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進化の定義について【進化論】

いつかはまともに全体像を理解しておきたいなぁと思っていた「進化論」についてお勉強していました。

せっかくなので何本かに分けて記事にしておこうかなと。

今回は進化の定義について

■ 進化とは「遺伝による性質の変化」である

「進化」とは何か? 簡潔にいえば「遺伝による性質の変化」と理解するのが良さそうです。以下を参照。

河田雅圭 1990年
「進化とは、遺伝する、あるいは世代を越えて受け継がれる、性質の変化である。その性質とは、遺伝するものであれば、個体の表面に出ている性質にかぎらず、表面には出ないDNAの性質や遺伝子の性質も含まれる。」

河田雅圭『はじめての進化論』講談社 1990年 38頁

遺伝」という部分がキーワードです。

ある集団の平均身長が伸びたとします。その「身長の伸び」という変化が、遺伝によって引き起こされたものであった場合、その集団は進化によって身長が伸びたとみなされます。集団の食生活の改善など、遺伝とは異なる要因に由来するものだった場合は、進化が起きたとはみなされません。

早いですがこの記事の主題はここで終わりです。

以下は学問や学びにおける定義の役割に関する雑感になります。

■ 厳密かつ統一的な定義は難しいが、それは不可欠ではない

「遺伝による性質の変化である」という定義では、まだまだ漠然とし過ぎている気もしますが、進化生物学を究めるつもりでもなければこの程度で満足しておいていいのだろうと思っています。

というのも「進化」を厳密に定義するのは難しいようなのです。

例えば進化は「遺伝子の頻度変化である」と定義されることもあります。確かにこの定義でも進化のかなりの範囲をカバーできますが、これを進化の完全な定義とみなすことには反論があります。2つあげます。

(1)遺伝子の頻度ではなく「組み合わせ」の変化でも進化は生じうる。
(2)そもそも「遺伝子に基づく遺伝システム」自体が進化の産物だろう。

なるほど、と納得してしまいます。

この反論を聞いたとき私は「さぁ困ったぞ。定義の時点で難問含みとは」と思いました。特に(2)の反論を踏まえた上での定義は難解なものになりそうではありませんか。

定義はちゃちゃっとすませて内容に入りたいのですが……。

……って、だったらそうすればいいのでは?

「厳密かつ統一的な定義ができていないと具体的には何がどう困るのだろう?」と自問してみると、これまた答えに窮するのでした。

専門家による以下の記述を読みましても、完全な定義がないからといって進化生物学は困っていないようであります。

エリオット・ソーバー 2009年
「「進化」という用語は、極めて変化に富んだ一つの分野の主題を表わし、その下位分野では目的や方法、結果が異なっている。加えて、進化生物学は発展しつつある分野であり、その境界は一斉に様々な方向へ拡大(あるいは縮小)している。そのような分野の主題を完全な精度で画定することが困難であるのは、驚くべきことではない。(中略)
 「進化」を正確に定義できないとしても困惑する必要はない。ある主題の下で扱われる現象を完全に明確に分離することができなくても、その主題の統一性が疑問に付されることにはならないからである。
 進化を定義することは、進化生物学が何に関するものであるかを理解するための、有益な最初のステップである。それを越えて、可能な、あるいは必要な範囲以上の精度を要求するのは誤りである。」

エリオット・ソーバー著 松本俊吉、網谷祐一、森元良太訳『進化論の射程』春秋社 2009年 14-15頁

言われてみれば、そうですね。

定義をすることは大事なんですが、はじめから過不足ない定義がなければ話にならないという思い込みに囚われないように注意すべきでしょう。

問いの文脈に応じて不自由ない程度の定義があればさしあたり十分なのです。出発時には乏しい定義しか持っておらずとも、学問の進展に伴って洗練されることもあるでしょう。

それに「進化」という現象自体が解明すべき対象なのですから、最初から完璧な定義をしろというのは、ゴールしてからスタートしろといっているに等しいように思います。

この点については論理学に関する以下の記述を思い出しました。

戸田山和久 2000年
「ところが、「そうでしたそうでした。論理学を始める前に、まず論理とは何かをはっきりさせておかないとね」という具合にコトが進むかというと、そうでもない。まずはじめに生命とは何かを明確にしておかないと生物学の授業がスタートしない、というのではタイヘンに困る。なぜなら生物学にとって生命とは何かを明確にするというのは究極目的であって出発点ではないからだ。それに、生物学が進展すればするほど生物と無生物の境界はぼやけてくるという事情もある。ウイルスはどうだろう。狂牛病の病原体として世間を騒がせたプリオンってのはただのタンパク質だけど、あれは生物なのか?
 同じことは論理学にも言える。論理とは何かという問いに対して、あらかじめ100%納得のいく厳密な答えを出しておくことはできない。なぜならそれはまだ誰にもわかっていないのだから。むしろ、そういう問いを発することのセンスの悪さに気づいてほしい。」

戸田山和久『論理学をつくる』2000年 名古屋大学出版会 2頁


確かに諸概念が明確に定義されていないと学問が進展しえないとしたら、どんな学問も最初の一歩を踏み出すことすらできなかったでしょうね。

うーん。戸田山さんのこの記述によって自分のセンスの悪さに気づかされたのはこれで二度目です。一度目は以前に読んだとき、二度目は今回。

まるで成長していない……

ともあれ生物学・論理学に限らず何かを学ぶ際には「完全な定義がないとはじまらない」などという先入観に惑わされないよう自戒したいと思います。








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