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If I Should Die Tonight

 2020年は悲しいニュースが多い。疫病の流行、まさかこの人がと思われる人気有名人の自死、今年はきっとみんな等しく心が弱っている。
 
 そのツクツクボウシはたった一匹で鳴いていた。夏がきっぱり別れを告げた秋の初めの昼下がり。他の蝉たちの声はとうに消え、虫かごを持った子供達もいない9月終わりの公園で。僕は気休めでも日頃の運動不足を解消にと、少し離れた駅に隣接する大型ショッピングセンターへ片道30分程度の道のりを歩いているところだった。
 公園は高台にある住宅街の入り口の丘を削って作られた、サッカーで言えばおよそフルコート分くらいはある少し広めの公園。昔から生えている大きな木が数本あり、背後には手入れされていない空き地に鬱蒼とした雑草が控えている。
 当然ながら秋の虫たちの合唱。それはまるで秋本番へ向けたリハーサルのように、優しくささやかに響いていた。

 そこに季節外れのツクツクボウシがたった一匹、場違いな程とてつもなく大きな声で鳴いている。音楽で例えるなら、念入りにアレンジされた少人数のバイオリンの編成に、マーシャルアンプをフルボリュームで鳴らしたエレキギターが全く違うコードでけたたましく斬り込んでいる感じだ。きっとこの虫たちの波形を分析すればまるで違う形を示すだろう。恐らくこれには殆どの人がちょっとうるさいと感じてしまうのではないかというレベル。何しろ世間の気分はもうとっくに秋なのだから。

 僕は歩くのをやめ、しばし側道のガードレールに腰を下ろした。今日も悲しいニュースを耳にしたばかりだった。
 はて、命とはなんだろうか。

 ツクツクボウシは今、命を全うしようとしている。友達、仲間達、ましてや恋人もいない、たった一匹で。ひとりぼっちの寂しさを押し殺すかのように、木にしがみつき樹液を吸いながら、一心不乱に与えられた命を燃やしているのだ。 
 もし僕が彼なら、季節を間違えて生まれた自分を悔い、秋の虫たちの合唱を邪魔しないように静かに身を潜めているだろう。いや、あまりの寂しさに、どこかの湖で頭から墜落してしまうかもしれない。だが彼に残された時間はもう無いのだ。あと数日、いや数時間かも知れない。宇宙から見れば瞬きにも満たない僅かな時間に、どんなに他の虫から疎まれ、馬鹿にされ、まるで意味の無いことだと笑われようとも、精一杯、今まさに自分の命を全うしようとしている。
 
 僕は腰を上げまた歩き出した。ショッピングセンターでの用事を済ませ、同じ道を引き返した。辺りはとっぷりと日が暮れ、その公園では秋の虫の大合唱。ツクツクボウシはもうどこかへ行ってしまった。
 
 はて、命とはなんだろうか。

 神様がお創りになったもの? 確かにそうかもしれない。
 何しろ僕はただそこに存在するだけで奏でられる、あれほど尊く、心の奥底に美しく響く不協和音を未だかつて聴いたことが無かったのだから。


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        Marvin Gaye /  If I Should Die Tonight

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