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BuckTo1998 グラスワンダー

こんばんは、竜神です。基本的に現在進行形の競馬の話をしている訳ですが、竜神もそれなりのキャリアのある競馬ファンでもあります。個人的には昔の競馬は熱かった、と思う気持ちも大きいので、その熱かった時代に思いを馳せてみようかなと思いました。

20世紀最後の3強

競馬でよく使われる言葉に『3強』があります。古くはTTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)、平成3強(オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン)、やはり競馬を盛り上げた名馬たちです。そして、そのライバルが2頭ではなく、3頭になった時、物語としても面白さが格段に上がります。

自分がリアルタイムで見ていた3強は、20世紀最後の3強(スペシャルウィークエルコンドルパサーグラスワンダー)でした。今とは違い、外国産馬への出走制限がきつい時代(いわゆるマル外)であったため、それが故の運命の数奇さもありました。SS旋風の申し子スペシャルウィーク、後に海外志向を強めるエルコンドルパサー、そして怪物の名を冠するも、故障・体調との戦いを余儀なくされたグラスワンダー。いずれも競馬界に名を残す名馬となりました。

マルゼンスキーを越えた馬

3歳(当時の年齢表記:今後は旧年齢で表記します。)時のグラスワンダーはまさに順風満帆。新馬を余裕のノーステッキで勝った後は、アイビーSに向かいます。自分はアイビーSで初めてグラスワンダーを見たんですが、その勝ちっぷりに驚愕しました。上がりの鋭さは周囲の馬と次元が違い、5馬身差の勝利。マル外って凄いとしみじみ感じました。京成杯3歳Sでは、重賞馬2頭を相手にするもやはりノーステッキで6馬身差の圧勝。

迎えた3歳のG1戦、朝日杯3歳ステークス。当日は荒れた馬場であったもののマウントアラタが作る速い流れの中、マイネルラヴが直線先頭に出ます。しかし、グラスワンダーは初めて鞭を使って抜け出し2馬身半差の快勝。タイムは1:33.6と当時のレコードタイムでした。後にJPNクラシフィケーションのハンデは『116ポンド』が与えられ、マルゼンスキーが与えられていた過去の最高ハンデ『115ポンド』を上回る評価となりました。
マル外であるためクラシック競走への出走権が無いグラスワンダーは、NHKマイルカップを当面の目標に据え、その後は海外挑戦をも視野に入れるプランを公表していました。もちろん、そのプランに疑いを持つものはいなかったわけなのですが…

ここまでは本当にどこまで強いのか、と恐ろしくなるくらいの戦績でした。
アイビーS、京成杯3歳S、朝日杯3歳Sとレースの格が上がるごとに勝ち方が良くなっていきましたからね…。マイネルラヴって古馬になってタイキシャトルに土を付ける馬ですし。それを歯牙にもかけない訳だから。今でも骨折無しでエルコンドルパサーと当たっていればどうだったかと思いますもんね。

骨折、そしてそこから始まる自身との戦い

好事魔多し、とはよく言いますがグラスワンダーにもその言葉は当てはまってしまいました。明けた3月、調教中に骨折が判明。そこから、6か月ほどの休養を余儀なくされてしまいます。その間に目標としていたNHKマイルカップが行われ、エルコンドルパサーが優勝。その背にはグラスワンダーの主戦である的場騎手の姿がありました。

自身の復帰戦は10月、毎日王冠となります。人気は当時5連勝だったサイレンススズカに次ぐ2番人気。ですが、その復活を待ち望まれていました。レースでは、4角から直線にかけてサイレンススズカを捕まえに行くも直線伸びずに5着。2着だったエルコンドルパサーにも後塵を拝する事になりました。続くアルゼンチン共和国杯でも1人気に推されるも、格下とみられていた馬達に良いところなく6着敗退。復帰後2連敗を喫してしまいます。

堕ちた栄光、逆襲の有馬記念

2連敗を受けて、巷では『やはり早熟だった』と謗られる事も多くなっていたグラスワンダー。目標を当初のジャパンカップから有馬記念に切り替え捲土重来を期します。ただ、回避したジャパンカップではエルコンドルパサーが優勝。鞍上は蛯名で『的場は選択を誤った』と言われることもあったようです。また、有馬記念の追いきりに関しては、的場がかなり気合を付けて行い、その事も冷笑される原因となっていました。

98年の有馬記念には、同期でダービー馬となっていたスペシャルウィーク、NHKマイルカップとジャパンカップを制したエルコンドルパサーの出走は有りませんでした。そこまででグラスワンダーはかなり水をあけられていた状態でした。

当日はセイウンスカイ、エアグルーヴ、メジロブライトに次ぐ4番人気。ただ、単勝人気は14.5倍とあまり期待はされていませんでした。個人的には思い切って単勝を買い(ファンなので(笑))復活に期待してレースを見守りました。
レースはクラシック2冠(皐月賞・菊花賞)のセイウンスカイが自分の競馬をして、果敢に逃げを打ちます。道中はそのままセイウンスカイが終始先頭。直線に入る前にメジロドーベルが仕掛け、メジロブライトも直線でセイウンスカイに襲い掛かります。グラスワンダーは中段に控え、直線まではじっくりと待っていました。そして、2頭が仕掛けた後に満を持したグラスワンダーが一気に直線で追い出し。抵抗させる間もなくセイウンスカイを抜き去る!抜け出した後には古馬の意地でメジロブライトが迫ってきます。ゴールまで一完歩一完歩詰められていきますが、半馬身抑えて見事な復活の勝利を飾りました。
竜神も復活の喜びと手元の単勝馬券での喜びにホクホクでした(笑)
有馬記念での勝利で同期の2頭に肩を並べたグラスワンダー。5歳での戦いも激しさを増していくのです。

5歳になったグラスワンダー。やはり自身との戦いは続く。

年明けのグラスワンダーは、調整の難しさが徐々に表面化していきます。当初予定だった中山記念は筋肉痛で回避、変更した大阪杯も左目下の裂傷で回避とどんどん後ろ倒しに。5月の京王杯SCまで伸びる事となります。2,500mから1,400mへの距離短縮に対する懸念も有ったものの、蓋を開ければ2.1倍の人気で2着エアジハードに4分の3馬身をつけて勝利。末脚は当時では破格の33秒3。衝撃の結果を受けて、本番の安田記念へと歩を進めます。
安田記念では単勝オッズ1.3倍の1番人気と圧倒的な支持を受けました。ですが、結果は前走下したエアジハードに鼻差交わされての2着。夏負けの影響も有ったと判断した陣営は、宝塚記念への出走を回避する事を視野に入れます。最終的には症状が治まったとみて出走へと踏み切ります。

ライバル・スペシャルウィーク

秋シーズンでも激闘を繰り広げる同期スペシャルウィークとは、宝塚記念が初対決となりました。人気はスペシャルウィークに次ぐ2番人気。春には天皇賞も制した実績が評価されたものでした。レースは「GS対決」に恥じないマッチレース。ただ、直線残り200mの地点でグラスワンダーがスペシャルウィークを抜き去ると最後は3馬身差での勝利。初対決はグラスワンダーに軍配が上がりました。


秋シーズンの始動は2年連続で毎日王冠。1.2倍の圧倒的な人気を背負うも、レースではメイショウオウドウに3センチ差まで詰め寄られる辛勝。目標にしていたジャパンカップは回避して、有馬記念に専念する事が決定しました。その間、スペシャルウィークは天皇賞秋、シャパンカップと秋の古馬王道路線を進みG1を連勝。G1三連勝を賭けて有馬記念に向かう事となります。

ファン投票では1位がスペシャルウィーク、当日人気では1人気がグラスワンダーとお互い譲らぬ状態で迎えた有馬記念。
レースが始まると予想外の逃げがあるなどで1000m通過が65秒2の超スローペースとなりました。このレースではスペシャルウィークが初めてグラスワンダーの後ろからマークするという戦法を取り、ゴール前では差し切ったかに思われました…。グラスワンダー陣営も負けたと思っていた中での写真判定。結果はグラスワンダーが鼻差凌いでの優勝。グラスワンダーが史上2頭目のグランプリ三連覇を達成しました。スペシャルウィークはこのレースで引退。グラスワンダーへの雪辱はなりませんでした。


3強とは言うものの、グラスワンダーはあまり他の2頭と直接対決する機会はありませんでした。5歳だけ見ると対スペシャルウィークに2戦2勝。エルコンドルパサーとは対戦する機会はありませんでした。

当時は古馬王道路線に継続して参加する事に大きな意義が有ったので、スペシャルウィークのファンからは、結構非難されていた記憶があります。確かにスペシャルウィークは皆勤だからなぁ‥。個人的にも古馬王道皆勤で、2勝鼻差2着1回の成績って言うのは結果以上に評価されて良いものと思います。ただ、グラスワンダーのファンから言えば体調が整わないのは仕方ないだろう、と言う気持ちもありました。(秋天はそもそも出られないし)。

3強それぞれが残したこの年のインパクトは競馬史に燦然と輝くものです。揉めに揉めた年度代表馬の選考がそれを表していたと思います。

兵どもが夢のあと

エルコンドルパサーが5歳の秋で引退。スペシャルウィークも激戦の有馬記念で引退と、6歳で現役を続行したのはグラスワンダーだけでした。
そして6歳シーズンの戦いはかなり厳しい結果で終わります。
復帰初戦の日経賞では6着。当初はその年からマル外に開放された天皇賞春を目標にしていましたが、レース結果を受けて宝塚記念に変更。京王杯スプリングカップへと向かいます。レースは過去最低の9着となり、的場が鞍上から降ろされる事となりました。最後のレースとなった宝塚記念では新しく蛯名を鞍上に迎え、春の天皇賞を制したテイエムオペラオーと対します。最終コーナーにかけては、見せ場を作りますが、直線で失速して6着。レース後に蛯名は下馬し、骨折も判明します。そこで引退を表明。グラスワンダーの競走馬としてのキャリアは終了となりました。


グラスワンダーの6歳シーズンに関しては賛否が分かれる所でした。
竜神はそれでも現役続行してくれて良かったと、今でも思っています。
当時は競馬も一般化するまでもう一歩の時代。みんなで競馬をどう盛り上げるか、と言った気持ちが背景にありました。そこで先に引退した2頭の分も盛り上げるため、グラスワンダーが現役続行してくれたのはとても嬉しかったです。結果、前年下したテイエムオペラオーに敗れた宝塚記念も、きちんと世代交代したという意味で意義深かったと思います。(まぁ骨折が無ければ結果も違ったかもしれませんし。)
今は、成績が上がると早期引退も当たり前ですが、こうやってファンのために走り続ける馬がいてくれても良いのかなって思ったりもしますね。

グラスワンダーは今年、種牡馬を引退しました。
種牡馬になる事に拘ったエルコンドルパサーが、あまり奮わなかったのは不思議な感じがします。でも、3強の子供たちも競馬を担っていきます。
過去から未来へいろいろ思いを馳せるのも、たまにはいいかもしれないですね。
グラスワンダーのお話はここまでです。
ここまでお読み頂きありがとうございました。

余談

かなり長く書きました。もしかしたら後に有料化するかもなので、早めに読み切ってくださいね(笑)

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