罵倒が思考力を害するという研究を紹介します。「有能であるよりも礼儀正しくあるべし」【心理学】
罵りや貶しは、相手ばかりでなく周囲の人間の思考力と創造力を奪ってしまうという研究を紹介します。続いて、私たちはどのように振る舞うべきかを考えます。最後に、心理的安全性の重要性などを述べつつ、「有能であるよりも礼儀正しくあるべし」という結論を述べます。
なお、紹介する研究の多くは、海外においてなされたものです。私としては、国内でも同種の調査も行われて欲しいと願っています。一般に西洋人よりも東洋人の方が協調的である(他者の目を気にする)と言われていますから、罵りや貶しが及ぼす悪影響については、東洋人に対していっそう強くあらわれるのではないかと推測しています。
以下本編です。
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罵りや貶しなどの無礼な行為は、された人や目撃者の思考力や創造力を低下させる。このこと自体は想像がつくことである。だが、研究によれば、事態は思ったより深刻そうだ。
思考力・創造力は容易く低下してしまうし、しかも随分と大きく低下してしまうらしい。
1 無礼な言動は思考力・創造力を低下させる。
クリスティーン・ポラス准教授(米ジョージタウン大学)らの研究では、以下の結果がみられたという。①被験者が属するグループを貶された場合、②本人が叱責された場合、それどころか③無礼な行為を目撃しただけの場合、いずれも思考力・創造力が大きく悪化している。
① 実験者が被験者の「属するグループ(大学生全般)」をけなした場合
・単語パズルの成績は、けなされていない人より33%悪かった。
・ブレーンストーミングで出てきたアイデアは、けなされていない人より39%少なかった。
② 被験者「本人」を叱責した場合
・単語パズルの成績は、叱責されていない人より61%悪かった。
・ブーンストーミングで出てきたアイデアは、叱責されていない人より58%少なかった。
③ 無礼な行為を「目撃」した場合
・単語パズルの成績は、目撃していない人より25%悪かった。
・ブーンストーミングで出てきたアイデアは、目撃していない人より45%少なかった。
・実験者が追加的なタスクを行うと言っても、手伝う確率が大きく下がった。
クリスティーン・ポラス「礼儀正しさは職場にプラスの効果 従業員に敬意を払う職場環境は生産性や創造性を向上させる」WSJ 2016 年 11 月 24 日
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しかも、ここでいう「叱責」というのは、そう大したものではない。
例えば、②でいう「被験者本人を叱責」だが、記事によれば「教授の邪魔をした」という理由で、無礼な言葉を使いながら叱ったということだ。残念なことだが、これくらいの叱責なら日常的にされている者も多いだろう。
しかし、単語パズルを解くような単純な思考力や、自由にアイデアを出すだけの単純な創造力でさえ、叱られていない者の半分以下になってしまっている。実社会ではもっと複雑な情報処理が必要とされることが多いことを考えると、人を罵り、貶すことの弊害は、今まで私が思っていたものよりずっと大きそうである。
①と③も大変興味深い。直接叱られていなくても、属するグループをけなされただけ、無礼な行為を目撃しただけで成績が悪化していることからは、人の思考力・創造力は傷つきやすいことがよくわかる。ここでいう無礼な行為とは、「君おかしいだろう。遅刻なんかして無責任だ。恥ずかしくないのか。社会人失格じゃないのかね」程度のものである。
同准教授の論を紹介している別記事によれば、比較的小さな貶し言葉でも、頻繁に触れることで人はネガティブになるという。
日頃から人を貶すような人に囲まれている人は、他人を助けなくなったり、他人と情報を共有しなくなったり、慎重に考えて行動しなくなったり、協力すれば得をする場合でも身勝手になったりするようである。
特に注目すべきは、嫌な人間に囲まれていると、すなわち、自分が嫌な人でなかったとしても身勝手になってしまうということだ。
というわけで、他人を罵ったり貶したりするのが好きな人たちからは距離を置くべきだろう。
2 他人を罵り貶さない、自分がされたら距離をとる
個人や、人の属する集団を罵り貶すことは、された者と目撃者の思考力・創造力を奪ってしまう。
ということは、生産的な活動をしたい場合には相手の人格を罵ったり、貶したりはすべきでないということだ。当たり前のことのようだが、研究によって示されたというのは重要だろう。
上記の研究から暫定的な結論を三つほど引き出しておこう。
(1) 自分からはしない
「多少の罵りや貶しはよくあること」と呑気に言っていられるほど影響は小さくない。教室でも会社でも家庭その他でも、原則として罵りや貶しは慎むことにしよう。
(2) 他人にされたら無視する、または逃げる
他人に罵られたり、貶されたれたりした場合、口論や論争で応じようとはしない方がいい。攻撃されている以上、既に思考力が奪われているわけだから、こちらは単純に不利なのであって、普段ならすぐ思いつく返答さえもできなくなっているかもしれない。
また、相手は他人を罵倒するような状態なので議論の内容を吟味したりする確率は低い。どうすべきかといえば、いったん落ち着いてから話し合いの場を設けるか、単純に距離を置くことが重要だ。
学校や職場の話となると、生活があるためになかなか話は難しくなるが、SNSなどでの議論の場合は、距離を置くのも簡単だろう。場合分けをして考えてみよう。
パターン一 職場等で無礼な扱いをうけた場合
クリスティーン・ポラス氏によれば、職場において無礼な振る舞いをされた場合、その場ですぐにやり返すのは絶対に慎むべきだという。怒りは非常に増幅しやすく、短時間で事態が全く手に負えないことになりかねないからだ。まずは次の三つのことを自分の心に聞いてみる。
そして、三つの問いにすべて「イエス」と言える場合、つまり、①言い返しても身体に危険はなく、②相手の無礼な振る舞いが意図的であり、③無礼な態度をとられたのがはじめてである場合には、直接話し合うのが理想だという。
話し合いでは、自分が相手の言動でどういう気持ちになったのかをはっきりと告げる。そのためには事前の準備が大切になる。タイミング、場所をしっかり選ぶ。場合によっては、第三者に証人や仲介を求めたり、リハーサルを行うのもよい。
話し合いの場では、相手の人格には触れず、「双方にとってどうするのが利益か」を最優先に考える。話の内容ばかりではなく、声の調子や、話すテンポに気を配る。相手が感情的になっても、とがめずそのままにした方が、実りのある対話になることが多い。「そうですね、わかります」などと相槌をいれるのも重要である。適宜、自分が相手の意見をどう理解しているかを示すなどして、謙虚な姿勢をとる。相手にも事情があるかもしれないので、相手の視点も考えてみる。そして、お互いが今後、どういう規範に従って行動すればよいかを確認する。
なお、一つでも「ノー」がある場合、つまり、①言い返すと身体に危険が及ぶ危険性があるか、②相手の無礼な振る舞いが意図的でないか、③無礼な態度を何度も取られているのならば、話し合いをするのではなく、単純に相手と距離を取り続けることが重要になる。
相手と仕事上接触しなければいけないときは、手短に、有用なことだけ、友好的に話をする。要点だけ単刀直入に話すことにし、顔を合わせる機会を減らし、どうしても顔を合わせなくてはならない場面でも、オフィスとは遠く離れた場所で話すようにするべきだという。
現実的な話、ここまでの手続をとることは難しいと思う。しかしながら、理想的手続がどのようなものかを知っておくのは悪くないだろう。
いずれにせよ、罵りや貶しが常態化した空間が人間の心を蝕むことには十分留意をした上で各種の決断を行っていきたい。
パターン二 SNSなどで知らない他人に無礼な扱いをされた場合
SNSなど、比較的簡単に逃げられる場所では手早く逃げてしまうのがよいだろう。「そんなの言われるまでもない」と思われそうだが、ツイッターやブログなどをみていると、あからさまな煽りに逐一真面目に答えている人を見かけたりする。しかし、この研究からすると、真面目に答える側が思考力を奪われ、性格が悪化してしまいかねないわけである。しかも無意識に。やりとりを読んでいる人たちまで巻き込んでだ。
もちろん、無視したら無視したで相手は「逃げた!」などの罵りや貶しをしてくるだろうが、それでもブロックしたり、無視することには理があるのだ。
論争は協力的な人や、論争に値する人と行った方がよい。あなたは社会の一員である。あなたの思考力や性格が悪化することは、あなたにとって損害であるし、社会の損失にもつながる。むしろ、この種の煽りや貶しに反応することは、「煽りや貶しでも議論の体裁を取れば相手にしてもらえる」という悪しき土壌を耕してしまうかもしれない。
この点、私はネットでの議論の難しさについて日々感じているところだ。大学教員や作家、評論家のような人々も当然のように他人を罵ったり貶したりしている(特にツイッター)。研究によると、人は無礼さを連想するだけでも、情報を5倍も見逃すようになり、ミスが著しく増えるという(この記事にも無礼さを連想させる単語が多々含まれているわけですから、私やあなたの情報処理には支障が生じているかもしれません。すみません)。
無礼さを連想するどころか、実際に無礼な扱いをされたならばなおさら酷いことになるだろう。SNS上でまともな議論がなされない理由の一つは、皆が相互に煽りあうことによって、参加者全員が情報を見逃すミスまみれ状態になっていることにあるのだろうと思う。
確かに、罵りや貶しが必要であろう場面もある。別記事で検討する予定だが、例えば政治的な言論活動であって、しかも、過激でないと重要な論点が無視される場合、不誠実を非難する場合、先に罵倒された場合などには罵りや貶しが正当化される可能性がある。
ただし、ふつうに議論すればいい場面でまでネットスラングを使って煽ったり、婉曲な嫌味表現をしていたりするのには問題がある。
おそらく、みなが無礼になる一つの原因は、SNSをとりまく環境自体の悪さにあるのだろう。嫌味を言う側の人間もまた、大勢の他人から日々罵りの言葉を投げつけられていることがほとんどにみえる。自然と身についた防衛意識として、あるいは「これが当たり前である」と朱に染まった結果として口汚くなっているのかもしれない。「嫌な人に囲まれていると身勝手になってしまう」という悲しい結末を迎えた一例なのかもしれない。
だが、いずれにせよ、罵りや貶しをしている側は、他人たちを巻き込みつつ、自らだけ不当に有利になっていることは知っておくべきだ。
自らの議論の中身さえよければそれだけでいいわけではない。
① わざわざ論敵を貶さずとも議論はできること、
② 生産的な議論またはフェアな議論をしたいなら相手の思考力・創造力を奪うべきではないこと、
③ 罵り貶しは議論の当事者だけでなく、みている者たちの思考力・創造力・性格まで悪化させる副作用の大きい振る舞いであること、
という三点から、議論の際には、議論内容だけではなく、議論の仕方にも責任をもっていくべきである。
3 有能であるより礼儀正しくあるべし
職場に無礼な人が一人いると、礼節のある人がせっかくあげてくれた成果を帳消しにするほどの悪影響があるという。無礼な人間がいかに有能であっても、トータルでみれば悪影響の方が大きいのだ。
なるほど、「無礼で有能な人」は注目される。ときには「礼儀がなっていても無能なら意味がない」などという言説が、「冷酷な真実」として吹聴されることもある。だが、これは「周りへの悪影響」を全く見落とした議論であり、「冷酷な真実」どころか「冷酷な虚偽」である可能性があるわけだ。
有能な人による無礼な振る舞いのせいで、能力を減じられ、力を発揮する気さえなくしている無数の人々がいる。礼儀正しさを重視することで、そうした人たちが伸び伸びと活動し、結果的には全体の成果が上がるかもしれない。すなわち、真実の方がずっとまともで温かいのかもしれない。
では、無礼な態度が横行している環境とは逆に、親切さに満ちた環境はどうなっているのだろうか。実際のところ、心理的安全(チーム環境が信頼と敬意に満ち、安心してリスクを取れる場所であるという感覚)が高い人たちは、仕事においても成果を上げやすくなるということだ。
グーグルの調査によれば、仕事におけるパフォーマンスを左右するのは、チームメンバーの能力より、チームの環境だという。
* 二つ前のものと同じ記事
チームメンバーが互いに敬意と信頼をもっていて、リスクもとれる環境なら、能力的にはやや劣る人間でも、優れた人たちよりも成果を出しうる。有能な人たちも、よりいっそう成果を出せるようになるだろう。親切に、丁寧に、敬意をもって他人と接するというのは、単なるマナーや処世術にとどまらず、仕事的にも合理的ということだ。
ちなみに、この事実を別の側面からサポートする研究もある。こちらは「情動伝染」という現象からのアプローチである。この現象は、他人の身体反応や感情の表出を感じることで、自分も同じ感情を抱くことを指す。他人がポジティブな感情の表出していると感じられると、自分にもポジティブな情動が喚起される。対話相手の表情を常に笑顔に加工するシステムを用いてビデオチャットを行ったところ、会話中に出てくるアイディアが1.5倍になったという。
ここまでの話を一言でいうなら、「有能であるよりも礼儀正しくあるべし」とまとめることができるだろう。
罵倒は思考力や創造力を害する。礼儀正しさや、ポジティブな感情は思考力や創造力を高めてくれる。当たり前に思えることでも、このように研究や調査をしてくれると納得度が違うし、後続の研究へとつながっていく。非常に有意義な研究群だと思った。
【関連した外部ページなど】
・クリスティーン・ポラス氏による記事が連載されている。
・クリスティーン・ポラス氏の著書。この記事で書いたような研究について触れられているばかりではなく、人間関係を良好にするために企業(グーグルなど)がとっている取り組みや、無礼な人を採用しないコツなど、「礼儀正しさ」をめぐった幅広いテーマが扱われている。
【関連記事】
後知恵バイアス
「罵倒が思考力・創造力を大幅に落とすって? そんなことは元々知ってたよ」と思ったら要注意だ。逆に「思考力・創造力をさほど落とさない」と聞いても、「元々知ってた」と言いはしなかっただろうか? 「落とす」どころか「大幅に落とす」ことまで本当に予想できていたのか。ひょっとすると、「後知恵バイアス」に陥っている恐れがある。後知恵バイアスについては、以下で詳しく紹介した。東洋人は陥りやすいという。
人間心理の文化比較
クリスティーン・ポラス氏らによる研究と同様のものを、日本人を対象として行ってみて欲しい(被験者は辛い思いをしそうだが……)。西洋人を被験者とした心理学研究の成果が、日本人にそのまま当てはまるとは言えないからだ。この点については、以下の記事で紹介した。
再現性の問題
2015年、心理学(特に社会心理学)の論文は再現性がかなり低いという論文が提出された。しかも、その原因は学界全体に「疑わしい研究手法」が蔓延しているからであるという指摘がなされている。現在では学界を挙げての対策が行われつつあるようだが、何かを決断するとき、心理学研究に頼りきるというのはまずそうである。
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