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なんでも屋は燃え尽きない 三日目前半1

「──ちゃん、──ちゃん!」

誰かが俺の名を呼んでいた。

俺はどこかのモールの中にある安っぽい素材の白いベンチに座っていて、隣には黒く塗りつぶされた顔を持つ女が座っていた。

「……だからちゃん付けは止めろって」
「どこか上の空って感じだったけど、なに考えたの?」

俺は女から顔を背け、なにを考えていたのかを思い出そうとした。
モールはそこそこ賑わっているようで、あちらこちらで買い物客がショーケースを眺めたり店に出入りしている。
俺の記憶はどす黒い拒絶感で塗りつぶされていた。

「別に……」
「大丈夫? 疲れてる?」
「別に。俺よりそっちのほうが疲れてるんじゃないのか? 昨日も大変だったんだろ?」
「ぜーんぜん。小悪党が三人だったから全然大したことなかったの」
「そうか」

女の答えに、なぜだか安心している俺がいた。気づいてから奇妙だと思った。無性に煙草が吸いたくなったのでポケットからケースを取り出して、一本抜いて咥えた。
俺がライターを取り出すよりも先に、女がその細く長い人差し指を俺に向けた。指先にホタルのように小さな青白い炎が生まれた。

「はい」
「サンキュ」
咥えたタバコを女の指に近づけて引火。姿勢を戻すと女は真面目ぶった表情で言った。
「美味しい?」
俺はすぐに答えず、煙を口の中でじっくりと転がして唇の隙間から小さく漏らした。煙は静かに地面に落ちて消えていく。ここでは煙は重いようだ。

「まあ……」
「まぁ?」
「まあ……美味いよ」
「よかった。私の炎でつけた煙草だもん。美味しくないなんて言われたら泣いてたよ」
「それは困るな。女の涙は苦手なんだよ」

俺がキザったらしくそう言うと、彼女は「なにその映画みたいなセリフ。全然似合ってないよ」いたずらっぽく笑い俺の肩をつついてきた。
彼女の大きくて丸い瞳は、まるで夜空いっぱいに輝いている星のように綺麗だと思った。陳腐な表現だが俺は本当にそう思った。
そんな彼女につられて俺も少し笑った。驚くほど自然な笑みが作れた。

「それで、これからどうするの?」

少しの間、モールの景色を眺めながら他愛のないこと会話をしていると彼女がそう聞いてきた。
目だけ向けると、真面目な顔に戻っていた。感情豊かな彼女の表情はさながら万華鏡のようにころころ変わる。

「どうって?」
「あの子の依頼のことよ」
「あの子?」俺は聞き返した。
「そう、あの子。元気で明るい女の子」
「ああ……」
俺は短くなった煙草を弾いた。煙草はどこかへ消えた。
「まあ、なるようにしかならないだろな」
「そう……そうかもね。うん、そうだね」

いつの間にか、辺りはすっかり暗くなり静まり返っていた。街頭の明かりが不安定な世界を照らす。
彼女は立ち上がり、白いロングスカートを軽くなでた。俺はそんな彼女を見上げた。

「それじゃあ、私はそろそろ行くね」
「そうか」
「───は、これからも山程大変な目にあっちゃうと思うけど、頑張ってね」
「ああ」
「女の子は泣かせちゃダメだからね」
「まあ」
「それと、自分の体も大切にね。──は喧嘩が弱いくせにすぐに無茶するんだから」
「……善処するよ」

俺はいつものように上辺だけの言葉を吐いた。
しかし彼女はその答えに満足したようで、最後にバイバイと小さく言ったかと思うと、煙のように消えた。
周囲の明かりが一斉に消えて俺は闇の中に溶けて消えた。


いくつかの音が聞こえた。
羽虫がさまよっているような、ゴムがこすれるような、水滴が落ちるような。
匂いがした。消毒液のような。

苦労して目を開けた。
初めに見えたのは、どこかの無機質な天井。右手には白くて薄いカーテンが窓から飛び立とうと苦戦していた。
俺の左腕になにかチューブが刺さっていた──おそらく点滴。毒かもしれないが楽にしてくれるならなんでもいい。

更に苦労して体を起こした。
どうやらここはどこかの病院で、俺は質素だが清潔なベッドに寝かされていたようだ。他にベッドは5つ置いてあるが、俺以外の患者はいない。

「あら、お目覚めですかぁ」

隣の空きベッドの脇にいた、眠そうな目の女がやる気なさそうに言った。手にはハタキとスプレー。看護師だろうか。

「ここは?」と俺は訊ねた。
「ここですかぁ? 地獄ですよー」と推定看護師はどこか楽しそうに言った。
「そうか」

俺はもう一度右手の窓を見た。空は青く、太陽はまだ高いところでのんびりしているようだった。地獄とロストエンジェルスに差はないのだろう。

「それだけですかぁ? ……患者さん、ノリが悪いですねー。ここはイーストダウンタウン病院ですよぉ」と暫定看護師は言った。
「そうか。俺はいつからここに?」と俺は言った。
「昨日の夕方頃ですかねー」
「昨日? ここで一夜を過ごしたって?」
「そーゆうことですねー。お兄さん、見るからに貧乏人って感じですけど、LERSなんかに入ってるんですねぇ。人は見かけによらないってことですかねー」

俺は眉をひそめた。彼女の失礼極まりない言い草はこの際置いておく。
LERS──悪名高きあのロストエンジェルス緊急救出サービス?

「俺、加入してないんだけど」
「そうなんですかあ? 不思議なこともありますねぇ」

と看護師は興味なさそうに言い、スプレーをベッドに吹きかける全神経を集中しはじめた。除菌か消臭剤か、もしやあれで洗濯しているつもりなのだろうか。不安になり、俺にかかっているシーツの匂いを嗅いでみたがよくわからなかった。

結局、看護師はそれ以上は会話をする気はなさそうだったので、俺も自分の仕事に、つまり体を休めるということに集中することにした。
窓をぬけて春らしい心地よい風が肌をなでて眠気を誘う。久しぶりの平穏がここにあった。なにかを忘れている気がするが、それすらもすぐに忘れた。

そうして、清潔なシーツの下でしばらくウトウトしていると、
「それでは、後で先生がいらっしゃると思うのでぇ、それまでのんびりしててくださいねー」
と看護師が相変わらずやる気がなさそうに言って去った。先生とやらが来るまでもう一眠りしよう。

「調子はどう?」

俺の眠りを妨げる声。忘れていたかった記憶が蘇る。渋々薄めを開けた。
窓のふちに座るヤエは逆光でギリギリまで透けている。今日は昨日と同じ服装。
俺は上半身をおこして大げさに肩をすくめた。

「見ての通りさ」
「大丈夫そうね」

とヤエが俺をちらりと見るとそういった。亡霊からしたら、死んでないというだけでだけで”大丈夫”なのだろう。

「……そうだな。そういえば、あの後どうなったんだ?」

どうせ眠れないことは分かっていたので、退屈な時間を潰しがてら『魔法少女vs銀行強盗時間無制限一本勝負』の結末を知ることにした。

「あんたが銀行強盗のひとりと仲良くふっ飛ばされた後?」とヤエは明らかに小馬鹿するように言った。
「……そうだ。俺と銀行強盗が、どこぞのオタクちゃんが好きな魔法少女ナントカのゴム弾でふっ飛ばされた後の事だ」と俺は小馬鹿するように言った。
「なっ……オタ……!?」
「どうした、オタクちゃん?」
「オタ……オ、オタタ!?」

ヤエは陸に打ち上げられた金魚のように口をパクパク動かし、震える声でオタオタ言っている。顔が急激に赤く染まっていき、おぼろげな太陽がカーテンに浮かんでいるようだと思った。それを見ていると気分が少し良くなった。大人げないって? そのとおり。

「まあ、そんなことはどうでもいいから、あの後なにが起きたかと俺がここに寝ている理由も知ってたら教えてくれ」
「…………」

突然、向かいのベッド脇の小机に置かれていた花瓶浮いた。俺はすぐに、これからなにが起きるか細胞レベルで理解した。だが、不幸なことに、全身筋肉痛だったので体の動きはすこぶる鈍かった。

「あのさ、それ一日一回しかできないんだからさ、ここぞってときまで取っておいたほうが──」
「──クソ野郎!」

真っすぐ俺の顔に向かって無回転で飛んできた。側面に描かれている赤い花が妙に印象的だった。ストライク! 
俺の意識は飛ぶ直前に、その花が彼岸花だと分かった。


「うん、もう大丈夫そうだね。じゃ、出てって」

診察室に呼ばれて三十秒、俺のことを一瞥しただけで出した先生とやらの答えがこれ。
どう考えても業務放棄としか思えないのだが……なにかを言う気力も沸かなかったので、一瞥しただけで何もかもわかってしまう名医なのだろうと思いこむことにした。たとえそれが、無精髭を生え散らかし、寝癖がついたままで、手に持っている消毒用エタノールと書かれたラベルが付いた容器に、カラフルなストローが刺さっていてたとしても……俺はそう思い込むことにした。
実際、その頃になると体の痛みはだいぶ引いていたし。

俺としてはもうしばらくここで休んでいたかったので、その旨を伝えたら「あっそう? 別にお金さえ払ってくれればいいけど。保険はきかないよ」と言われたので、やむなく退院することにした。
「保険なんて入ってるに決まってるのにね?」とヤエが言ってきたが無視した。富裕層のガキめ。

どこかしらに怪我を負っているわりには元気そうな暇人共を眺めながら受付前の待合所を通りぬけて外に出た。

陽の光を浴びた瞬間、腹が鳴いた。思えばまだ昼食どころか朝食、いや、昨夜の晩飯も食べていないのだ。

空腹を紛らわせるために煙草を吸おうと、コートからケースを取り出して蓋を開けた。一本しか残っていなかった。
一瞬の自問自答の末、虎の子の一本は大事にとっておくことにした。いつ何時なにが起こるかわからない。
と言っても、どこにでもある安物なのでいつでも補充はできるのだが。

適当なダイナーにでも寄ってから帰ろうと考えながら駐車場にいき、相棒のマイカーは無いことに気づいた。受付に戻って尋ねてみたが「知りません」とそっけない返事が帰ってきただけ。
つまり、今もまだ銀行の駐車場で惰眠を貪り食っているのだろう。

病院入り口脇にかかっていた地図をみて、イーストダウンタウンバンクはそう遠く離れているわけではないことが分かった。二時間程度歩けばいい。うへぇ。
考えただけで嫌になるが、考えているだけじゃ物事は解決しないことを知っているので、ため息を一つだけついてから、劣化の激しい歩道の上を歩いていくことにした。

「ほら、おじいちゃんに会いに行くでしょ?」
いつの間にか隣に浮かんでいるヤエに、俺は顔を向けずに答えた。
「その前に飯。その後車を取りに行って時間があればな」
「ご飯ね。いいね、ご飯が食べられて」とヤエ。
「まあな」と俺。慣れたもんだろ?

ひとしきり大通りに沿って歩き、銃弾が飛んできたりチンピラに絡まれたり隕石が降ってきたりしないことを確認してから裏路地に入った。
近道だと思ったし、良い感じに日陰ができているし、ここならヤエと会話をしても疑いの目を向けられる心配がないと考えたから。
実際、無造作に散らばっている空き瓶やチラシといったゴミと、隅っこで死んでるのか寝てるのかわからないホームレス風の男が一人いるだけ。若干の異臭は気にしない。

「で、あの後なにがどうなったんだ? おじいさんは?」と俺は、なぜか塀の上を歩いているヤエに尋ねた。
「そうねぇ……」

両手でバランスを取りながらヤエは思い出そうとしているようだった。亡霊は脳がないはずだが、いったいどこで物事を記憶しているのだろうか。

「あんたが気絶してからだけど……見える範囲から銀行強盗が全員いなくなって、私達とジャスティ……あの強い女の子だけになって……あの子は『正義は成されたようね。さらば!』って言って出ていったわ」
「天井の穴から?」と俺は言った。
「天井の穴から」ヤエが同意した。「で、皆これからどうしようって雰囲気になったときに、入り口が外から壊れてようやく警察が入って来た。たった二人だったけど。しかも一人はドーナツ食べながら」
「警察はドーナツが好きだからな」
「そういうことじゃないでしょ。……それで、その後は警察が怪我人はいないかとか、犯人はまだいないかを調べて終わり」
「えっ、終わり?」
「そ、終わり『これから調査のために一旦ここを封鎖するから出てけ』ってみんな追い出されたの」
「警察は威張り散らすのが好きだからな」

そうこう言っているうちに大通りに出た。ナイフを持って突進してくるやつも、口を開けて飛んでくるサメもいなかった。歩道をわたり──暴走自動車が突っ込んできたりもしなかった──再び裏路地に入る。
やはりそこら中にゴミが散らばっていて、こんどは人の代わりに汚れたイヌが気持ちよさそうに寝ていた。

「それじゃ、おじいさんは無事に帰れたのか」と俺は訊ねた。
「そうね。あんたと銀行強盗以外は誰も怪我してなかったわ」
「それはなにより」

ヤエがイヌのそばでしゃがみんだかとおもうと、おもむろになで始めた。
イヌが気持ちよさそうにしっぽをパタパタと振った。たまたまタイミングが重なっただけだとは思うが、動物的な超感覚で何か感じているのかもしれない。

「それじゃあ、俺を病院に送ったのは誰か分かるか? その、LE……ロストエンジェルス緊急救出サービスの枠を使ったんだと思うんだけど」
「その何とかサービスは知らないけど、あんたを病院に運んだ変な人達を呼んだのは、たぶんおじいちゃんだと思うわ」とヤエはイヌをなでながら言った。イヌが気持ちよさそうな寝息を立てる。
「へえ? なんで?」
「知らないわよそんなこと。どうせ会うんだから、直接聞きなさいよ」
「そうだな」会うことができたらの話だが。

ヤエはイヌを撫でつづけている。俺はなぜか歩みを止めてその様子を眺めている。そこに、俺が望んでいるものがあるかのように。平穏とかそういうやつ。もちろん、汚れた裏路地にそんなものがありはない。
緩やかな風が裏路地を通り抜けた。生ぬるくて少々不快な匂いとともに飛んできた紙ゴミが、イヌの背中へばりついた。ヤエが取り除こうとしたが、手が犬まで貫通した。代わりに俺が取ってやった。それはピザのチラシだった。俺の腹が鳴いた。そろそろ腹と背中がくっついてしまうだろう。

訴えかける腹を手で押さえながら歩みを再開した。後ろで「バイバイ」とヤエが言ったのが聞こえた。ようやく肩の荷が下りたかと思ったが、残念ながらイヌへの挨拶だった。

飢えた野良犬となった俺の前に現れたのは〈フレッシュ80sダイナー〉だった。外観は暗くて小汚い、ただ腹をふくらませるためだけに訪れるような店。俺は腹をふくらませるためだけに店内に足を踏み入れた。

塩をまぶしただけのサンダルの底のようなステーキとミイラの指のようなポテトを無理やり腹に詰め込んで店を出た。
ヤエの評価は「よくこんな物が食べられるわね」だった。

口直しもかねて食後の一服──虎の子の一本を使うに値する食事だったということ──に洒落込もうとした。

が、タイミングを見計らったように俺の目の前で静かに停止した、黒いボックスカーに意識をもっていかれた。スモークガラスで中の様子は伺えない。一見地味なだけの車だが、妙な威圧感を感じた。

車の後部ドアが開き、死人のように肌が白く、灰色の髪を後ろで一つに束ねている男が降りてきた。
場末のダイナーとはこれっぽっちもマッチしない、高そうなパリッとした黒いスーツスタイル。靴も値が張りそうだ。だが、全身からほとばしる気だるげなオーラがすべてを台無しにしていた。皆疲れているのだ。

男はその場から動かず、これまた高そうな銀縁眼鏡の奥からまぶたが半分閉じた目を俺に向けている。念の為振り返ったが、誰もいなかったので、男は俺を見ているのだと確信した。
俺は身に覚えがないし関わりたく無かったので、そそくさと立ち去ろとした。

「”なんでも屋”さんですね?」
と言われて、思わず俺は振り返ってしまった。すぐに、これでは肯定したのと同じことだと気づき後悔した。

「……人違いだけど」
俺はおそすぎるフォローを入れたが、当たり前のようにスルーされた。
「どうぞ、お乗りください。親父があなたに話があるそうです」
「いや……そもそも、あんた誰?」
「いえ、そうおっしゃらずに」
「そもそも親父って誰?」と俺は尋ねた。
「それは、お会いしていただければわかりますので」
「悪いけどさ、これから予定があるんだよね。また今度──」
「ゴチャゴチ言ってねえでさっさと乗れよ」

男はそう言いながら、自然な手付きで黒スーツの懐から黒光りする自動式拳銃を取り出して俺に向けた。そこらのチンピラが振り回すようなチンケな粗悪銃とはモノが違う。狙いを定めて引き金を引いたらまっすぐ銃弾が飛んでいくようなもの。

「な?」と男が妙に優しい声で言った。
「わかったよ……」

俺が乗り込むと、男とヤエが反対側から乗り込んだ。すぐに自動でドアがロックされ、高級車らしく静かに発進した。
向かう先は天獄か地獄か。ま、どちらも対して変わりはない。


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