見出し画像

男女間の友情

男女間の友情があるかどうか。時折そういう話題やテーマが記事やテレビで語られている。ずっと「時折見かける」ということは、答えが出ないテーマだからであって、人と時と場合による為だと思う。

性別に関係なく、恋愛体質の人はいるものだろうし、そういう人にとっては友情は存在しないのかもしれない。いや、恋愛体質だったことがないからわかんないけど。

私は私以外の人になったことがないので、自分の視点と価値観でしか話せないが、今でも大事な友達は同性の友達ばかりだけど、その時々のコミュニティ(学校、職場等)で話が合うなどの友達は異性の方が多かったと思う。

特に子供の頃は、まだゲームもスーパーファミコンからPS時代だったり、インターネットも初期の頃だったし、小学校低学年の頃にJリーグが開幕したぐらいの年代なので、「女の子なのにゲームが好き」「女の子なのにサッカーが好き」と見られがちな時代で、ほぼクラスの同性の子とは話が合わなかった。もちろん何人かはいたけど。

ドラクエの話がしたくとも、いつも一緒にいる女子たちはジャニーズの話ばっかりで、私は親が厳しかったこともあってジャニーズが何かも知らないし(教えてもらった)、誰かもわかんないし、昨日のテレビに誰が出ていたかもわからない。曲も知らない。
だから横で話をしている男子のドラクエの話に口をはさんだり、Jリーグの試合の話をした。

まだ性別でさほど体格に違いがなかったぐらいの頃は、昼休みや放課後、男子に混ざってサッカーもしていた。
そのおかげもあったのか、運動神経皆無な私が唯一、ギリギリ人並みにできたのがサッカーだった。

小学校も高学年になってくると、体格差もあるし、なんとなく自然と横で見ているだけになった。衝撃的に下手ではなかったというだけで、上手いわけでもなかったし。
それにそのぐらいの年齢になると、やっぱり「性別」が問題になってきて、なんとなく「男子だから……」「女子だから……」みたいな空気がでてくる。
好きだのなんだの、そういう話にもなってくるし。

面倒くさいなぁ、と思っていた。
いや、私だって好きな男の子の一人や二人(一人です)いないわけではなかったけど、あの男子は、誰とかちゃんが好きだって知ってるのに一緒に遊んでた話してた、とか言われるのが面倒だった。
サッカーしたり、ゲームの話をするのに、いちいち誰が好いてる人だから遠慮しますとかやってたら、誰とも何もできなくない?
おかげで体格差以上になんとなく、混じりづらくなってしまった。それでもこっちは友達だと思っていたし、男子たちは話は普通にしてくれていたので友達だと思ってくれていたとは思う。

そんなこんなで、誰が誰を好きかとかすっごい聞きたくなかったけど、まあ思春期ってそういう話が好きだから、嫌でも耳に入ってくる。
というか、私がそういう態度だったからなのか、小学校の最後の1年はやっぱりすでに浮いてしまっていた。
だからなのか何なのか、無駄に「誰が誰を好き情報」を言いに来る人もいたぐらいだった(余談だが、卒業後、私が何を知っていたか調査しに来た子がいて(暇だよね)、適当にぼかして答えていたところ、その相手より私が情報を持っていたと言って呻いていた)。
ていうかいちいち人(私)に言わなくてよくない?誰が好きかなんて。

中学校に上がると、小学校の友達は過半数、別の学校に進学したので、半分以上人間関係はリセットされた。
が、以前の記事にも書いたように「市内一荒れた中学校」だったため、もうそれどころではなくなった。荒れていたこともだけど、そもそも男子と女子で異常に仲が悪い学校だったので、なんか男子と友達になるとはもってのほかぐらいの感じ。
それでも、やっぱり話が合うのは男子だったので、話すのは男子が多かった。まあそもそも友達そんなに作れるような状況じゃなかったけど。

高校生になると、またがらっと空気が変わった。
かわったけど、やっぱり「青春と言ったら高校生活!青春と言ったら恋愛!」みたいな感じで、もうひたすらにカップルができまくっていた。
入学してちょっとでこんなにカップルってできんだなって思ったレベル。
進学校だったし文武両道、結構厳しめの部活が多かったはずだけど、だからこそなのかすごかった。カップルの数が。他の学校知らないけど。

高2年の時たまたま席が近かった、市の代表だかに選ばれたこともあるサッカー部の男子とサッカーの話で盛り上がって、よく話すようになった。
私の大好きなサッカー選手がそこまで有名どころではなかったのと、ちゃんとルールもポジションも理解してるということも話していると伝わるので、「サッカーの話友達」みたいな気持ちだった。
相手の男子も、当時授業はすでに文理で分かれていた文系クラスで女子が大半だったので、授業の合間やら自習中にサッカーの話ができる友達として扱ってくれていたと思う。

そんなに人のことを気にしていたわけじゃなかったから、誰と誰が付き合ってるとか全然詳しくなかった(小学校の頃だって私のスタンスは同じだったよ!)し、興味もなかったので、普通にそうやって仲良くなったけど、サッカー部の中でもトップレベルに上手い男子に彼女がいないわけがなかった。

彼と話しているのが原因では全くなかったので、それはまたいずれという話だけど、クラスの女子たちからハブられ始めた後、関係もないのにその男子の彼女のグループがわざわざ(他のクラスなのに)遠回しに嫌味を言いに来たりして、本当にうんざりした。面倒くさい。
彼氏とサッカーの話したらダメだったら、責任もって張り紙でも貼っとけよ。マジでサッカーの話しかしてないぞ。

でも、そうなった後も、その男子は下駄箱で会ったら変わらずに挨拶してくれた。何も知らなかったのか、知ってたけど知らないふりをしたのかはわからない。でも、普通に挨拶してくれたことが嬉しかったから覚えている。性別違ったって、サッカー友達でいいじゃん。
とはいえ、私も面倒になったのと、向こうも何か言われたのか知らないがサッカーの話をすることはなくなった。
学年が上がるとクラスも離れたし。ちくしょー、コアな話できる貴重な人材(言い方)だったのに!

人間だから、体、心、いろんな面で性別とは切っても切り離せないことなのかもしれないけど、自認する性別の前に「人」として友達になりたいとか、友達になったとか、私にはあったし、あって当然じゃないかと思っている。
もちろん、若かったし子供だから、今思えば可愛い嫉妬だったわねウフフと彼女だった人も思っているかもしれないし、私も思わなくはない。
思わなくはないけど、友達(であり続けられたかもしれない)関係をぶった切られて複雑な思いはある。

大学時代は、数人男友達はいたが、圧倒的に同性が多い学部だったし、なにより同性でも話も気も合う友達ばっかりだったし、今でも連絡を取り合う大事な友達ばかりで、自分の興味がある学部に進んだのは本当によかったなと今でも思っている。

社会人になった頃には、もう良い大人だし、私がうまく躱す方法も覚えた。
男性の同僚と話していたり、遊びに出かけたりするとすぐ噂にはなったが、無視。高校の頃みたいに攻撃されるわけではなかったから、まあ好きに言っておいてくださいよどうぞっていう気持ちもあった。
今でも仕事の同僚という立場を超えてできた「友達」は、性別問わず大事だ。どっちかというと、やっぱり男性の方が多いけど。

異性と友情が成立しないかどうかって言われると、じゃあ今私の友達は半分ぐらい友情が成立しなくなるんですけど……と思うし、Twitterなどのインターネットで知り合った友達だって異性はいるわけで、それも友情ではないっていうんですかと考えてしまう。
「仲間」と「友達」は違うと線引きして考えているから、友達の方が圧倒的に少ないんですよ私。

それに「人の彼氏と喋んないで」理論を適用されてしまうと、家族ぐるみで仲良くしてる友達の旦那さんと話しちゃいけないんですかね……という話になってくる気がして、どうもしっくりこない。

世の中には恋愛が最上級の人もい続けるだろうし、長い人生の中で一時期だけ恋愛が一番大事な人もいると思うし、それはそれぞれのご自由に、なんだけど。そして、たぶんそういう過激?な価値観の違いでディベートしたりすると盛り上がるから、長い期間企画されて討論され続ける話題なんだと思う。だからムキになって私が友情はあるよって言う必要も、実際はないんだけど。

人間として友達になったのが、たまたま同性か異性かの違いでしかないから、なんかまあ、今日もあーー面倒くさいなーって思ってる。
こんなの書いてる私も面倒くさいな!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?