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教育について考えてみたこと

最近、高校生のキャリアをサポートする教育系のプロジェクトに関わっていることもあって、教育とは何か?ということをふと考えることがあったが、あまり、深くは考えられずにいて、そのままこの問いを放置していたのだが、この前、親戚の子(2歳、5歳)が家に来て、遊ぶ機会があったので、ちょっとそのときの経験やこれまでの自分の経験も踏まえて教育について考えてみようと思う。

⚫︎言葉は自分に返ってくる

これは、いま、関わっている教育系のプロジェクトで、大学生の子と話す機会があり、そのときに感じたことだったのだが、人に語りかける言葉というのは、ブーメランのように自分にも跳ね返ってくるということだ。この時、僕は現時点での解像度でのクリエイティブとは何か。ということを話したり、残酷なことにクリエイターは自分なりの正解を作っていくしかないこと、そして、自分もその道の半ばであることを話したのだが、この言葉はそっくりそのまま自分へと返ってきて、自己の認識を深めてくれることに気づいた。すなわち、教えるということを通じて、教えた対象者からフィードバックが返ってくるということだ。正直、これはかなり恐ろしいことで、教える側の人間として在り方そのものが問われることと同義なので、日々、子どもたちや生徒と接する先生はすごいことをしているのだなと改めて思った。

⚫︎先生役の触媒としての能力

生徒を教える先生役は、教育の場を生けすに例えるなら、生けすそのものみたいな感じなので、どれだけ生徒を自由に泳がせてあげられるかが問われるなと感じる。そのときに、必要なのが、触媒としての能力で、レゴを作りたい!とか、これを作りたい!といった子どもたちの好奇心だったり、どうしてこれはこうなっているんだろう?というある特定の対象に対する問いを発している、あるいは、発するようなしぐさをしている時に、どのようにその子の思考を広げてあげることができるかを考えて、言葉を投げかけてあげたり、一緒に遊んであげたりできるかどうかが大事な気がする。この前も親戚の子がレゴをやりたい!と言ったので、レゴを作ったのだが、ウルトラマンをクレーンで吊りたいと言ったので、一緒にクレーンを作っていた。こんな感じで、先生には、好奇心や問いを汲みとれる観察力とそれを広げてあげたり、深掘ってあげるような考えを促す手引きをしてあげるような能力とこれらの土台となる自分なりの経験と知識、そしてその幅の広さと深さが必要になってくるんだなぁと思い、ちゃんと先生役をやるのは大変なことだと思った。

⚫︎子どもはリフレーミングの達人

親戚の子と遊んでみて、子どもはリフレーミングの天才だなぁと思った。
例えば、Switchでどうぶつの森を一緒にプレイしたのだが、飽きた!他のゲームやりたい!と言われたので、ポケモンのダイヤモンドをやり始めたところ、「えっ、ポケモンって戦うゲームなの?」「なんでポケモンは戦っているの?」「戦い嫌いだから、やりたくない」と言われ、確かに、ポケモンを戦わせているのって人間のエゴだよなと思わされた。サトシは自分のエゴでピカチュウを戦わせてたのか、と考えさせられた笑、こういった感じで、子どもは既存の価値観とか固定観念が彼らの中で十分に構築されていないために、触れる物事をリフレーミングする能力に長けていて、こちら側の学びになることが多いと感じた。


⚫︎振る舞いすらも教育となってしまう

これは、自分がデジハリに通っているときに、先生から言われたことだったのだが、何かを教えるということはそれ自体、生徒への振る舞いすらも教育となってしまい、そこから教える側は逃れることはできないということだった。これは、学術的な用語でいうとパターナリズム(paternalism)と呼ばれるもので、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいうらしい。この振る舞いすらも教育となるというのはこれまた恐ろしいが、教育の場に関わることになったら忘れずにいたい考え方のひとつだ。


⚫︎違和感や人生の翳りを持つ人にどう接するか?

これは、過去の自分が一時期そういった違和感や人生の翳りを持っていて、鬱々としていたことがあったので、あの時の自分にどう接してあげられるだろうか?と考えることがときどきあり、考えている。いまの自分には深い翳りというのはないが、あの時の深い翳りを持つ自分を救ってあげることがどうやったらと。もしかしたら、その術がアートという自己のドロドロした内面を外に吐き出す技術だったのではないかといまは思う。そういう意味では、アートを作ることができる人間になれて良かったなと思う。


自分自身、教育には自身の原体験からも強い興味があり、自分で創造性の教育をテーマとしたコンテンツを作ってみたいと思うので、いま関わらせていただいているプロジェクトとは別の創造性を育むような教育プロジェクトにも関わっていきたいと思っている。


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