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いっときだけ泳げるようになった10~13歳頃の話

寮に入った前後に一軒家の社宅に引っ越すことになりました。

それまでは社宅内の子供たちや近所の同世代の子供たちともふれあうなということを言われていました。

当時は私自身障碍というものをわかっていなかったので、なぜだろうとおもいながら、親の言いつけだからしょうがないと思いながら過ごしていました。


学校の家庭科の授業だと中学生までは家庭科の授業をやるのですが危ないことは一切しないのですが、寮は違って「自分たちで全部やれ」と言われ、ホットプレートや包丁をつかうので寮と学校では教え方が全然違うなと子供ながら思いました。

寮では区別なく普通に家庭科として教えられていたと思います。

寮にも異端児の先生はいて、その先生が担当の日は夕食の時間ギリギリまで外出をしていて、公園の調理できるプレイパークで自分で火をくべるところからやり始め、野外調理をして食べたりしていました。

最初は抵抗がありましたが、徐々に楽しくなり、秋になると焼き芋をするのが楽しみになっていました。

寮の時の思い出では障碍者同士で重度の人のタンの吸引などの補助をするという事もしました。

クラスは高校18人程度で教室は一杯でした。障害の程度でわかれてはいなかったので、食事介助をしたりしていました。

喧嘩などは脳性まひ同士の子とすることは多かったですが、精神障害などの子は非常に暴力的な子がいましたので、喧嘩することは怖いなと感じたこともありました。

プールの話になります。

私は金槌なのですが、小学生時代に歩くリハビリとともに金槌も克服しようという話で、学校のプールの時間に練習をしていましたが、やはり養護学校だと複数の生徒を一人の先生がみなければいけないので、十分な指導がしてもらえずになかなか泳ぐことができませんでした。

それを見た母親がわたしが寮にはいってまもない小学校4年の夏頃から、小学校6年の冬ごろまで3年ちょっと養護学校に入る前に言っていた病院の近くに障碍者用の温水プールがあるとのことで、そこのプール教室に週末土日週二日通うようになりました。

最初は本当に金槌で温水といってもやはり冷たく感じて身体がこわばりどうしても力がはいってしまい沈んでいくという形だったのですが、無理やり身体を浮かせようということで、

腰にはプールに浮いているブイのようなものをまき、

骨盤のところには浮き輪をはめて

本来は腕につけるアームレス浮き輪を足、手、首につけて身体を無理やり浮かせて、

すべての泳法をフォームでマスターしようとしたのですが、背泳ぎ以外は背筋力がなかったために無理やり身体を浮かせても顔が沈んでしまい、息継ぎのために顔をあげるということができず、

最終的に背泳ぎの形をマスターしてから、1年間かけて浮き輪をつけた状態で50mおよげるようになり、そこから徐々に浮き輪を外していき、さらに半年後くらいには入水してから徐々に浮き輪をはずし50m泳げるようになったのですが、

浮き輪をつけずに入水してから泳げるようになるまでさらに1年ほどかかるようになりました。

それでやっと小6の夏に50m背泳ぎができるようになりました。

しかしこれで万々歳とはなりません。

翌年の中学校1年の夏のプールの授業のときに、学校のプールの隅で一人で背泳ぎで往復で泳いでいるときに知的障碍者の子にじゃれられて

最初は顔に水をかけられる程度だったのですが、あるとき足をひっぱられて潜られてしまい、完全におぼれてしまいました。

最初は先生はじゃれているし泳げるようになったから、自力で浮上してくるだろうと思っていたようですが、いつまでも浮き上がってこなかったので、あぶないと引き上げてもらい、

その引き上げるタイミングで気絶してしまい、

目覚めたときには、給食の時間はおわり午後の時間でした。

1,2時間は気絶をしていたのだと思います。

起きたのは保健室のベッドの上でした。

それから前にもまして水自体が怖くなり、数か月間はお風呂に入るのも怖くなるくらいになってしまい、現在でも金槌のままになってしまいました。

今、もう一度プール教室にいって泳げるようになるとは考えられません

今思い返すとずっとやっていればいずれは一般の人とかわらないように歩けるのではないかという、両親なりの子供に対する思いや希望があったのではないかとおもいます。


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