![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146721306/rectangle_large_type_2_743c117cbe6edfe849b065f5b7fe5457.png?width=800)
「自由に生きる」にはそれなりの覚悟がいるって話
○○で稼いで自由な時間を手に入れる!とか
自由に働いて生きる!とか
WEB広告やSNSでよく見かける「自由に生きる」的なフレーズについて。
よくわからないけど楽そう、
なんとなく充実してそうといったイメージを持つ方が多いと感じます。
私もその一人だったので特に興味もないプログラミングスクールに
大金を払ったりもしました。
だから誘い文句にしているのでしょうね
ただ「自由」はそんなに甘くないです
下記は私が思う「自由に生きる」です
「自由」=自分で由とする。
自分で意思決定するのだから自分の行動言動の結果全てに責任を取る。
つまり、責任をとるための実力と器、覚悟が必要。
実力と器に関しては後から付いてくるものがほとんどなので
まず重要な事は覚悟ですね。
自分が心の底から取り組みたい事や生き方だから
誰に何を言われてもどんな結果になっても貫き通す。
刺し違えてでもやってやる。
そんな覚悟。
孤独も覚悟しなければならないです。
自分の意思決定や感じ方と異なる考えの人に合わせる事をしなくなると
間違いなく孤独になっていきます。
そんなつらそうな「自由に生きる」ですが
覚悟を決めた分だけ全力で迷いなくフルスイングするので
生きてる実感は半端じゃないです。
ドーパミンも滝のように出ます。
逆に一番楽で要領のいい生き方は「自由」ではなく
組織に所属して出世はせずに余力を残して働き
責任もそこまでないポジションで会社が求める事をこなして
毎月決まった額のお給料を貰ってその金額に見合った生活を送る。
色々と飽和状態の現代における「足るを知る」の生き方ですね。
ただ私はこの生き方だと「足るを知る」と念じても
結局どこか満たされない感覚が付きまとっていました。
なぜ一番楽で安全だとわかっていても満足できなかったのか
それは自分の人生ではなく他人の人生を生きていたからだと思います。
※他人の人生=意思決定の根本が「自分がどう感じたか」ではなく
「他人がどう感じるか」で生きている状態。
何を伝えたいかというと
ドーパミンを出したい奴は覚悟を決めろ。
ってことですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?