新社会人はきっと、みんな思春期だ。

新社会人はきっと、みんな思春期だ。

「答えが欲しいわけじゃない、味方になって欲しいだけ。」

恥ずかしい話、

社会人8年目の今でも僕はその一人なのだが、それは下駄箱の隅に置いておく。

例えば、

知識を深めるとか、

将来には良い思い出になるとか、

頑張るとか。

飲み会に参加しろとか、

電話をだれよりも早くとれとか、

頑張れとか。

特に新しい発見でもないようなこと伝えても

ただのマウンティングだ。

新社会人たちはトレッキングシューズもストックも持ちあわせていないのに、

そんなアルプス山脈ほどある険しい登山をしたがるわけがないのだ。

道具の準備と使い方をマスターしてからの話。

当時の自分に、なんて声かけるか考えてみたんだが、

ひよっこで、わがままな愚痴話を聞いてあげること以外思いつかなかった。

ただ、僕が新社会人時代(大航海時代みたいでおおげさ)の時の気持ちは

ほとんど忘れてしまった、ほとんどは。

行きたかった大学をあきらめ、浪人する勇気もなく、

バイトに明け暮れていた18歳新社会人。

社会人マナーなんてなんも知らない。(今もあまり知らない)

そんな自分なのだから

こうして見当違いなことを、一生懸命文字に起こしているのかもしれない。

しかしながら、とりあえず僕は、僕の味方になってあげたい。

さて、先ほど大航海時代(新社会人時代)の記憶は

ほとんど覚えていないといった。

ここからは、そのほとんどの内容を書いていきたいと思う。

興味深いデータがある。

「日本人の約7割は人見知り」

今更わかりきったことのように思うが、

なんだか改めてその数字を目の当たりにすると

少し自分のことを好きになれた。

自分は嫌われているわけではないのだと。

往々にして、新しい環境に身を置くことは緊張と不安の連続だ。

仕事、生活リズム、そして人間関係。

僕は願望(こんな風になりたい、あんな事をやりたい)をもって

仕事を始めたわけではないから(喝っ!!!!)、

とりあえず楽しく働きたかった。

でも、変わり者の僕が上手くやっていけるのか不安。

例にもれず人見知りだし、

休憩中の飯なんて1人で食べなきゃ喉通らないし。

それは今の職場に代わった時も全く同じで

(もはや新社会人に向けてという定義が破綻中)、

自分のしっぽを誰にも見せないことが

仕事を円滑にこなせる事だと考えていた。

豚のしっぽみたいに、くるんと丸まっても

先を外に向けることができなかった。

毎日がまるで月曜日みたいだ。

誰にも気を許せないのは本当にしんどかったと記憶している。

だから、帰り道は最高だった。

職場から家までの道のりの中に

自分に優しい場所を探した。

悔しいの連続の毎日を認めてくれる場所。

(職場から数えて2つ目のコンビニ)

ただそこで光っているだけのあかり、

ただレジを打ってくれているだけのひと、

ただ帰りに缶ビールを買っている自分。

(人気のない公園とブランコ)

ロング缶のプルタブを開けて、ブランコを揺らす。

いつも空手の練習をしているおじさんと目があう。

ある日は手の甲を血だらけにして

どうしたのかとギョッとしたこともあったっけ。

(家の近くの橋の上)

都会の鯉は大きいなぁなんて思いながら、

また日曜日の夜のような気分になって、

イヤホンのボリュームを上げる。

話が少し脱線してしまったが、

新社会人とは、

青春の中にいて、つまらないことで悩んで

傷ついていても、それでも許してもらえる特別な社会人だと思う。

ダメだダメだと叱られて

期待外れと、自分で自分に失望して。

けれども世界はまだまだ狭い。

それは土地や場所のような物理的なところになくて、

時間や経験や感情というような

ものさしで測れない世界という意味にある。

自信過剰さんも、心配性さんも

みんなまとめて、

帰りに寄り道をすれば良い。

ホッと一息、

自分の味方になってくれる優しい時間を探すのだ。

そうこうしているうちに、

社会のスいもアマいも知るようになる。

ビールのニガみとウマみを覚えるように。

#社会人1年目の私へ
#エッセイ
#ビール
#ワンカン






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