タケノコ狩りが今熱い

冬の匂いは去り、春の匂いを感じる今日この頃。春とは奥ゆかしい時期だ。桜の時期だ。出会いと別れの時期だ。新芽萌える、命溢れる時期だ。タケノコ狩りの時期だ。「春」をテーマにマジカルバナナをしたのであればおそらく前半で出てくるイメージばかりだろう。
本格的な春を前に、私の心はタケノコ狩りに囚われている。タケノコ狩りに思い馳せている。恋い焦がれている。嗚呼、タケノコ狩り。あなわびしタケノコ狩り。

元々私は自然が好きで、何を隠そう大学生の頃は実家で家庭菜園をしていたぐらいなのだが、自然に触れあいたいのだ。しかしながら昨今の日本では深刻な自然離れが進んでいる。土に触れるという行為が非日常になってきている。それではいかんのです。友達にタケノコ狩りに誘いまくっているのだが、まったく快い返事をもらえない。
一人で行くのはさすがに悲しい。どげんかせんといかん。東京まではるばるやってきて、休日に一人でタケノコ狩りに出かけていると親に知られたら泣かせてしまう。
そういうワケで、しっかりとタケノコ狩りの魅力について考えてみた。

健康的な環境とコンテンツ

タケノコ狩りは山で行う。山にはマイナスイオンがある。緑が多く目が優しい。空気がきれいだ。この時点で東京都心部でゴンチャを嗜んでいる輩とは一線を画すQOLの高い時間を過ごせるのは間違いない。しかしこれはタケノコ狩りの健康の序章に過ぎない。
タケノコ狩りはまずタケノコを探すところから始まる。探すときには歩かなければいけないのだが、困難なことにその場所は山だ。上り下りが常に付きまとう。心拍数が上がり、血流が良くなる。そしてタケノコを見つける。タケノコを掘る。この時掘るときにクワを振るわけだが、この時無酸素運動が生じる。奇妙なことに、何のめぐりあわせか、タケノコ狩りの一連の流れなの中に有酸素運動と無酸素運動が両立している。こうなってくると、東京都心部でゴンチャを嗜む輩とは一線どころか次元を画したQOLを手に入れられるのは言うまでもない。

本格派としてマウントを取れる

バレンタインの時にカカオ豆から頑張ってチョコを作ったみたいなしょうもないウソを誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか?あれは要は本気度を冗談を踏まえて示すためのフレーズなのだと思う。
はっきりと断言するが、市販の板チョコを溶かして作り直したチョコの味は、どれだけ頑張って作っていようが板チョコの味と同じかそれ以下にしかならないのである。それはなぜか?素材が市販の板チョコだからだ。つまり素材を変えない限り相手に最高のクオリティを届けられないのだ。だからこそカカオ豆からチョコを作ったという冗談がある。
前段が長くなってしまった。タケノコ狩りにもしあなたが行くとする。タケノコを掘るとする。そのタケノコで炊き込みご飯を作るとする。そうした時にだ、是非あなたは作った炊き込みご飯を好きな人にご馳走してあげてほしい。きっと相手は美味しいという。その時にこう答えよう。「掘るところから作ったからね。」と。相手はその本気度にイチコロだ。市販のタケノコを使うやつらに差をつけろ。

(男性向け)デートに使えば魅力訴求しやすい

モテたい男性諸君、女性にモテるためには何が必要かご存知だろうか?人間は本能的に優れた遺伝子を求めている。優れた遺伝子を持つ者とはどんな存在か?生存競争に勝てそうな存在だ。旧石器時代、人間は狩りをして生きていた。つまり力の強い者が生き残りやすく、力強い肉体を持つ男が女性から本能的に求められたわけだ。この女性の本能は現代でも確認される。ちなみに女性は男性の力強さを見分けるために上半身の筋肉を見ているらしい。胸筋と二の腕を鍛えるのがポイントだ。だが、現代社会では力だけで生き残れない。生き残るためには社交性が必要となってきたわけだが、この社交性の高さも現在社会ではモテるために必要となっている。
ここでタケノコ狩りに話を戻そう。まずタケノコ狩りを行うに際し、異性に対して圧倒的な野性性を見せつけられる。なんせタケノコ「狩り」だ。「Hunt」だ。特大のタケノコを狩れたあかつきには、旧石器時代で言えば特大のマンモスを狩ってきた魅力的な男として女性の目には映るだろう。この時点でほぼその恋は実ったも同然。またタケノコ狩りを行うに際し、一人の力では難しい。どこに生えているのか探す作業がある。その際に必ずコミュニケーションが生まれる。そこで社交性を見せつけることができれば、ここで恋の成就は100%になったと言える。

何となく優しそうというレッテルを貼れる

自然に携わる者は何となく優しそうなイメージを持ってしまわないだろうか?殺人事件が起きた際に容疑者が2人いるとする。1人は田舎で畑を耕す青年。もう1人は都会でデイトレードを生業にする青年。この時点で後者の青年がほぼ犯人だと思ってしまうのが人間の性だ。
侵略する文明人、迫害される原住民。この構図は宮崎駿の作品の中で何度か見てきた気がする。宮崎駿の作品に触れてきた私たちには、文明人が悪で、現地人が善という偏見を持ってしまっているのだ。自然に囲まれた人間という現地人っぽいイメージを作ることはそれすなわちなんとなく優しそうというレッテルを貼ってもらえるということに違いないのだ。インスタという文明の利器を通して、ガシガシ自然と触れ合う姿を文明人に晒して行こう。


さて、ここまででタケノコ狩りの魅力とメリットが十分に伝わったと思う。
今にもタケノコ狩りに行きたい人が増えてきたことだと思う。それはいい兆候だ。今があなたが生まれ変わるときだ。今こそ一歩踏み出す時だ。
つまりまとめると言いたいことは、誰か僕と一緒にタケノコ狩りに行ってください。マジで。

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