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【代表のつぶやき】今更deepな自分語り その二

予想以上に長くて暗い第一回に驚かれた方もいたかと思いますが、創作者ゆえの(あるいは創作者になるための)濃厚な苦闘の模様ですのでお付き合いいただければと思います。
今回も小間使い二人で、読みやすいよう適宜改行・太字にしてお届けします。

小間使いC



はあ、長いですね。短い人生の3分の2弱まで登ってきましたが、意外とあるもんですね。
ここからは残りの3分の1を書きつつ、この大倉書房のプロジェクトにつながる話を書きたいと思います。

ちょっと休憩。書く方もなかなか骨が折れます。読んでくださっている皆さんも大変でしょう。適宜休憩を挟んでくださいね。

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それでは、再開します。
どん底の高校1年生、そんな中で、俺からすれば正に奇跡のようなできごとが起こります。
なんと、憧れのあの批評家先生と出会ってしまったのです。大学の進学イベントだったのですが、やはり俺はバカで、彼だと気付かずに彼の授業を聞きに行ったのでした。バカでしょう(笑)現場で初めて、「あれ? この名前って……まさか」。憧れていたという感情を疑いますよね。本当に憧れてました?

本当です。本当に憧れて、その人の言葉が自分に向くさまを想像していました。そんな憧れの人がフルカラーで現実に登場しているという現実が信じられない。これは虚妄ではないのかと自らの分別を疑いつつ、これは真実であると結論付けました。心拍数が一気に上がり、正直、気持ち悪かったです。心の準備なんて何もしてないんですから。緊張のあまり、授業の内容を覚えられないという最悪の事態に直面します。レジュメがあってよかった。辛うじて俺の朧げな記憶は定着しました。

レジュメの類はファイリングして取ってあるそうです。

ここからは俺自身も驚いたことなのですが、その授業の後、彼に話しかけに行きました。その進学イベントでは授業後に質問できるスペースが確保されていたのです。世の中にある進学イベントよ、見習え。でなければチキンは大学の先生に質問など出来ません。そして、彼と言葉を交わしました。あなたの言葉に感動した、と伝えることが精一杯でした。乙女か、と今自分でツッコミを入れています。残念、乙女ではありません。
夢のようなその時間は終わり、俺は再び暗黒世界に戻ります。最早、高校で何をしていたかなど覚えていないくらいつらかった(体調が)。こんなに詳しく文章を書けるのは、当時の俺が日記を書いていたからに他なりません。日記なり手帳なりがなければ、俺は当時の様子を思い出すことは出来なかったと思います。現に、手帳を発掘する前は頭の中がごっそり抜け落ちたように何も覚えていなかったのですから。

それでもやはり、手帳には肝心なことが書いてありません。何故苦しかったのか、俺は未だにその明確な答えを書けずにいます。恐らく、これからも怖くて書けないと思います。うん、怖いですね、やっぱり。言葉に表すという事は、とても恐ろしいことです。

さて、憧れの批評家先生と出会った俺は、より一層文学に打ち込もうと意気揚々と原稿を書いていた――ら良かったのですが、出鼻をくじかれます。

既に書いた眼鏡事件ですね。字を読むのがつらい。書くのがつらい。気持ち悪い。頭痛い。生きるとか死ぬとかどうでもいいから、この苦しさが消えてくれさえすればもう何でもいい。とにかく、この吐き気を取り除くすべを教えてくれと、そんな体調の中、唯一できたのが絵でした。俺は中学から継続して美術部に所属し、水彩系の絵と油絵を両立して描いていました。ただ、美術部でも色々ありまして、まあ平たく言ってしまえば俺のアイディアを盗む人がいたんですね。それは中学からの事だったので、俺の精神状態に追い打ちをかけ、家でしか描けなくなりました。美術部のくせに帰宅部というよく分からない状況ですね。

月日も経ち、だんだんと美術部には戻るようになりましたが、もう一つの部活である競技かるたはこの頃やめています。つまり、小説を離れて、絵に戻ったんです。そして、かつて俺を助けてはくれなかった絵が、今度は俺を救ってくれます。二枚の絵が、大会で同時入賞を果たしました。小学校でコンクールの意味が分からなくなり、中学で自信を喪失した絵画でしたが、大きな美術展で認めらえたことで、一気に自信を取り戻します。俺って単純。
自信が戻ったことで、気持ち悪さと上手く付き合う術を何となく見出し、トイレに駆け込むことも減りました。とはいえ、ちょっとの衝撃で精神は酩酊し、春にあった第九のコンサートではまた吐き気を起こして迷惑をかけました。本当に申し訳ない。あと西湖に行くたびに気持ち悪くなるのもほんと申し訳ない。

入賞した作品たち。どちらも力強い色合いが特徴的です。

酩酊した精神のまま、新人賞に向けての原稿を書き進めます。俺にとって、絵と小説はどちらも同じくらい大切なのです。どちらかを切り捨てるということは出来ませんでした。自分の絵から着想を得て、俺は「光を求めて」という小説を書きました。勿体付ける必要もないので言ってしまうと、結果は予選落ちでした。そりゃそうです。原稿用紙を涙でびちょびちょにして、汚いでしょ。そんなこんなで、「光を求めて」を郵送すると、もう高校2年生になってしまうのです。

「光を求めて」の原稿。私も自分の部室で読んだ記憶があります。

高校2年生の前半も、今までと変わり映えしない日常が続きます。変わったことと言えば、始業式の日を除いて、吐き気を催す日がぐんと減ったことです。緊張して気持ち悪くなる、程度に落ち着きました。その代わりのように鼻血をばたばた出しました。それはそれでいいのか?と思いますが、俺からすれば気持ち悪くなるよりましでした。しかし、周りからすれば困ったもんですよね。カナダでは迷惑をかけました。ごめんよ、A。

そして事件が起きたのは、夏休み。例の大学進学イベントです。今年も彼に会いたい!と、まるでアイドルのファンかのように申し込みを行いました。もしかしらこの文章を読むかもしれない先生、温かい目で読んでください。うわ。めっちゃ恥ずかしいな。
その日、俺は初めて会う体で話しかけに行きました。だって、一年前にほんの数分会った高校生の事なんか覚えていないだろ、と思っていたので。ちなみに、この時はCと一緒にいました。質問ブースで先生は俺を見て、去年も来ていたよねと声をかけてくださいました。とても嬉しかったのですが、それよりも恥ずかしさが勝ってしまい、俺はどうしたら良いか分からなくなってしまいました。

先生に聞きたいことを用意してきていたのですが、あまりのことに、質問を覚えていたにも関わらず、忘れてしまったと嘘を吐きます。先生、嘘吐いてごめんなさい。喋れなくなってしまった俺を見かねたCが先生と話をつなげてくれ、さらに見かねた先生が手紙を出してもいいと許可してくださいます。何を書いたか、あまり覚えてはいないのですが、多分エンタメと純文学を出版社以外でどう区別したらいいのか、みたいなことを聞いた気がします。違っていたら面白いですね。
そして、そんな夏休みから2、3カ月過ぎた頃、先生からお返事が届きます。俺はあまりの嬉しさに今死んでもいいとさえ思いました。最高に幸せなまま死ねたら、最高に幸せですよね。しかし、俺は生きながらえ、小説家になりたいという欲を爆発させます。

高校2年生の時の代表の手帳です。左下には大きく予定がメモしてあるのが見えます。右上には先生の言葉も。

同行していた私ですが、確かに乙女のようでした。胸中でこんなことが起こっていたとは驚きです。

第二回はここまで。まだまだまだまだ続きます。

小間使いC


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