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なんでも屋は燃え尽きない 一日目

「残念だけど、楽しいお遊びもこの辺にしておこうかな。僕も色々忙しいんだよね。何でも屋君、死んでも化けて出ないでくれよ」

豚野郎は下卑た笑みを残し部屋を出ていった。
残されたのは俺だけ、聞こえてくるのは俺の息遣いのみ。静かなもんだ。

死刑囚が座らされるようなイスに座り続けているせいで尻が悲鳴を上げている。しかし、両手は肘掛けに手錠でガッチリ。両足も何かで固定されているせいで動くことができない。ガチャガチャ。ほらな?

それじゃあ、大声で助けを叫ぶか? まあ、無駄だろう。豚野郎は防音だと言っていたのを覚えている。
「ぉぃ……」
ほらな。そもそも声が出ない。喉が溶接されているようだ。

それだけじゃない。さっき打ち込まれたカクテルドラッグが全身を蝕んでいる。街で出回っているブツとは段違いの劇薬。長らく味わっていなかった酩酊感。
クラック? アンフェタミン? あんなのはガキのお菓子だ。
悪寒。吐き気。ゲエッ。頭痛。発汗。痺れ。世界がグワングワンと揺れる。大怪獣がロストエンジェルスを揺らしている。

ヤエは大丈夫……大丈夫なわけがないだろう。ボケているのか。豚野郎が行儀よくダンスを踊りに行ったとでも?
アソも生きているかどうかわからない──そもそも神は死ぬのか? 
とにかく、今、状況を打開できるのは俺だけ……しかし、どうやって? 分かるはずもなく。

ガチャリガチャリ。頑丈な手錠。たとえおもちゃだったとしても今の俺には外すことができないだろうが。

オエッ。えずくが何も出てこない。喉が痛い。水がほしい。

涙の浮かぶ目を瞬かせる。二回、三回……。

緑色の受話器が宙に浮いている。

幻覚だ。わかっている。とうとう俺も底まで落ちたらしい。

受話器が喋りだす。

幻聴だ。

受話器から文字が出てくる。まるでカートゥーンじゃないか。ハハッ。

『ここで朽ち果ててしまうのだろうか』『グワングワン』「脱出するには」『あんたを信じているから!』「勘弁してくれ」『何でも屋どの、ヤエどのをお願いします!』「荷が重い」『ヤエとアソの姿がぐにゃりと曲がって混ざる』「頼むから静かにしてくれ」【赤髪の女】「手を伸ばそうとする俺」『女はすぐに』』煙になって』』』消えた』』』』

ガチャリ……ツーツー……。

数日前

プルル、プルル。

頭痛と共に起床。
安物のバーボン・ウイスキーとソイソースヌードルとジョイントの混ざった匂いが鼻腔を犯す。オエッ。最高の朝だ。

プルル、BANG、プルル。

枕元に転がっているジョイントを手に取り、指先で着火。
下水道の底に沈殿しているヘドロで長いこと漬けた雑草のような香り。
L.A.クッシュ。1gで100イェンの安さは伊達じゃない。

テレビ画面の奥では、若い女が真面目な顔でニュースを読み上げていた。
銀行に立て籠もった元ヒーローを魔法少女が射殺した。刑務所から殺人カニが脱走した。小型UFOがホーリーワードに墜落した。etc...
天気予報によるとロストエンジェルスは今日は晴れ。すべて世は事も無し。
プルル、プルル、ブツ。
俺は電話が切れた後の静寂が好きだ。

ジョイントを床に投げ捨て、そのまま二度寝の体制に入った。
しかし、そのささやかな望みは叶わなかった。いつものように。

「なんで電話に出ないのよ!」

その女は、俺と天井の間に割って入る様にして現れた。
女は宙に浮いていて若干透けていた。幼い顔に貧相なスタイル。長い黒髪と白いドレスが、水中を漂っている様にゆらゆらと揺れている。

亡霊/幽霊/悪霊/守護霊=面倒くさいもの。

「出なきゃいけない法は無いはずだが。それよりあんた、不法侵入してるよ」
「ふん。私はもう死んでるからそんなの関係ないわ」

コイツラはいつも現世から開放されたと言いつつ現世にしがみつく。
天国は満員なのだろうか。

痛む頭を揉みながら新しいジョイントに着火。
紫煙と亡霊。実と虚が混ざる。

「ねぇ、煙草消してくれない? 嫌いなのよね」亡霊が顔をしかめた。
「亡霊に嗅覚があるとでも?」
「嫌いなものは嫌いなの」
「へぇ」これ見よがしに一服「で?」
「で? って?」小さく首をかしげる亡霊。
「要件」
「……ああ。あんた、何でも屋なのよね?」
「まあね。やらないこともあるけど」

女が潰れた虫を見るような視線を向けてきた。
お返しに、ジョイントを宙に弾いて亡霊の目の前で小爆発させてやった。

「キャッ! ……ちょっと! 何すんのよ!」
「ちょっとした手品に驚きすぎじゃないか?」
「なっ……何が手品よ! 今、大事な話を──」

更にもう一本ジョイントを手に取り、亡霊に向けて同じように飛ばす振りをしたら「キャッ」っと驚声を残して白い靄が消えた。
俺の平穏が戻ってきた。外でどこぞのバカ野郎が祝砲をあげた──悲鳴のおまけ付き。
ジョイントを元あったところに投げて、今度こそお休み。

…………!

全身の神経がざわめいた。死神の角張った髑髏の手で撫でられる感覚。
なにが? と考える前に身体が勝手に動く。
ベッドから落ちてうつ伏せで着地。床に転がっていたゴミ共とハグ。
「いてえ」

頭の上で誰かの舌打ち──誰かだって? 今日はまだ登場人物が二人しか出てきていないじゃないか。

「危なっ」
「ふん」

ゆっくりと立ち上がり、それでも俺より高い位置にいる亡霊に問いかける。答えはかえってこない。
が、答えはすぐにわかった。ベッドの枕元、ついさっきまで俺が頭が転がっていた位置に、普段使っている包丁が突き刺さっていたからだ。

「一応訊いておくけど、包丁ってのは、料理に使うものだって教わらなかった? それに、ベッドは料理の材料ではないって知らなかったのかな?」
俺はできの悪い生徒に意地悪な質問をする教師のように言った。
「ベッドじゃなくてあんたを狙ったのよ」
「つまり、俺が食材だと思ったと?」
「うるっさいわね。あんたのその人を喰ったような言い方、ほんっとムカつくわね!」
「そりゃ、失礼っと」

スウェットについたホコリとゴミを払い、手のひらに刺さったガラス片を抜き、傷口に力を走らせ不自由がない程度に焼いて消毒。
ゆっくりと部屋の中央に移動し、事務デスクの前に腰掛けた。
亡霊からの二撃目はなし。ただし、背中に鋭い視線。呪殺でもしようとしているのか。

「ま、座りな。話ぐらいは聞くさ」デスクのゴミを払い落としながら言った。
「……なによ、急に」
「サプライズのおかげで目が冴えたから」
「なにそれ、本当に訳わかんない……まあ聞いてくれるってならいいけど」

亡霊が俺の頭上をこえてデスクの向かい側に置いてあるパイプ椅子に座るフリ。死んで間もないやつらしい。

俺はボトルに入ったままのぬるい水で喉を潤し、相手先にが口を開くのを待った。

「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はハザクラ・ヤエ。少し前まで女子高生だったわ──」

こうして、俺はいつものように災難契約書にサインをすることになった。


その屋敷は、銃声も罵声も聞こえない、高級住宅が立ち並ぶバリーヒルズに存在していた。
大きなアーチ状の門、手入れされているであろう庭園、荘厳な屋敷の三点セット。+αで数え切れないほどの調度品の数々。

こういった場所に訪れるたびに思うことだが、もしこの場で場違いコンテストが開催されたなら俺はいいところまでいけるだろうな。

ふと、俺自身から悪臭がしている錯覚がした。袖を顔に近づけるとクリーニングに出したばかりのヨレヨレのスーツからは独特の香り。まぁ、大丈夫だろう、多分、おそらく。

「何してるのよ。さっさと行きましょう」ヤエが言った。
「その前に一つ訊いていいか?」
「なに?」
ヤエが俺を見る。俺は先程から門の脇に立っている肌の黒い大男を顎で指す。ヤエが大男を見る。大男は俺から目を離さない。俺はヤエに視線を戻した。

「あれ、誰?」
「あれ? あれはガードマンのマイクよ」とヤエが言った。
「へー、マイクね。でかいな」
「元ボクサーらしいわよ」
「へー……」
 
俺はふたたびマイクに視線を向けた。マイクは腕を組み、どう贔屓目に見ても友好的だと受け取れない目つきで俺たちを睨んでいる。
体重はおそらく俺の倍。食い物の差か。上等の酒と肉と女を嗜んでいるのだろう。

「すごい睨んでくるんだけど」俺は言った。
「大丈夫よ、ああ見えて、仕事熱心で真面目だから。ほら、早く行きましょう」

ヤエはそう言って、道を渡り、いとも簡単にスーッとマイクの横を通り抜け、門をもすり抜けて、庭園の中に入っていった。
仕事熱心で真面目ということは、俺にとってマイナスでしか無いということを理解しているのだろうか。

道を横切り、屋敷に近づく。両手はマイクに見える位置、噛まれないように少し距離を開けておく。 
「へい、マイク」
感じの良い笑顔を顔に貼り付けて友好的な挨拶。どこからどう見ても非の打ち所のない動きだと思うのだが、マイクの返事は「ノー」。さもありなん。

それでも、笑顔を崩さずにゆっくりと一歩近づと、
「ノー!」
片手を前に出して先程より強い拒絶の態度。ガードマンの鏡のような男だ。

「なぁ、マイク。俺は怪しい者じゃないんだ」驚くほど白々しいセリフ。「ヤエさんについて耳に入れたいことがあってな。通してくれないか?」
「お前は誰だ?」とマイク。
「俺? 俺は街のなんでも屋さんだよ」と俺。
「そのなんでも屋が何を知っている?」
「ねー、まだ?」とヤエ。
「ちょっと待ってろ。いま、このデカブツを説得するから」と俺。
「なんだと?」マイクの頭に青筋。
「あ、ごめん今のなし。こっちの話だから、違うって……」

俺は失言を謝ったがマイクは無しにしてくれる気はないようだ。握りこぶしが恐ろしく大きい。
このまま第一ラウンドが始まったらまず開始5秒でKO。俺は選手生命を絶たれ、酒に溺れて……やめやめ。

「なぁ、落ち着けってマイク。俺はただ平和的に──」

マイクが地を滑るような素早いステップ距離を詰めてくる。いつの間にかゴングが鳴ったらしい。俺はとっさに両腕を上げる。

カーンカーンカーン! 試合終了の合図を告げるゴングが鳴った。どこで? 俺の脳内で。
下馬評通り、マイクの1ラウンドKO勝利。切れのあるステップからの顔面へのパンチ。弾ける星。小綺麗な石畳に俺というゴミが投げ捨てられた。ガード? 間に合うわけがない。 

「ちょっとちょっと、何やってるのよ」ヤエが俺を見下して言う。
「……コミュニケーションってやつだ。異文化交流といったほうが……正しいかもしれないが」
「全然カッコよくないけど」

俺はヤエ越しに青い空を眺めた。それしかできなかったから。立ち上がるまでもう少し時間が必要だった。空は広く澄んでいて、なぜ俺はこんなところで寝転がっているのだろうと思った。……やれやれ。

たっぷりと5分は寝転がっていた。その間、ヤエがあれこれ話しかけてたが一切耳に入ってこなかった。空を自由に飛ぶ鳥が少しだけ羨ましく思った。

よろよろと立ち上がりる俺を待っているのは、腕を組んで直立不動のマイク。場末の酒場ではありふれた光景。主演はマイク、チョイ役が俺。

「ナイスファイト」
俺の精一杯の強がりは、清潔なしかしどこか寒々しく感じる景色の中に虚しく消えた。

「さっさと失せな」とマイクが吐き捨てた。
「また来るよ」

また来る。俺は時折、俺自身ですら信じられないセリフを吐くことがある。いつから俺は仕事熱心ななんでも屋になったんだ? しかし、おそらく……俺はまたここに来ることになるだろう。

「ちょ、ちょっと何言ってるのよ!? 約束……じゃなくて依頼がまだすんでないじゃない! ねぇ!」

ヤエの叫びを背に受けながらその場を去る。とにかく今は俺が俺でいられる場所へ戻りたい。俺の混沌とした部屋、【ブラッドのグリル&バー】、なんならそこらへんの路地裏でもいい……。

すれ違う高所得な奴らが、例外なく胡散臭そうな視線を向ける。そいつらが散歩させている犬が吠える。その時、無性に腹が立っている自分に気がついた。どうやら、俺は柄にもなく荒んでいるようだ。さもありなん。

愛車を止めた場所までは、とてつもなく長い道のりに思えた。

「ねぇ! 一体どうする──」
周りに人気がなくなったところで、いっこうに止まる気配のないヤエのマシンガン癇癪を遮った。「少し黙ってくれ」
「なっ!」
「頼むわ、頭に響くんだ」
そう告げると、以外にもヤエは俺の希望通りにしてくれた。

不躾な視線も五月蝿い小言もなくなったおかげで、少しは気分が増しになった。更に良いことに、愛車までは後少しというところまで差し掛かっていた。
が、だ。厄介事は常に俺を待ち構えているということを忘れてはならない。

俺のような一般市民が誰の視線も気にせず歩ける大通りに出た所で、制服の警察官が俺の相棒──ジャパン製の青い中古車──へ駐車違反チケットを切っているのを見かけた。

アパートには、日が暮れた頃に帰還。その頃にはマイクに殴られた痛みはほぼほぼ引いていた。
違反金は明日銀行へ行き振り込むことにし、今日はもう寝ることにした。
ヤエはというと、「暇だから遊びに行ってくる」と言うなり消えた。戻ってこないでくれと心の底から願う。まぁ、かなわないだろうな。

最低限の衣服を身に着けた状態──つまり、パンイチでベッドに寝転がると、途端に睡魔に包まれた。身体は鉛をまいたようにずっしりとベッドに沈み込む。まぶたが恐ろしく重い。そして、俺はようやく二度寝へ……。

プルル、プルル。

嘘だろ? 今日一日で俺はひどく痛めつけられた。そして、まだ俺を痛めつけようとする輩がいるというのか?
鈍った脳みそで電話機を窓の外へ投げ捨てるか無視を決め込むか天秤に図る。デスク上で電話機が震える。

──結局、32コール目で受話器を取ることにした「もし」
「よー、なんでも屋。俺だ。今忙しかったか?」
聞き覚えのあるガラガラに枯れはてた男の声。ナントカカントカってチームのスーパーヒーロー。名前は思い出せない。頭に霧がかかっている。
「いや……寝ようとしてたところ」
「こんな時間にか? おいおい、いい子ちゃんにでもなるつもりか?」
「俺はいい子ちゃんだよ。その証拠に、あんたらに追い立てられたりはしない」
「たしかにな」
ガハハと笑う男。その笑い声を聞いて出会った頃の記憶が蘇りそうになる。思考をシャットダウン。
「ところで、要件は?」と俺はあくびを押し殺して言った。
「ん? ああ、それな。今よ、相棒とちょっと言い争いってほどでもないんだけど意見の食い違いがあってよ、第三者の意見を聞きたいと思ってよ」
「それで俺?」
「なんでも屋なら嘘はつかねえと思ってよ。そうだろ?」
「そうだよ」ということにしておいた。「それで?」

「ああ、映画でよ、本筋に関係ない雑談シーンがあったりするだろ? くだらねえジョークを言ったり応援してるベースボールチームについて熱く語ったり……そんなやつよ。俺は好きなんだけどよ、相棒はそんなシーンは邪魔なだけだって言いやがるんだよ。──なんでも屋はどう思う?」
「…………」
恐ろしくどうでも良い質問で、身体から力が一気に抜けていく。いや、映画好きにとっては人の睡眠を邪魔してでも尋ねる価値があることなのだろう。

「どうした?」とガラガラ声。
「すまんが、俺はあまり映画を見ないからどっちがいいってのは答えられないな。強いて言うならどっちでもいい」
「ああ? この街に住んでてあまり映画を見ないだぁ? ……ま、趣味は人それぞれだわな」
「わかってくれて嬉しいよ。ふぁ」大きなあくびが漏れた。限界が近い。「用はそれだけ?」
「ああ……いや、一つ伝えておこうと思ってな。──明日から数日間、ロストエンジェルスの銀行には近寄らないほうがいいぞ」
「わかった」
「それだけだ。じゃあななんでも屋、暖かくして寝ろよ」

ツーツーツー。受話器を戻してまぶたを閉じた。俺はすぐに闇の中に落ちていった。奴が言ったことはすぐに忘れた。


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