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【代表のつぶやき】今更deepな自分語り その一

こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。クラウドファンディングのページからいらっしゃってくださった方、ありがとうございます。
本日はクラウドファンディング公開記念(?)
私達がやりたいこと、その原点を代表の方からお話したいと思います。「何か書いてみたら?」と軽い気持ちで提案したところ、物凄い(ものすごい)長文が送られてきたので、小間使い二人で分割して改行・太字化の編集をしてお届けします。少し重くて長くて青臭いお話ですが、とても大事なことでもあるのでよろしければお時間頂ければと思います。
ちなみに画像とそのキャプションはAが、太字や改行は主にCが担当しています。
では、どうぞ! 

小間使いA


どうも、小間使い2人のせいで我儘であることが世間様に露呈した代表です。
たしかに無茶振りはよくしているので、何も言い返せません。AもCも、いつもすまんな。そしてその無茶振りを形にしてくれるあなたたちは素晴らしいです。

さて、制作日誌とは別に、俺の短いこれまでの人生なり、思想なり、なぜ本を出版することにこだわっているかなど、製作の傍らつらつらと書いていこうと思います。今回は記念すべき第1回目!(2回目以降を更新する余力があるのか甚だ疑問ですが)どうかお付き合いください。

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いきなり、暗い話をしますね。
高校時代の俺は、生きているのが苦しくてしょうがなかった。それ以前から悩まされていた問題ではあったのですが、目に見える形で苦しさが現れたのは高校の時でした。いや、中3だったかな? まあその辺りです。中高一貫校だったので受験と被らなかったのは幸いでした。

具体的に何が起きていたかというと、動悸と吐き気と目眩と耳鳴りと……処方された吐き気止めと気休めにしかならない市販の頭痛薬でしのいでいました。座学の授業なんてほとんど寝ていましたしね。あまりの気持ち悪さに保健室で体温を計ったら33度だったこともあります。最早死体ですね😇
高校1年生の時が一番ひどく、視力検査では問題ないのにいざ眼鏡をかけてみると眼鏡がまったく合わないという珍事件まで発生します。いろいろな検査を受けさせられたんですが、そのせいで吐き気は増大。悪循環です。そんな訳で部活を休んでいたんですが、先輩からはサボりだと思われていたということを同級生から聞きました。まあ、そりゃあそう思いますよね。だって原因がよく分からないんですもん(笑) 毎週眼科通いなんて俺も聞いたことがありません。

大学に入ってから、精神疾患について勉強して自分自身を振り返った時に、ようやく自分が異常だったと感じました。食事を取るのが怖いから、某栄養食なり某ゼリーなどで済ませていたんです。腹は満たしたいが食べたくない、という。食べられるだけましだろうと思われるかもしれませんが、食べるというよりも、噛まずに飲み込んでいました。だからむせるんですけどね(笑)あとは、感情の起伏がおかしかったですね。感情のジェットコースターを構築していました。そして自分でそのジェットコースターに酔うという悪循環。俺は本物のジェットコースターも苦手です。極めつけは、言葉の解体。単語だけしか言わなかったり全て擬音語で解決しようとしたり、俺の秘密主義が災いして何も相手に伝わらないという。
いやはや、AとC。こんな俺と友達でいてくれてありがとう。最近はちゃんと秘密(そんな大層なものじゃない)を開示していく方向性で頑張っています。
他にも叩けば色々と出て来るのですが、まあこの辺で。
今は、お陰さまで元気に生きております。


というのも、AとCというご奇特な友人がいたということ、俺を大切に思ってくれる大切な人がいたということ、そして早稲田大学でのびのびと勉強していること、それらが今の俺の健康の秘訣です。なんだなんだ早稲田賛美か?と思われると思いますが、そうです、早稲田賛美です。出家せず早稲田に来てよかった。俗世を捨てる前に早稲田においで!と、世の中の人に言いたい。
と、いうのは半分冗談ですが、残りの半分というのが、おまちかねの文学です。

代表の本棚。

そう、文学がなければ、俺は今生きていたかどうかすら怪しい。
それと同時に、文学に出会ってしまったからこそ、俺は生きづらい道に落っこちてしまったとも言えます。
俺にとって文学とは、生きづらさを和らげてくれるものでもあり、生きづらさを助長するものでもありました。


つまり、作家になりたいと願えば願うほど、自分の心に深くナイフを突き立てているように思いました。凡人からすれば、そう簡単に叶う夢ではありませんからね。それでも、命がけで吐き出す言葉を求めていました。たぶん、生きている実感が欲しかったんでしょうね。なんせ、死体の体温ですから。
そんなときに、とある批評家の言葉に出会いました。これはジョークでもなんでもなく、涙が溢れました。本気で文学に打ち込んでもいい。文学に人生の全てをつぎ込んでもいいのだと、そう言われているように思いました。救われた、本当にそう思いました。ああ、この人に読んでもらいたい……。
感動があまりに大きかっただけに、俺のはじめての新人賞の応募作はひどいものでした。気持ちが前に前に先走り、その人に出会いたいが一心で書いた愚作となったのです。これが、中3の時の出来事です。いやー、あの原稿には跡形もなく荼毘にふされていて欲しいものです。(と言いつつ、しっかりコピーが残っている……)

初原稿。写真のためにわざわざ引っ張り出してもらいました。

そして、どん底の高校生を迎えます。無理矢理学校に行っては吐き気を耐え忍び、体育は見学。出席しても全力は出せずに体育の成績は死亡。部活も休む。当時は2つの部活を兼部していましたが、両方とも幽霊部員になっていました。当時の先輩、俺は生霊も飛ばせない死体になっていたんです。許してください。
原因としては、簡単に言ってしまうならストレス。もっと簡単に言えば、「消えたい」。少し複雑にしましょう。不安で不安で死んでしまいたくて、不安で不安で誰かに話を聞いてもらいたくて不安だった。もっと複雑にしますね。なぜ生きているのか分からなくてこのまま眠ったら明日には死んでいる気がすると同時に死んでいたらどんなに楽かと思って包丁を握ってあれいま俺何しようとしたって怖くなって料理から逃げて誰にでもある思春期だよとあしらわれて不登校のニュースとか見て理解を示すようなふりしているのに俺には引きずってでも学校に連れてくと言われてぞっとして吐いたらどうしようどうしようと余計に気持ち悪くなって精神的に弱くて困っちゃうねと言われ太宰を真似して自殺しないでねと言われ俺が死んだら自分も死ぬと脅され芥川でもいいけど作家=自殺みたいな公式でくくられるのが許せなくて友達はいなくていらなくて本を読んで頭痛がして耳鳴りがして耳がよく聞こえなくて話は通じないし向こうもこいつに話しても無駄だと思っただろうしねぇ同じ言語体系で生きてる?って思っていたのに優等生だと思われて委員長なんかやって誰にも声が届かなくて誕生日は毎年一番憂鬱な日だったし模試でA判定をもらっても早稲田なんか受かるはずないと笑われて……。

夢を、笑われることがどんなにかなしい事か、知っていますか。

俺は、小学3年生の時に経験しました。まあ、当時の夢は絵描きで、物書きはその次だったんですが。なかなかきついものがあります。自分を囲む世界の全てが突然敵になるんですから。いや、敵よりもひどいかもしれない。見世物にされているような感覚でしたね。

小学生の代表。大人びています。

どんなに絵画コンクールで賞を獲ろうが、笑われるものは笑われるんです。正当に才能が評価されない事、そんなことは当たり前に転がっているんです。
それでも俺はバカだったから、夢を諦める術を知りませんでした。公務員になりますと思ったこともありませんでした。そもそも公務員って何?くらいにしか思っていなかったでしょうね。なんせアホですから。(もちろん公務員は素晴らしいお仕事です)
そして俺は、小説家になろうと思いました。小学6年生の時です。卒業文集を確認しましたが、きちんと小説家と書かれていました。
なぜ小説家になろうと思ったのか、はっきりとした理由は覚えていません。もともと本は好きだったので、突発的に作家になりたい!と思った訳ではないです。俺の祖父が作詞家だったので、言葉を扱う仕事に憧れていたということも考えられます。しかし、おそらくは「笑われた」経験が俺を形作ってきたように思います。――小説家になって本を出した時に、表紙「絵」を描きたい。それはたぶん、俺なりの反抗でした。絵描きになりたくて傷ついた幼い自分を抱えて、またしても嗤われるであろう小説家という道に選びとったんでしょう。
はあ、自分で生きづらい道を選んでいる訳です。言ってしまえば、自業自得ですよね。しかし人生なんてほとんどそんなもの。

でも、全員が全員、人の夢を笑うわけではありません。当たり前です。
俺にとって、とてもとても大切な人。上の方でAとCに並んで出て来た人です。その人は、夢を持ち続けることの大切さを教えてくれました。この人がいたから、俺は生きてこられたと言っても過言ではありません。そして、文学フリマに出店する決断を後押ししてくれた人でもあります。この人のくれた言葉がなかったら、俺は文フリに出店しなかっただろうし、ここでこんなことも書いていない訳です。俺はこの人が俺のことを応援してくれることを知っているから、どんな時でも頑張れる。だから、今の俺は無敵ですよ。

体調に苦しんだ中学・高校時代でも、先生たちはいい人が多かったです。残念ながら、俺の精神状態を悪化させた人もいましたが。

何はともあれ(集団の中には入れませんでしたが)大切に思う人には恵まれました。友人、大切なその人もそうですし、M先生、M先生(どっちがどっちだかわかりませんね)、I先生、Y先生……あげるときりがないのでこの辺で(と言っておきます)。
ただ、俺はいつも本当に言いたいことを呑み込んでしまう癖がありました。だから、いつも先生たちに話しかけたはいいものの、なんて言っていいのか分からずに困って首を傾げてしまうなんてことがよくありました。基本的に俺は、話すのが得意ではないのです。書き綴ることの方が楽で、そして正直に自分の気持ちを表すことが出来る。
今初めて、誰かが読むことを想定した文章で、飾らない自分の気持ちを書いています。AとCは知らなかった話に目を白黒させることでしょう。黙っててごめんな。


第一回はひとまずここまで。まだまだまだ続きます。続きは1時間ごとに上げていく予定です。よろしければお付き合いください。


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