文体(スタイル)の話

毎日朝にPCで日記を書いてるんやけど、その日記は誰に見せるものでもないので、文体に統一感がない。しゃべり言葉も丁寧語も関西弁も混じり合ったままでひとつの均衡を保っている。例えばツイッターとか、このnoteでの文章なんかも、人に読まれることを意識して、やっぱり本来の自分の文体とは若干ギャップがあるような気がするけど、そのデジタル日記だけは後から読み返してもすごく自然で、自分では全く違和感がない。

で、そんな自然な文体で、肩肘張らずに、このnoteにも文章を書けていけたらいいなと思って今書いてます。が、どうだろうか。やっぱり少しは意識をしてしまっているなと、自分でもなんとなく感じる。でも比較的ラフに書けてるんじゃなかろうか。なんかの本で、喋るように書くのが一番伝わりやすいのだ、みたいなのを読んだことがある。ということは、こういうラフな文体の方がみんな簡単に読めるのかな、と思ったりするんですがどうでしょう。

最近はそういう自分の“スタイル”についてよく考えている。プロポーションの話ではないよ。それは自分の型、ということかもしれないし、特有の美学とか、哲学、みたいなことかもしれない。

何が言いたいかというと、ここ2,3年の俺は自分の世界をもっと広げていくために活動を続けていた節があるんやけど、今はその内的な世界をもう一回見つめ直すフェーズに来たんじゃないか、ということ。もう一度、自分らしい表現、という抽象的なものごとについて深く考えるべきタイミングが来たんじゃないかと。そういうことを考えているのです。で、最近はそういうことを考えながら曲を作っている。『インドア』の制作ぶりに。まあそんな感じで頑張ってるとこなので、少しでも雰囲気が伝われば何より。

というか、契約してるサブスクリプションが溜まりすぎててちょっとヤバい。サブスク減らしていかなければ、というのが最近の課題。とりあえずKindle Unlimitedは今月解約した。デジタル書籍に憧れてタブレットも買ったんやけど、無限に読めちゃうから時間が溶ける。のでタブレットも売却した。一年以上続けてたYouTubeプレミアムは今日終わりを告げたんやけど、バックグラウンド再生でけへんし、広告めちゃ流れるし、既にストレスがすごい。まあYouTubeも中毒になってた節があるので、これを機に見る量が減ればいいな。とにかく最近はこんな感じで無駄なものを削ぎ落としていくモードに入ってる。本と服もかなり捨てたしスッキリ。

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