11月25日、天満天神繁昌亭の「天神寄席」の鼎談に呼んでいただきました。図書館の使命とは何か?自分なりに感じていることをお伝えしました。
天満天神繁昌亭の「天神寄席」の鼎談、とても光栄なことですが、何分、初めてのこと、日にちが近づいて来るにしたがって緊張が増しておりました。
こう見えて緊張しいなのです。そんな時、最終的にいつも考えることは、「引き受けた以上は、背伸びせずに精一杯がんばろう。シンクロと違って息はできるやん! 大丈夫」と思うのでした。
落語の世界を存じ上げない私でしたが、楽屋にも初めて入れていただき、裏方での落語家さんたちのご苦労も垣間見ることができました。
娘の子どもたちが、一番前に座っているのを知ると、落語家の皆さんは、枕で、子どもたちが喜ぶネタを仕込んで下さっていました。温かいお心遣いに、胸が熱くなりました。
そのような経緯から、笑福亭 喬龍さん、月亭 遊真さん、林家 笑丸さん、桂 団朝さん、林家 小染さんとは、特別な出会いのように思い、ご縁を感じたのでした。
「落語」と「本」は、先人の意思を後世へ伝えていかなくてはならない文化であり、同時に新しい挑戦を続けるという意味で似ているように感じました。
鼎談では、歴史学者の高島先生から、まず、私自身のこれまでのシンクロを中心とした半生のこと、そして、本屋の置かれた現状について聞かれました。
また、図書館の役割について。
書店が、急減している中で、図書館がベストセラーを過剰に置くことについてどう思うか?訊ねられました。
図書館司書の方には、地域におけるご自身の価値基準を常に持ってほしいと思っていることをお伝えしました。
たとえば、
・素晴らしい本でもあまりにも高額で読者が買えないような本を置く
・この地域ならではの郷土史などを置く
佐賀県、武雄市図書館 別名ツタヤ図書館がひとつの悪例です。
かつてこの図書館は豊富な洋学資料を誇り、国産第1号の大砲が常設で展示されていた『武雄蘭学館』は、国の重要指定文化財に指定されていました。
それが、蔦屋書店のレンタルスペースに改修され、子供たちのための『読み聞かせ室』や専用トイレは取り壊されて、スターバックスコーヒーに変えられてしまいます。
利用者の数、使用頻度ということを問題にしての「改革」だったと思われますが、図書館の意義はどこにあるのでしょう。ただ売れているものを置き、ツタヤのポイントが溜まるから足を運ばせるというやり方で公的施設の数字を上げることに未来があるのでしょうか。
地域に図書館がある意味、公益性を大事にしてほしい。ということを、お伝えしました。
また、児童文学研究者からの寄贈本もあった大阪府立国際児童文学館には、一点物のオリジナルの絵本や、紙芝居がありました。
これらには時代の規範、当時の国家観や、こども観などが記録されていたといいます。
けれども、2008年大阪府知事の橋下徹さんによって、知名度の低さ、立地の不便さ、来館者が少ないことなどを理由に「マーケティングの観点から、場所は中央図書館のほうがいい。」とのことで閉館となりました。
一般の図書館とは目的が異なり児童文学に特化した文学館で、国立国会図書館法における納本制度のような義務に基づかない民間の自発的な協力による資料寄贈としては日本国内で最大の規模でした。
長い目で、子どもたちのことを考えると、マーケティングということ自体がナンセンスで、数値化するべきではないように感じています。
図書館が同じ本を複数備える「複本」については、以前から作家さんや出版社が「無料貸本屋化している」と指摘されていました。売れている本を調べてたくさん置くという安易なことは、誰でもできるのです。
「本屋大賞の本を55冊は、多すぎるでしょう。」と高島先生が仰いました。
図書館の使命とは何か?自分なりに感じていることをお伝えしました。
隆祥館書店の取り組みについて、「一万円選書」の仕組みや、「ママと赤ちゃんの集い」をすることになったきっかけなどお聞きくださいました。
本屋を立ち行かなくさせているのは、何なんですか?と聞かれ、ランク配本という書店の規模で決める理不尽な流通の仕組みについても、エピソードと共にお話しました。
今回、繁昌亭の舞台から初めて客席を、拝見したときに、まったくのアウェイにも拘らず、隆祥館書店の沢山の温かいお客様のお顔が見えて、まるでホームグラウンドのように感じたのでした。
お越しくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからもどうか宜しくお願い致します。
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