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根本原因を探しながら逃げるの巻

書きたいことがたくさんあるし、毎日パソコンに向き合う時間を作ってアウトプットをするリハビリをしよう。
そういう動機で初めてまだ一週間経つか経たないかなのに、もう何も指が動かない。うち3日は休日で碌に書いていないのに(早速休んだし)。

これについて書こう、あれについてはどうだろう、そう思考を巡らせていると、どれもこれも結局自分が向き合いたいことって、主に母から言われたひとことがこんなに突き刺さっていてうまくできないんですっていう話になってしまうなと自覚して、うんざりし始めた。
うんざりするということは、まだ向き合う時期ではないのかもしれないし、でも一方で今やらないといつやるんだという気もしている。

休職して、そのあと職場に復帰するかしないかぐらいの時期から、カウンセリングに通い始めた。
今はもうやめてしまったが、職場やそれ以外の人とのかかわり方や向き合い方、何が嫌で何が楽しかったのか、自分の中の気持ちの持ち方や辛さの緩和、いろんなことを聞いてもらったし背中を押してもらった。

数年は通ったと思う。
行かなくなったのは、何か話がうまく伝わらないなという思いが数回重なって、言葉を尽くしても齟齬があるなと内心首をかしげ、行きたくないなと思うようになったからだった。
そうすると何を話そうかなと考えることが多くなり、あれは話したくない、これなら話してもいいかなと内容を仕分けするようになっていた。
カウンセラーさんが言いそうなこと、とりそうな態度を予測して、お互いが嫌な気分になることを避けたかった。そんな時間に何の意味があるだろう?それはもうカウンセリングではないのではないか。友達に話すのと変わりない。
そう思ったから、キャンセルして、次はまた予定が見えたら連絡しますと電話を切ったまま、行くことをやめた。

最後の方は、私がガンとして心療内科に行かないことをずっと説得されていた。「認知が歪んでいる」とまで言われた。
別にその一言だけが直接の原因ではないが、しばらく否定され続けた上に、それぐらい強い言葉で否定されたので、なんかもうそういう話はしたくないなと思ってしまった。
長くカウンセリングしてもらって、信頼関係があったつもりだったが、逆にそこまで踏み込ませても良いと向こうに思わせたのだろうし、こっちも頼りにしすぎていたのかもしれない。

カウンセラーさんは、私の抱えるいろんな問題のうち、その多くが母親からの影響が原因だと考えていた。だから、母親とのかかわり方、向き合い方、そういったものを集中的に掘り出して考えてみる時間を持ったりもした。
今現在(その時点、そして多分今時点も)の精神的なつらさに、母が関係していること。私の価値観の中で分裂しているもの、どっちが正しいかわからないという気持ちを生み出す「ものさし」の、どれが私の「ものさし」で、どれがお母さんの「ものさし」か?それを考えてみたらどうか。

もう少し母と距離を置いた方がいいというアドバイスはまさに的確で、物理的に離れて暮らしていても、「親孝行」の名目で毎日電話をしていたら精神的に離れていることにはなりませんよ、罪悪感でつぶれそうになっても一回辞めてみましょうと何度も勧められた。
実際なかなかそれもうまくいかなかったが、ようやくここ1年ほどは週に一回電話するかどうかぐらいで落ち着いた。その程度の頻度であれば、毎回母にすべてを話すことはできないので、不必要な軋轢というか、精神的負担を受けずに済むし、私もいちいちあれもこれも母の承認がないと動けない、できない、やれない、という気持ちになることも減った。

そう、何かを始めることも何かを買うことも、すべて母の承認がないとだめだと思っていた。
今夜何を食べるのか(通勤できていた時は22時ぐらいに電話して、23時ぐらいに帰宅してから晩御飯のことが多かった)、それは初めの頃は雑談でしかなかったのに、いつの間にか毎日報告している気持ちになってしまい、それはこの時間には重すぎるんじゃない?今日はうなぎは食べないの(土用の日)?など、承認が得られる得られないの問題になってしまっていた。
もちろん毎日そこまで深刻に受け取っていたわけではない。それでも仕事で参っている時なんかは、私の判断がまずいと思い込んでいた気もする。

そういった小さなことから大事な局面の価値観まで、母の存在が影響しているんだと気が付かせてくれたのが、カウンセラーさんだったわけで、でも一方、今のいま、これを書きながら、本当にそうなのかと考えてみた方が良い気もしだしている。

いや、おそらく間違いなく母の価値観やものさしが私に影響を与えていて、ひとつひとつ、承認がほしいと思っていたのは確かだ。
確かだし、根本にそれがあるのは事実だろう。
でも一方で、就職を決めた時も、休職したときも仕事を辞めた時も、エレクトーンを買った時も、母に事前に報告も相談もしなかった。
(エレクトーンについては、もう自覚があったから「母には言わない」を選択できたんだからまた話が違うか)

限界だったから。私が限界だったから、自分で判断できたのかもしれない。
誰の承認もいらない。私がもう無理だと思った。反対されても怒られてももうダメだ。
そう思っていた気はする。でも、そう思える自分があるなら、逆にその小さなことや中くらいのこと、日々のあれこれや仕事仲間とのゴタゴタも、本当に母の承認が必要だったから分裂して負担だったのか?
起因することもたくさんあっただろうけど、母からの諸々が根本だったとせっせと掘り返して、現在から逃げているだけなのでは?
だって、仕事辞めてもしばらくは忘れられなかったはずの、職場であった色んなこと、色んな言葉を今もう思い出せない。嫌な感情と泣きたい気持ちがすっかり薄れてしまった(それはそれで健全なのだろうと思うし。忘れないと前に進めない)

すごく難しい問題で、これはすぐに答えなんかでない。
カウンセリングに行くのを辞めて、2年以上経ったと思うが、noteに書き出すことで、母からの影響について明確になって認められるようになった部分もあるぐらいだ。

あの時あんなことを言われた、こんなことをされた、こんなことを言われた、そんなことを書き連ねて何になるのだろうと思い始めてもいる。母のせいにして逃げているだけじゃないか?
そしてそれを気づかせたカウンセラーさんのせいにして、また逃げようとしていないか?

書き連ねないとわからないのかもしれない。
曖昧なままにして立ち上がれないなら、少なくともそれなりに立てるようになるために、明確にしなければならないこともある。
でも書くことが本当に必要なのか、それもわからなくなってきた。

何かに立ち向かおうと思ったら、背を向けることになるものも出てきて、そっちの視点からしたら、逃げていることになるのかもしれない。
あんまり逃げていると思わない方が良いかもしれないな。
逃げることもできなくて、逃げることにも勇気がいる。逃げられる人はうらやましいな。そう子供の頃ずっと思っていた。
今逃げられているなら、ある意味勇気があって逃げられているんだから、それはそれでいいよと、自分で自分を承認するのがいいかもしれない。

全てのことがそうだよね。
母の視点でも、カウンセラーさんの視点でもなく、自分の視点で自分を承認できれば、きっと大丈夫になれる。
そこがゴール何だろうと思う。今のところは。

まあ、というわけで今日のところはわかんないから勇気をもって撤退!逃げろ!!


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