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努力は一切報われないという真理

人生において努力は一切報われない。

誤解を恐れずに言えば、だ。
こういうことを書くと努力を美しいと思う方々や
苦労を美談にする方々に叩かれるが、個人的に
努力はあまり報われないのがこの世の真理だと思っている。

コツコツと積み重ねてきた努力の人や、
産まれもって授かった人智を越える才能を持つ人を、
運がいい人は一瞬にして抜き去っていく。

産声をあげた瞬間からそれはもう始まっている。
財閥の子息として産まれる子。
スラム街のストリートチルドレンとして産まれる子。
たくさんの愛を受けて望まれて産まれる子。
望まれずコインロッカーに詰められる子。

運。
これが人類が誕生してからこれまでのすべてを
左右してきた核の部分だ。

最近の米国、某有名大学の研究。
人生で成功を収めている人がなぜ成功したか要素を
分析したところ99%、運が左右しているという研究結果が出ている。

例えばゴッホである。
圧倒的な才能と生真面目で遅咲きで努力家ながら生前はまったく評価されず、生涯に売れた絵はたった1枚のみ。37歳で拳銃自殺した後に世界的に有名になったゴッホ。運が悪いのである。

例えば卓越した経営手腕を発揮し、23歳で、人材も、資金も、コネもない中、「松下電気器具製作所」を創業し、現在の「パナソニック」を築き上げ、経営の神様と呼ばれた伝説の人物・松下幸之助。
その松下幸之助が採用試験で聞いたことが、
「君は運がいいか?」である。
松下幸之助レベルになるとすでに世の真理を見抜いている。

それでいうと俺は運が良いか悪いかはさておき、努力が嫌いである。
そうは言っても「それだけギターが弾けるんだから努力したんじゃないのですか?」「努力して練習してプロレスラーになれたんじゃないですか?」と言われるが努力したつもりは無い。努力というのは嫌だけど頑張る、辛いけど無理して頑張るというイメージがある。

幼少期に両親から強制的に習わされたピアノ。今は好きになり、その奥深さに感銘を受けながら演奏する筆者。

俺は嫌ならやらないし、辛いのを無理して頑張らない。だから人生で努力したことがないと思っている。
好きだから延々とそれに時間を費やせるだけである。
嫌いになれば、はい!それまで、である。
嫌だと思ったことは簡単に辞めるし、捨ててきた。
まさにブルーハーツの歌にある「70年なら一瞬の夢さ、やりたくねぇことやってる暇はねえ」である。

そんな俺でも努力しているように見られたり、
一種の才能があるように思われたりする。
結局、努力や才能というのは自分が決めるものではなく、他人の評価に委ねられるものなのかも知れない。
運だってそうだ。

大事な時に怪我をする俺は運が悪いのか?
1番最悪の診断だった俺は運が悪いのか?
尋常じゃない回復力を見せる俺は運が良いのか?
後楽園に奇跡的に間に合う俺は運が良いのか?
それを決めるのは誰だ?俺か?君か?

君はどうだ?
君は運がいいか?

ありがと!!