルハイって」
 そうだよ。無意味に派手そうなこと、無茶そうなことをして、刺激中毒のお客様に気に入ってもらうのがコンセプト。
「やしがよ。なんかマネージャー内に一線があるらしくてさ。妥協案としてCHILL吉屋を名乗ってるわけ」
「大変なんだね。売れっ子も」
 売れっ子、という言葉を耳にする度に、私の脳裏には愛海の顔が浮かぶ。
「全然売れてないよ。愛海だけさ売れてるの」
「本当に?CHILL吉屋だって今日なんて声援すごかったよ。たぶんそのうち県外のライブとかにも呼ばれるよ」
「そうだといいんだけどね」
 実のところ、私だって吐いたりはちみつかぶったりせずにチヤホヤされてみたいのよ。ふと髪の毛を触ったら、はちみつがついていないことに気がついた。誰かが洗ってくれたのかな。
「絶対呼ばれるって。ユミコは応援してるから」
「うん」
 今度はイェーガーが並ぶ。濃縮したルートビアみたいな風味が鼻を抜ける。
「なんでユミコグレースはアイドルなんてやってんの」
「なんでだろ。理由とか特になくて、面白そうだなって思ったし、思い出作りかな」
「おお、それぐらいのノリでいいんだよ。身を削ってまでやる必要なんてないんだよ」
「じゃあなんでCHILL吉屋はアイドルやっているの?」
 最大の謎だ。人に誘われて加入しても、嫌ならすぐ辞めればいいじゃん。私はなんでやってるんだ、いまさら。愛海もいなくて削った身もジリジリとやせ細っていくだけじゃないか。
「性に合わないし、すぐ辞めるつもりだったんだけどさ、愛海がいた頃に妙に名前だけ知られちゃって辞め時逃しちゃったんよ」
 私は愛海を僻んでいる。妬んでいる。無責任に一瞬だけ有名にさせやがって。
「愛海さんか。羨ましいよね。あれだけ活躍してたら。ポムポムズは一応来月で解散するんだけどね」
「ええ、悲しいね」
 ユミコグレースは瞳も青い。安いカラコンだけど、その奥は確かに潤んでて、屋台のかき氷を思わせる。
「悲しい。CHILLさんお酒足りてる?」
「全然」
 ユミコグレースは良い子だ。カラコンはやっぱりドンキの安物で、衣装は手作り。少なくとも初対面にしては十分楽しい距離感で、それなりの愚痴や個人的な話をしてもいいぐらいには思えた。
「解散したらどうするの?」
「まだ学生だから、とりあえず卒業かな」
「そうなんだ。学生さんってなにしてるの普段」
「授業出たり出なかったり」
「やっぱそういうもんなんだ」
「うん。ユミコは一応卒制で布を織ったり、破ったりもしてて」
「難しそうなことしてんだね」
「そうだね。自分でもまだ掴みきれてない」
「ふーん、卒業したらどうするの」
 私は酔っぱらいらしく質問ばかりをしてみる。イェーガーのショットをユミコグレースとの間に並べながら、管を巻く。私の黒いプラダの長財布には二千円札が二枚だけ。あと全部レシートと使った試しのないポイントカード。守礼門一枚でショットがさらに四杯並ぶ。
「卒業したら、一応働こうかな。CHILL吉屋は普段何してるの」
「ダラダラしてる」
「なにそれ」
 私は嘘は言っていない。寝て、起きて、仕事があれば行く。ガールズバーとかキャバのヘルプとか期間限定コールセンターとか、「何してる」が収入源のことを指すならそれらだ。
「やっぱり楽しいことしたいよね」
「もう楽しいことしかしたくない」
 またショットグラスを飲み干す。
「実際どう?CHILL吉屋はちやほやされたりした?」
「まぁイキガが常にいて、セフレも絶えずいるぐらいには」
「男関係だけじゃん」
「悪いかよ」
 まったりした空気に一瞬ひびを入れてしまった。楽しいことだけしたいのに、本当に。
「ううん、全然悪くないよ、ただ哀しいよね」
「まぁ、それでも生きてくしかないんでよ」
「CHILL吉屋ってさ、付き合ってるのローリーでしょ」
「ああ、知ってんだ」
「有名だよ」
「そうなの?なんでかね、新聞にでも載ってた?」
「いやだって狭いじゃん」
「そういうもんか」
 私はぐったりとカウンターに肘を付き、そういえばなんで付き合ったんだっけと逡巡する。
「同じ界隈で男と女とっかえひっかえでさ。みんなが痴話喧嘩とその顛末を知っててさ。若いとか青春って、そういうことなのかもしんないけど、時折虚しくならない?CHILLさん?」
「常に虚しいよ。けどどうしようもないんだよ。こっちだってわかってやってんだあよ。どおせアル中の娘だよ。ずっと逃げたいのに、きっとこの島で逃げ場もなく生きて死ぬだけなんだよ。一瞬ぐらい気持ちよくさせろよ」
 右手に握ったショットグラスで自分のみぞおちを一突きした。ゲップをユミコグレースの青い首から上に吹きかけてやった。
「うん」
 ユミコグレースは泣いてた、私も泣いてた、後ろの座敷席のヒカリだけは爆笑していた。朝来たら死なす。

 明日って来るのかな。いつも思う。ヘルプで入ったキャバでこんなことを客オジに呟いたらチップくれたから黄金言葉なのかもしれない。とりあえず今日は終わるみたい。酒場の記憶はないんだけど、私はいまホテル「ラグーンパイナップル」のツインベッドの上でぼんやり寝ているらしい。隣にはローリーがいて、その隣にはユミコグレースがいる。身体はどっぷりシモンズの特注マットレスに沈み込んでいる。今日は浮き沈みが激しいな。いまは思考だけが浮いている。きっとまたローリーお手製の「ポカリ」を飲んで、記憶飛ばすまでファックしたんだろうな。今日ってライブやったんだよな。もう半年ぐらい前のことのように感じる。風呂は入りたくないのにシャワー浴びたい。すもものゼリー食べたい。死にたい、ってか生きたくない。誰か携帯取って。私は太ももの下に違和感を感じた、硬い無機質なものが当たっている。オモチャとかじゃない。もっと身体の一部のようなもの、頑張って腿の下に手を伸ばし、ようやくつかんだ私の指先。私の指紋、私の顔でしか開かない世界の扉。
 LINEのやり取りやインスタのストーリー、そして個人の動画データを見るに、飲みの後で私はめちゃくちゃファックしたくなってて、ライブ帰りのローリー捕まえて、歩道際でうっちゃるようにしてタクシーに乗り込んらしい。記憶はいつもおぼろげだ。タクシーの中でもうキスとかしてて、運ちゃんは後部座席に触れることなく淡々と向かってくれた。ユミコグレースは黙って着いてきたみたい。ちなみに運ちゃんの苗字は沢岻さんだった。シラフならそれだけで目的地まで会話が続くはず。ホテルに着いたはいいんだけど、土曜だから安い部屋は全部埋まってて、唯一空いてた一番高い部屋に私とローリーとユミコグレースは雪崩込んだ。散乱する下着、未開封のゴム、親の代よりもっともっと先祖代々私たちは育ちが悪い。さっき酒場で出会った女を自分たちのセックスに巻き込んで、事後には呆けている。そのユミコグレースはぐっすりと、半分目を開けて眠っている。いま気づいたが、肩に青くて細い線で羽のタトゥーが入っている。胸も私より大きい。最中の動画誰か撮ってたら後でもらおう。
 そしてローリーもまたぐっすりと、時折歯ぎしりを立てながら寝入っている。
 男には二種類いる。ゴムを着ける男とゴムを着けない男だ。ローリーは後者だ。だから子どももいる。私も会ったことがある。ダイアナちゃん、ダイヤモンドのように輝いていて、少しでも幸せに生きて欲しいと思う。その母親は看護師してて、今はダイアナちゃんを一人で育てている。本当はローリーと三人で育てられた方がいいのかもしれないけど、現代人類の心はそこまで追いついていないらしい。ダイアナちゃんのお母さん、アイさんは気立てのいい女で、きっとクラスの人気者で、ミスなんとか高校で、当時からイケてたローリーと付き合っていたに違いない。だから私にイキガを寝取られたことが初めての挫折かもしれないし、シングルマザーの道を選んだことを知ってからは、私の心もどんどん苦しくなってくる。この苦しみだけは紛らわし方を知らない。

 私たちのイケてるローリーは、高2の時に「HIP-HOPインターハイ」っていう全国大会に沖縄代表で出て、調子に乗って油断して高3は予選落ちだった。抜けたとこも愛嬌で、先輩に可愛がられて、ちょっとずつストリートの中での位置を確立してるっぽい。夜な夜なお手製「ポカリ」を捌く間にリリックも書き溜めて、少しづつ内地のライブにもブッキングされるようになってきた。イケてるイキガと一緒に居たからといって自分もイケてると勘違いするようなフラーガールじゃないけれど、多少は気持ちが大きくなることもある。私に夢ぐらい見させてよ。アイドル、っていうか定かでないこんな形の表に立つ仕事の消費期限もせいぜい一年ぐらい。その後、どうすんのかね。とりあえず、生きてくしかないんだけど。死にたくなったり、生きたくなったり、忙しい。
 横を向くとさ、ローリーの寝顔があって可愛く思う。火のついてないジョイントをくわえたまま寝ている。アイさんへのDVとか酷かったって聞くけど、たまにダイアナちゃん交えて三人で会ったりしてるのは単に子はかすがいってだけじゃないでしょ。
 私は再び虚しくなって一人ラブホのジャグジーに浸かる。普段は名護より遠い風呂場への道のりが、今日はあっという間。この虚しさはポカリ由来のバッドなのか、寝起きの低血圧なのか、もっと根深いやつなのか、計りかねるが落ちてることには変わんない。Twitter見てたらメイクして別人みたいなチラ、いや顔をした愛海の写真が流れてきた。へぇ、映画出るんだ。すごいじゃん。やったじゃん。頑張る人は報われるじゃん。そんなの見たら自分の惨めさに死にたくなるけど、やっぱりさ、生きてくしかないんで。一日何回この言葉心のなかで呟いてる?私。ねぇねぇ10代の私、望んでる未来ってどんなだった?鍵だけ掛けてまだ消していない当時のインスタを見れば、どんな日々だったかは一目でわかるけどさ。何もかも嫌で、気だるくなってきた。私は風呂を上がって髪も乾かさないまま外に出る。

 まだお日さまは来ない。なのにもう立派な初夏の湿気だった。下着もシャツも全てが汗臭い。せっかくの風呂も台無し。吐きそう。けどホテルの前で吐いたらみっともないから私は耐える。
「siri、帰り方教えて」
 お家までの最短ルートが表示される。このまま歩いて帰ったら、ラクトアイスみたいに溶けそう。なのにタクシーが全然捕まらない。配車アプリで調べても最短の到着は20分。みんなこんな日はタクシーで移動したいよな。わかるぜ。でっかい伊勢海老の看板を過ぎ、福州園もなんとか越えて、命からがら58号線までたどり着いた。もう限界。歩道橋に腰掛けて、うずくまる。
「ううう」とまるで書き割りみたいな弱った声を出しながら、私は何かを待っている。ナンパじゃない。「頑張れ」「チバリヨー」「ワイドー」なんでもいいから励まして欲しい。私は一人じゃ立ち上がれない。心の底から理解し合える他人がいて欲しい。身の丈にあった月収をいただきたい。手取り20でいいんで。そしたらもう少し健康な生活をして貯金して、もう二度と人前に立つこともしない。私に必要な最後の勇気は諦める勇気だ。5%をそこに振り分けて、立ち上がれ私、転びながら橋を越えていけ、吉屋CHILL。


サポートを得る→生活が豊かになり様々なモチベーションが向上する→記事が質、量ともに充実する