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わたしは猫を飼っていない

 わたしは猫を飼っていない。別に言葉遊びをしているわけではない。つまり、猫に飼われているわけでもない。
 猫はどちらかというと好きな方だ。白も黒も三毛もかわいいと思う。その自由な生き方には羨望を覚えないでもない。
 ならなぜ飼わないか。生活の基盤、生き物を飼う覚悟、色々問題はある。
 しかし、一番の要素。それは、わたしの周りのいたるところにネコはいるので、わざわざ飼おうとは思わないということ。ただ、それだけの話だった。

 目覚まし時計のアラームが鳴る前に、寒さで目が冷めた。
 今朝は一段と冷え込んでいた。秋は気がつかない内に来て、気がつかない内に去っていったようだ。
 うとうとと、寒さと眠気で夢の世界にリターンしそうになっていると、布団の中で、もぞもぞと小さいものが動くのを感じた。毎年のことだが、気温が低くなると毎朝ネコたちが布団の中に入ってくるのだ。
 おとなしく寝ていてくれと思っていると、ネコたちは体の周りを駆けまわって暴れはじめた。こうなると、もうダメだ。仕方なく布団から出ることにする。
 わたしが布団を出ると、ネコ達はおとなしくなった。わたしの睡眠を邪魔したいだけなのかもしれない。小悪魔。トリックスター、いたずらっ子。かわいくて憎らしい毛玉。
「うー、さぶ」
 右足で左足を踏み、両手をこすり合わせる。身体が勝手に少しでも熱を作ろうとしている。
 部屋の中は静かだ。中央のこたつ机に小型のノートPCと小物、部屋の隅にクローゼット。ネコはどこにもいない。

 外はもっと寒かった。冷気が厚手のコートごしにわたしの身体を刺す。わたしにもネコのような毛皮が生えていればよかったのに。
 大学のキャンパスへ向かう途中、あちらこちらでネコを見かけた。いつものことだが、人もネコもお互いに干渉しようとはしない。ネコたちは景色の一部として溶け込んでいた。
 歩道を歩いているわたしの足元を一匹のシロネコが通り過ぎた。そして、冷たくて強い風が襲ってきたと思ったらシロネコは空高くに飛び立ってしまった。そのまま道路をはさんだ反対側の歩道に着地して、何事もなく歩行を再開していた。よくあることだ。
 交差点にさしかかった時、ミケネコがゴロゴロ転がりながら赤信号を渡っているのを見かけた。ハラハラしながら見ていたが、ミケネコは上手く車の間をすり抜けていった。わたしは胸をなでおろした。
 すぐに信号が青に変わった。ネコよ、これが正しい渡り方だ。わたしは見せつけるように堂々と横断歩道を渡った。辺りにいるネコはわたしに、一ミリも関心を示さなかったが。

「あー! ネコが欲しい!」
 お昼休み、わたしは学友と学食端のテーブル席で時間を潰していた。アイコが女性用雑誌――表紙にはでかでかとネコ特集と書かれている――から顔を上げていった。
「飼えばいいじゃん。アイコは実家暮らしでしょ?」と、ユウがいった。
「お母さんが猫アレルギーだから……」
「ご愁傷様」
「何よその返事! もっと気の利いたセリフはいえないの?」
 盛り上がる二人――というかほぼアイコ――をよそに、わたしは窓の外を見ていた。視線の先、クロネコが歩道と花壇の間、影がかかった溝で寝そべっている。
「ねえアイコ、クロネコは好き?」わたしは訊いた。
「え? もちろん好きだよ! なんで?」
「すぐ外で寝てるから。クロネコ嫌いな人もいるらしいしどうかなって」
「え!? どこどこ?」
 わたしはクロネコが寝ている方を指さした。アイコは腹ペコオオカミが獲物を探すような視線で猫を探していた。アイコは自他ともに認めるネコジャンキーだ。こうなると誰にも止められない。
「どこ? どこ!?」
「ほら、あそこだって。花壇の手前の溝」
 わたしはアイコの持ってきた雑誌に視線を落としながらいった。
「え? どこ? いなくない?」
「どこかへいっちゃったんじゃない?」
 アイコとユウがそういうので、わたしは顔をあげてクロネコがいた場所を見た。確かにクロネコはいなくなっていた。
「いなくなってるね」
「ショック!」
 アイコはテーブルに勢いよく頭突きをした。水の入ったコップが揺れる。アイコはネコが好きな割に探すのが下手だ。好きすぎて視野が狭くなるという典型的な例がこれなのかもしれない。
 時計を見ると、午後の講義が始まる少し前だった。
「ヤバッ。それじゃ、わたしは行くね」
「あい。また後で」
「次にネコを見つけたらもっと早く教えてよね!」
「はいはい」
 わたしは早足で教室へ向かった。食堂のすぐ外の暗がりで、先ほど見かけたのとは別のクロネコが寝そべっていた。ほら、ネコはどこにでもいる。

 チャイムと同時に、単位を取るためだけの退屈な講義が終わった。わたしは口の端から漏れかけていた分泌液を拭った。他の学生は我先にと教室から出ていっていた。
 毎度のことだが、講義後の教室にはネコが多い。二つ前の長机の上にも数匹いるし、壇上手前の段差にも一匹もたれかかっている。ネコが好き勝手しているキャンパスとして売り出せば超人気大学になるかもしれない。
 そんなことを思いながら、入口付近がすくのをボーッと見て待っていると、ある学生がとても小さなシロネコを落とすのが見えた。その学生は気がつかないまま教室から出ていってしまった。シロネコはしばらく床で小さくなっていったが、さっきまで退屈な講義をしていた教授が気がついて持っていった。
 確か、先週も小さなシロネコを拾ってたのを見た。もしかしたら研究室にネコが大量にいるのかもしれない。一応アイコにその旨を伝えておこう。
 ゼミは来年から。できれば楽な所が良い。ネコみたいにだらけていられるような。

 夜はクロネコの時間だ。灯りがあるところクロネコあり。おそらく熱に集まっているのだろう。今夜もすごく冷えるしね。
 行きつけのドラッグストアの入り口両脇には、大きなクロネコが座っていた。
 初めてみたときは腰を抜かすほど驚いた。しばらくすると、彼ら――彼女ら?――は何もしてこないことがわかったので、安心した。おそらく、この店の番人ならぬ番ネコのような存在なのだろう。それか警備員。そうでなければ用心棒。はたまた守り神か。
 番ネコに軽く会釈をしてから、店のトビラをくぐった。
 店内はとても明るい。つい数分前まで暗い夜道を歩いていたので、目がチカチカする。売り物のカガミにわたしの顔が映し出された。目の瞳孔が細くなっている。カガミよカガミよカガミさん……いや、なんでもないです。
 店内をゆっくり回り、食器用洗剤一本、牛乳一パック、ホットなブラックコーヒー一缶、サバの水煮缶を十缶、後、適当に目についた甘いお菓子をかごに入れてレジへ向かった。運よくレジには先客がおらず、顔なじみのお姉さんが暇そうな顔をしていた。
「いらっしゃいませ。――あら、こんばんは」
「こんばんは」
 ピッピッピッとリズミカルに商品がレジを通る音。
「あら、またサバ缶をこんなにも。好きよねえ」
「ええ、まあ」
「体にいいしいいことよね。はい、ソレじゃ2,560円ね」
「3,000円からで」
 カチャカチャカチャ、チーン。レジの音
「はい、ソレじゃ440円のお返しです。ありがとうございました。またね」
 買い物を終えたわたしは、番ネコの無言の見送りを背に、ホットコーヒーを握りしめながら帰路についた。

 自宅、真っ暗な部屋でネコ達の光る瞳がわたしをじっと見ていた。
「ただいまー」
 返事はなかった。
 電気を付けると、ネコ達は一斉に隠れた。
 買ってきたものをしまい、こたつ机に足を入れ、PCの電源を入れる。リラックスタイムの始まり。飼ってきたお菓子をテーブルにばらまく。
 いやぁ、ブラックコーヒーと甘いお菓子のあうこと。一口お菓子をかじってブラックコーヒーを啜る。至福のひととき。 
 何気なくPCの時刻表示をみると、21時を少し過ぎていた。
「あっ、忘れてた」
 大事なことを思い出したわたしは、冷蔵庫にしまったばかりのサバの水煮缶を全部取り出して、大皿の上に開けてほぐして上から鰹節を少量まぶす。そして電子レンジで少しだけ温めた。
 チーン。
 ほんのりと湯気が立つそれを、部屋の隅に置いた。そしてこたつに戻り、部屋を暗くした。部屋の空気が変わり始める。
 バリ、ガキ、ゴリ、ボリ。
 そして、部屋中のネコがサバの水煮に殺到した。姿を見えているわけではないけれど、気配でそれがわかる。物騒な音がするのは気にしないことにしている。だって怖いじゃん。
 時間にして3分ほど。私は、暗闇の中でのんびりとコーヒーを啜って待つ。
 バリ、ガキ、ゴリ、ボリ。
 コーヒーが空になったタイミングで「にゃー」と大きな鳴き声が聞こえネコの気配が消えた。食事が終わったのだ。
 灯りをつける。部屋の隅には、きれいに空になった大皿だけが残されている。
 大皿を片付けて、残ったお菓子をしまう。今日はもう特にやることもないので、シャワーを浴びてさっさと寝ることにした。余談だが風呂場にはネコは現れない。
 布団に入り、灯りを消す。明日も寒くなるらしいから、朝になったらまたネコ達が潜り込んでいるだろう。
 わたしはそうなることを少し期待して、すぐに眠りについた。

 わたしは猫を飼っていない。しかし、ネコ達と暮らしている。だからわたしはわざわざ猫を飼おうとはしない。ネコは、わたしにしか見えないが何も問題はない。皆、かわいいやつなんだ。

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