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高校を卒業してからの話

在学時からインターンとして出向いていたNPO団体に就職目的で行ったところ、無給の研修生扱いで3年間、そのあと月1万円プラス交通費で1年アルバイト、卒業してから5年目で一人暮らしを始めたことで正式にNPOに採用されました。そのお話をしたいとおもいます。

研修生(無給の時の話)

NPO団体に就職するつもりで、実際に卒業式が終わって3月中に出社をしてみると

「何言ってるんだ、お前はまだ一人暮らしもしていないし、親元で成人もしていないんだから、働けるわけないだろ

「え?どうしてですか?」

と言ったら

「まずは一人暮らしすることを考えろ、そのためにはどうしたらいいか考えなさい」

「え?そういわれてもよくわかりません」

と言ったところ、じゃあ周りにいる先輩たちをみて話を聞いて自分で勉強しなさい。と突き放されてしまいました。

僕としては在学中に1年間手弁当で通ってその間も

いいよいいよ~ありがたいょぉ~君みたいな若い子が入るのはぁ

とスタッフの皆さんからいわれていたので、すっかりその気になっていました。

即戦力とまではいいませんが、しっかりと働ける環境は整っていると思っていました。

それらはすべて私の思い込みだったという結果に愕然としながらも、まずは私が取り組んだことといえば、週一でしか使っていなかったヘルパーを極力毎日使うようにして、ほかの人達と同じようにヘルパーをよく使っているという体制を作るようにしました。

そのなかで最初の第一関門は両親の理解でした。

理解といってもこの場合の理解は親と一緒に住んでいる家でヘルパーをつかって、自分のことは親ではなく他人であるヘルパーにやってもらうという理解でした。


それまで週一の外出でしかつかっていない、両親からしてみれば外出に関しての信頼はありましたが、自分たちが生活する家に入浴介助、食事介助等、身の回りの世話でヘルパーをいれるということはなかなか受け入れがたく、週5でヘルパーをいれてある程度の時間過ごすのに、結局約1年ほどかかりました。


その一方で職場となった(私がおもっていた)NPOでも電話番やらちょっとした事でもお手伝いしようと、なにか動こうとすると

なにもするな!じっとしておけ!

と言われ、なにもできないでいました。

4月の終わりからゴールデンウィークごろは事務所の端の日向でつい気持ちよく寝てしまい

「なにしてるんだ!」

とよくおこられていました。

そして1年がたつころに周りの先輩をみて、自分で作ったビラを作ってヘルパーをあつめているのがわかったので、自分もそういったものを作ろうとおもい、パソコンを借りて作り、配り始めていました。

そうした中、まだ待遇が変わらなかったので、またさらに1年、通い始めて3年が経った3月ごろにしびれをきらした母が、理事長に詰め寄った所、


「彼は何の技術も持っていないし、一番の要因は一人暮らしもしていないので、個々の事務所の他のスタッフ(障碍者スタッフ)はしているので、そういった意味で従業員雇用ができないのだ」

と初めて言われ

「それだったら最初から言ってください!ではこちらに来る日数を減らして、パソコン教室等に通わせてもらいます。」

と啖呵をきるような感じで言っていました。

そこから週5で会社に行っていたのを週3に減らし、新宿にあるパソコン教室に週2通うというのを半年間やっていました。

そこの学校は時間を買うというシステムで、300時間を買っていたのですが結局150時間しか消費できなかったです。

どちらかというと塾の自習室のような感じでした。

教材を最初に購入して、それをつかって勉強しながらわからないところだけ、先生に聞くという形でした。そこのパソコン教室で最低限のソフトは扱えるようになりました。

一人暮らしの準備


それと並行して始めたのは一人暮らしをするための親の理解(説得)でした。


土日は自分で大手不動産をまわりはじめていましたが、その当時は今ほど世の中の福祉的な理解はなかったので、まずお店に入るまでが一苦労でした。
お店の前にいっても門前払い的に

「バリアフリーな物件や店舗もバリアフリーではないからゆっくりお話できないので、他をあたってください。」

と言われることも多々ありました。

そこでついカッとなり店員さんと言い合いになって、車イスで店に背をむけて帰えろうとすると肩にパラパラとなにかがあたり、よく見ると塩でした。

店にとって塩を投げつけられる存在だったのです。

そんなことが半年続いたのでその年の暮れに家で両親に相談したことがあります。


「いい加減、NPOでしっかり正社員で働きたいので、一人暮らしをみとめてください。また不動産屋さんにうまく相談にいけないので一緒についてきてください。」

その年明けから土日を使って両親と一緒に不動産屋まわりに、そこから2年間で間取り図を200件、内見を100件以上しましたが、入口等に段差があったり、お風呂場に段差があり、段差解消の軽い簡単な工事をさせてほしい等をいうと、理解が得られずにまとまりませんでした。

ついに一人暮らしが始まる

2003年の夏ぐらいにどこからともなく、母親が今住んでいる分譲マンションが売りに出たからと家を購入する方向で考えてみないという話になり、不動産屋さんをまわりながら並行して、

マンションの施工業者とも話すという状態になり、その年の暮れの頃には賃貸マンションを借りるのはあきらめ、分譲マンションを買って自分が暮らしやすいように、自分でレイアウトするという方向に固まりました。


そして年明けよりエントランスの扉の幅や、オートロックの扉の開け閉めのスピード調整や、様々なことを施工業者及びマンション入居予定者との話し合いをし、なんとか3月末に入居が決定し、そこからヘルパーを使いながら自宅からピストン輸送で荷物を運ぶという形で、引っ越しを進めました。

5月5日からヘルパー制度を活用しながら、実質的には1人暮らしを始めました。

卒業してから5年間が経っていました。

一人暮らし開始で思っていたことと違った事。


一人暮らしを始めて一番最初に思ったことは

「これでやっと自分のやりたい生活をやりたいようにできる

と楽しみと期待が多かったです。

ところが始めてみると実家にいるときは

「喉乾いた、おやつ頂戴、今日のデザートは?」

などというと必ずなにかしらが出てきたのでそれが当たり前に思っていましたが、そういったことをしているとすごく食費がかかって意外に大変なんだなとことに気が付き、いかに母がわたしや兄のために家計をやりくりしながら生活をしていたのだろうと思い知らされました。


あとは障碍者の先輩たちから夜遊び(居酒屋でお酒を飲みにくこと、映画のレイトショーをみる、朝までカラオケなど)も良くしていると聞いていたので同じようなことをしようとすると、

ヘルパーはそういうところに付き合うのは面倒なわけですから、(たとえば夜勤で夜遊びを付き合っていたら、翌日の勤務に差支えがでる等。)意見の食い違いでもめることも出てきたので、生活を謳歌するって大変なんだな、最初考えていたり聞いていた夢に見ていた生活というのは実際にやってみるといろいろと大変なんだなと思いました。

(15年以上たった今でも夜遊びしたい気持ちはあります。)


制限のない生活ができると思っていたけれど実際にはいろいろと制限がある中で生活していかないと生活が成り立たない、また公共料金などの固定費がかなり思っていた以上にかかるのだなと思いました。

一人暮らしをはじめてよかったこと


良かったことは障碍者と考えると絶対数でいうと親が健在のうちに一人暮らしをしているところはなかなかなく、

もし、わたしが60歳くらいから一人暮らしを始めたと仮定して考えると、

家族がいないと自分がなくなったほうがまわりのためになるのではと思ったり、施設にはいったほうが良かったのではないかと考えたりするので、いまほど一般の方とかわらないような生活はできていないのではないかと思うのです。

それが早めに一人暮らしを始めて良かったことなのではないかなと思います。

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