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妻と犬とのくらし〜まったくペット願望がなかった私が飼うに至るまで〜

「犬がこの家にいるって想像してみて。真っ白で、あったかくてふわふわで。そんな犬が今ここにいたらどう?」

妻は、ずっと犬を飼いたがっていた。
そうだ、前の家はペット禁止だったから今の家に引っ越してきたんだっけ、と思い出す。
日々の忙しさやさまざまな懸念事項は、動きの鈍い腰をさらに重くし、私たちは引越してから1年が経とうとしていたが未だに踏み出せずにいた。

幼少期から一度もペット願望(?)がなかった私にとって、私たち夫婦が新しいかぞくを迎えるかどうかは妻の一存にかかっている気がしていた。
だから、なんとなく「犬を飼ってもいい?」ということばを想像していた。
主導して飼いたいのは妻で、私は許可を出すひと。そんな風に思っていた。

冒頭にもどる。
妻にとってペットを飼うというのは、2人が同じ様にくらしを想像し、選び、迎える行為なのだ。どちらか一方が許可を出して進むものではない。
責任を預けすぎていた自分を反省し、もう少し豊かな想像力をもって新たなかぞくについて考える。

私は眠るまえの一瞬の時間、となりにやさしいあたたかさの白いモフモフを想像する。
近くを散歩するときに寄り添って歩く新しいかぞくを思い描いてみる。
けれど一度も経験がないのでどうにも及ばない。

今度は、妻と犬のペアに思いをはせる。
きっと彼女は、人間にするのと同じように犬に話しかけ、今日あったことを細かに話すんだろう。
歌いながら(ときには踊りながら)散歩をしてゲラゲラ笑って疲れて帰ってくるに違いない。
このペアのことを考えると途端に楽しくなってくる自分がいた。

そうだ。
私は、好きなひとが好きを存分に発揮し、満喫しているところが好きなんだった。
懸念点は考えはじめるときりがないし、未知のことは怖い。
けれど、心配ごとにばかり目を向けるのではなくて、自分と妻の「好きなこと」を信じてみることにした。

最後の「あなたもきっと犬のいるくらしが大好きになるよ」という妻のセリフにもとどめを刺された。(ときに妻は私以上に私のことを知っている)

かくして、私たちは新しいかぞくを迎える大きな決断をした。
今年の春のできごと。

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