赤い金星
ほんの少し赤みがかった、金星しか見えない夜空の下を、
考え事をしながら、あてもなく歩いた。
ここ最近、しんどい業務も、心を乱す叱咤もなかったのに、
なぜか心の置き場所に困っている。
天秤に心をのっけたとしたら、片方に傾くこともなく、
ふらふらと不安定な動きを続けるような、そんな感じだ。
* * *
今まで見ていたYouTubeの動画も、アニメも漫画も小説も、続けていた趣味も、
いつのまにか、楽しさを感じられなくなってしまっていた。
僕はどこに楽しみを感じていたのか、
僕が達成感や喜びを感じることは一体なんだったのか、
わからなくなった。
わからないまま、夜がふけて、
また朝が、来る。
* * *
人工の光に支配された夜空の下、
スーパーで購入した、デカフェのラテを飲みながら、
いいかげん家に向かって歩き始めた。
ふと上を見上げると、
金星の放つ、柔らかな黄色い光が、
スーパーや家電量販店から放たれる、
色味のない明かりに支配された夜空の中で、
その存在をはっきりと誇示していた。
* * *
金星は、生きている。
金星は、太陽が放つ光のおかげで輝いてはいるけれど、
太陽の光を一心に受け止めたうえで、
自らの地表が生み出す、柔らかで優しい光を、
たまたま夜空を見上げた僕に、届けてくれた。
僕は、
今日受けた優しい言葉を、気遣いを、激励を、
きちんと受け止めて、誰かに何かを与えられただろうか。
それとも、すべての光を飲み込んでしまうブラックホールのように、
誰かに与えられたものをなかったことにして、
何の変化もしない、ただ漂うだけの存在になってしまうのだろうか。
そうなってしまったら、
生きていると言えるのだろうか。
* * *
僕が家に着いた頃には、金星はより一層高度を下げていて、
光はずいぶんと弱々しくなり、すっかり赤く染まっていた。
金星は今日、僕の心にすこしの安心をくれた。
太陽から受けた光を、金星なりにちゃんと吸収して、
金星なりの伝え方で、僕のもとに届けてくれた。
* * *
僕の心の安定性を測れそうな天秤は、
夏まで夜空に上がってはこない。
いつかの夏、夜空の天秤に僕の心をのっけたとき、
すこしだけでもいいから、
天の川とは逆の方向、つまり、僕が今地に足をつけている方向に
傾いてくれるといいな、と思う。
そのためにも、僕は金星を見習って、
だれかの言うことをしっかり聞き、それを吸収して、
誰かに何かを届け続けて、
たまにでいいから、誰かに安心を与えることができる。
そんな人間になりたいと、思った。
* * *
僕に安心を与えてくれた金星も、
もういいかげんお休みの時間だ。
甘ったるいakadamaワインでも飲みながら、
すでに赤くなった光をさらに赤らめて、
ゆっくりと山の向こうで眠ってほしい。
僕も、疲れてしまった心と体を、少しの間休めよう。
そして、願わくば明日の朝、
白く、ギラギラと輝く姿の彼と、また会えますようにと、祈った。
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