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#2【世迷言】尽く・付く

「計算尽く」は「計算ずく」と読むらしい

先ほど「計算尽く」って言葉を使う場面があったので、ふと気になった。「計算尽く」って「ず・づ」のどっちを当てるのかと。

少し考えて僕は「計算づく」と書いた。考えてみれば当たり前のことだ。なぜなら「尽くす」は「つくす」と読むのだから。「尽く」は「つく・づく」に決まっている。

・・・と思いきや、辞書で「計算尽く」を引いてみると「計算ずく」と書かれているじゃないか。いやいや待て。おかしいだろと。僕は納得いかなかった。

グーグル先生に色々とご教授してもらって、僕がある程度腑に落とせたのは「尽く・付く」の違いの部分だ。

これは僕の想像になるが「付く(づく)」との混同を避けるために「尽く(ずく)」と読ませたんじゃないかと思われる。

例えば、「調子づく・計算づく」というように、どちらも「づく」だと、「付く」なのか「尽く」なのか、いまいち判別がつかない。そこで「調子づく・計算ずく」と分けたんじゃないか、と。

そう考えれば合点はいく。納得出来るかと言われれば、うーん、ちょっと微妙だけど、筋は通ってるかな、とは思えるじゃないか。

・・・まあ、結局、「計算尽くって書くのに『ずく』って読むのかよ!」みたいな、引っ掛け問題的なことになっているので、無駄な根回しだったのかもしれないが・・・。

でも、そういうことってあるよね。気を遣ったつもりが、結局、気を遣わない方が良かったっていうパターン。僕は、善意でやった行動なら咎めたくないって気持ちが強い人間なので、そこに関しては、特に気にならない。仕方ないよね。未来の結果は誰にもコントロール出来ないのだから。

「ず・づ・じ・ぢ」の違いが気になるタイプ

ここまでああだこうだと書いてきたが

「計算尽く」が「づ」でも「ず」でも、どっちでもいいじゃねえか?

そんな声が聞こえて来そうだ。

これはもう「人による」としか言えないと思う。僕は気になるタイプ。気にならない人も居るはず。それは良い悪いの問題ではない。気にならないなら気にならないで良いし、気になるものは仕方ないよね、そんな話だ。

気になることを「そんなこと気にすんな!」と言われても土台無理な話だ。むしろ余計気になる。人間とはそんな生き物。

だから僕は「一度気になってしまったものはスッキリさせてしまおう」と考えている。いちいち面倒臭いな、と思われるかもしれないが、僕にとっては、気になったけど放置して、常に頭の片隅でモヤモヤしている、そっちの方が面倒臭いのだ。

瑣末なことばかり気にして肝心なことを見落とすタイプ

そんな面倒臭い性分の自分が陥りやすいのがこれだ。

ボウリングのピンで例えると分かりやすい。1番ピンを狙うんじゃなくて、7番ピンや10番ピンを狙っている。そんな感じ。「お前は常にスプリットなのか?」と自らに問いたくなるほどだ。

しかし・・・、やはり、気になるのだから仕方ない。気にしないようにしよう、と思えば思うほど、気になってしまうのだ。

この問題に気付いたのは、確か、高校生になったかならないか、十五歳ぐらいだと記憶しているが、三十路近くになっても、僕はこの問題に、上手く処することが出来ていない。

この事実は「十何年経ってもアナタ成長していませんね」と宣告されているようなものだ。受け入れ難いが、それが事実なのである。直視せざるを得ない。ウムム・・・。

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