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安心

「先生の顔を見たら安心できた。」

今日、どこかから聞こえてきた。
自分に言われているわけでは無い。

というか今までで何回かは
こうゆう場面に遭遇したことはある。

今回は改めて深く考えてみたい。


人は顔を見ただけで安心できるのか?
という疑問に遭遇した。
それは疑っていることでは無いが
思う人がいるんだから
それは紛れもなく、事実なんだろう

他人を見てると安心するって
凄いことだと思う。

"不安、寂しさ、悲しさ、恐怖、憂い"

なとどいった感情が
その人を会ったり、
話したり、
接することで
払拭されることは

その人は
どうゆう気持ちになるのか。
もちろん安心が1番先なんだろうけど。

プレゼントでしかない。
かなり与えている。
存在するだけで与えている。

この"与える"には
どけだけの価値があるんだろうか。
それはその人にとって

心を癒す
傷を癒す
身体が緩む
緊張が解ける
リラックスする
身体が動くようになる。
軽くなる
思っている事(言葉)が出やすくなる

これって
まさに身体が治りやすくなるということ。

言うだけならほんとに簡単だが
人間同士
こうやって人と接すれば
こうゆう現象が起こるのは分かる。
誰でも
今の世の中分かる。

しかし

自分はどうなんだろうか。
存在するだけで
これだけのプレゼントを与えているか。
価値を生み出しているか。

こんな事を書くと
自分に価値がないような
自己嫌悪に陥ってしまう
文章になってしまうけど

そうではなくて
今自分にとって
人に安心を与えるということは
どうゆう事なのか。

それは何の為であって、誰の為なのか。

多分だけど
自分が生きていく中で
1番強くしていかないといけない部分ではある。

安心材料をたくさん。

それは先生だけではなく
人として。

細かくはまた書こうと思う。

今日は腎臓がやられたので
寝ます。。。

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