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【火喰鳥を、喰う】人の執念というものは、こうも恐ろしいものなのか

火喰鳥を、喰う
KADOKAWA 2020年12月11日 初版発行
原浩(はら こう)

いやぁ、これは何と言えばいいのか。
タイトルとインパクトのありすぎる表紙を見てこれは面白そうと感じて読み始めましたが、内容は私が想像できる遙か彼方をものすごいスピードで過ぎ去るほどに、想像できないものでした。
作者の原先生はこれがデビュー作とのことですが、これほどの作品をデビュー作として発表してしまうとは。。。
恐ろしい才能と、センスと、そして努力の結果なのでしょう。

ストーリーは、主人公である久喜雄司の周りで事件が起きることから始まります。
一つは、久喜家先祖代々の墓が何者かによって傷つけられたこと。
一つは、七十年以上前に戦死した大伯父の日記が届けられたこと。
この二つの事件をきっかけに、まさに「怪異」としか呼べないような現象が頻発する。
日記を発見した新聞記者の狂乱。
雄司の祖父・保の失踪。
日記に突如書き足された「ヒクイドリヲ クウ ビミ ナリ」という一文。
雄司は妻の夕里子とともに、超常現象に詳しい北斗総一郎を頼るが。。。

この紹介文だけでもぞわぞわする。
紹介文を読んで、少し本編を読んでみれば主人公たちがこの怪異の原因を探っていくストーリーなのだろう、ということはなんとなく気が付くとは思います。
ただし、どのような決着が、終着点が用意されているかというのは、本当に創造のはるか彼方の出来事のように感じるほどに、きついです。
予測も不可能だし、なんなら理解も不能です。
順立てて、ゆっくり噛みしめながら読んでいけばいいのでしょうが、残念ながらこの作品はそのような読み方を許してくれず、先へ先へと自分でも驚くほどに読み進めてしまうのです。
清々しい疾走感ではない、何かから逃げるような、追ってくる何かを振り切るような、そんなスピード感を体感しました。
本当にスピード感がすごいんですよ。すごいんですけど、この作品の恐怖感はそのスピードと対になるかのように、じわぁっと包み込んでくるかのような、足下から徐々に這い上がってくるような、そんな恐怖感なんです。
このストーリーの展開に関するスピード感と恐怖心のスピード感の速度差が、読み手の心に不気味な気持ち悪さを生み出していて、それでも先を読みたくなるところが、この作品の素晴らしいところでしょうか。
いやー、これ、多くの方に読んでもらいたいなぁ。
表紙の火喰鳥の姿、家の庭であろう場所から居間へ顔を覗かせているこの表紙だけでも、読みたくなりません?この違和感ですよ?
横溝正史ミステリ&ホラー大賞受賞作品というのも納得の一冊をどうぞ手にとってみてください。


それでは、ここからは触れてこなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

全員が同じような感想になるかわかりませんが、私は怖かった。
自分が信じている何かを、しっかりと踏みしめている地面や、毎日鏡で見る自分の顔、昨日会話をした家族、幼い頃の記憶、アルバム等の記録、そういった何かを、全て失っていく恐怖。
いや、失うわけではないな。
「無かったこと」にされていく、この恐ろしさよ。
失うってのは、そこにあったものが無くなるだけで、「あった」という事実までは消えることがない。無くなってしまったことは悲しいかもしれないが、記憶の中に残っていれば思いで話はできるし、完全には無くならない。
それを「無かったこと」にされてしまったら。。。

間違いなく生まれ育った実家の玄関先でチェーンロックの隙間から「うちには息子はいませんが。。。?」なんて言われてしまったら。
そこは俺の実家だ、というそれまで疑うことすら考えたこともなかった事実が、途端に信じることすら怪しいものへと変化し、しっかりと自分の中に存在していた記憶までも揺らぎ始める。
こんな恐怖は絶対に体験したくないんだけど、この作品は疑似的にこの恐怖を体験させてくれる。

さて、読み終わるまで3日間。
これが速いか遅いかは個人差ですが、私の中では非常に速い。
おそらく、作品が持つスピード感に、私が抵抗できなかったのでしょう。次から次へと場面が切り替わっていくことで、どこで一端読むのを止めるか迷ってしまいました。細かい描写や多少の説明は省いてでも、ダイナミックに展開していく方に力を入れたのではないかと思います。畳み掛けるように、怪異としかいえないことが次々と起きていく。
その後に必ず訪れる、自分の世界からの「事実の欠落」。
自分の足下がふわふわするような、そわそわするような、本当に落ち着かない気持ちにさせてくれながら、読むことをやめられない。
読み手までもが、貞市の手帳の「籠り」に当てられたかのように、無心で読み進めることしか許されない。
読書をしている時間というのは、目で文字を追い、頭の中で声ではない声で読んでいます。
この状態は、完全に無防備。
何をされても気が付かないし、気が付いた時には終わっている。
そんな無防備な状態で、何かに追い立てられるようにする読書は、得も言われぬような気味の悪さと、非現実を目の当たりにしているかのような感覚に襲われます。

生きていくこと。
長いような短いような、振り返らないとわからないような人生の中で、人間はどこまで「生」に対して貪欲になれるのかな。
自分の人生の終わりに、その生に対する執念を何かに宿して、後の世に生きる者たちを巻き込んでもなお、自分の生を優先させるように仕向ける。
他人の幸せも人生も、何もかも気にすることなく、踏みにじるように自分の生のために使っていく。そんな人間になろうとは思わないと「今は」思うけど、極限の状態で自分ではどうすることもできないような理不尽な最後を迎えようとした瞬間には。
さすがに何かを、籠りのようなものかどうかはわかりませんが、何かを残してしまうかもしれません。
その何かは、自分の意識や考えは残ってないだろうから、きっと誰かにいいように使われるんだろうな。

そういった意味では、北斗の執念が最大の恐怖かもしれない。
ある意味、北斗が自分の想う世界にするために、若いころに手に入れることができなかった女性を我が物とするために、貞市の生に対する執念を利用した展開は、ちょっと読んでいて怖かった。人が人を愛することで、そこに通常考えられないような感情が発生することも、もしかしたらあるのかもしれない。それは、私たちが生活しているこの現実世界でも、やはり愛情が変異したような事件は起きているから。
それでも、そのような歪な関係は上手くいかないだろうし、普通はしようとも思わない。
籠りを超える執念を、北斗が抱えていたってことなのかな。
そうなると、亮が北斗を信じなかったのは、何を感じ取ったのだろう。最初に籠りの影響を受けたことから、そこで北斗の何かを感じ取ったのかもしれないけど、単純に好き嫌いの感情だけかもしれないし。
うん、ちょっとだけモヤモヤはした。
亮の感情だけは、最後までわからなかったかな。

最後に一つだけ。
物語の途中に出てくる少女。チャコと名乗る少女は「おじいちゃんと遊ぶ」と話していたが、おそらくこの少女は物語の最後に出てくる千弥子と同一人物であると思われる。この千弥子は子供を宿しており、その子が産まれれば貞市の曾孫となる存在であるという。
とすれば、貞市の一族であることがわかる。
雄司がチャコと会ったのは、まだ怪異の始まりの頃。その頃からチャコが存在しているということは、貞市はそのときにもう雄司と同じ次元に存在しているはず。
しかも、物語終盤に出てくる貞市はもう100歳近い老人で、千弥子は40歳。雄司が会ったチャコは少女ということから、小学校低学年くらいだと思われる。
ところが、物語終盤で雄司が殺そうとした貞市は「老人」だった。
つまり、時間が数十年経過しているということになる。
どこで?いつ?
考えられるとすれば、雄司が手帳を読み進めているシーンで、日記の内容を時間軸に沿って確認することで時間が経過した、くらいだろうか。
真相はわからない。

火喰鳥という、かなりインパクトのある存在をタイトルと表紙に用いながらも、実際のストーリーの中では「食」の象徴のような存在として、さらにはそれを食べることで生きながらえるという「生」の象徴として描かれるのみで、直接何かをするということもない。
ただ、そこに「いる」。
それもまた、作品としての恐ろしさを、深く掘り下げているのかもしれない。

サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…