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【夢日記】無断ドタキャン

僕は仲良しの男連中が集う「野郎飲み会」に参加するために姫路駅まで出向いていた。この日が楽しみで仕方なかったのか、スタート時刻よりもだいぶ早く現地に着いてしまった。まだお店も開いていない。「夜」と呼ぶよりも「夕方」だし、もっと言うと「夕方」よりも「昼」に近い気もする。そんな時間帯に思えた。季節は分からなかったので何とも言えないが「15〜17時」の間なのは間違いないだろう。

僕は、日中の居酒屋の殺風景なさまを、しばらく眺めていた。どこからどう見ても人が居る気がしない。無論、閉まっているのだからお客さんは居なくて当然なのだが、従業員の仕込み作業なども、やっている雰囲気が全く漂ってなかったことに、違和感を覚えたのだ。

学生時代、僕は居酒屋でアルバイトをしていた。その時、社員さんから「仕事自体は好きなんだけど、開店前の仕込み作業、閉店後の締め作業。拘束時間が長いのがネックかなぁ」という話を聞かされていた。であるならば、最低一人は誰か居ても良さそうなものなのに、と思ったからこその違和感であった。

とはいえ、殺風景な居酒屋をいつまでも眺めていても仕方ないので、適当にブラブラして時間を潰すことにした。飲み会で使用することになっている店は駅前だったため、姫路駅周辺を散策することに決めた。僕は、ありとあらゆる居酒屋が立ち並んでいる「夜の繁華街」とでも言うべきエリアを後にした。

そこから、意識が飛んだ。

気が付いたら、僕は「巨大ベンチ」で寝転がっていた。「ベンチ」というと、大人ひとりが寝転がると、もう誰も座れなくなるぐらいのサイズをイメージすると思うのだが、集団で雑魚寝をすることも出来そうなぐらいの、巨大なベンチに僕は居た。事実、僕以外にも数人、談笑していたり、スマホを触っていたり、寝転がっていたりする人が居た。

僕は、自分がなぜこんなところに居るのか、ここはいったいどこなのか、そもそも「巨大ベンチ」って一体全体なんなんだ、という無数の疑問に襲われて、しばらく硬直状態になっていた。程なくして、「野郎飲み会」に参加するために姫路駅まで出向いたことを思い出す。

(待て。その前に時間は・・・?)

僕は、寝ぼけ眼で、まだ身体が完全に覚醒していないながらも、手探り状態で、自分のスマホが無いか、周辺をゴソゴソとしていた。そしたら、それらしきものに手が当たる感触があったので、ヒョイと摘み上げた。

「Don’t touch me‼︎」

突然、けたたましいアラーム音よりも耳障りな罵声が聞こえた。僕は反射的に手を引っ込めた。一瞬で目が覚めた心持ちになった僕は、咄嗟に「ソーリーソーリーソーリーソーリー・・・」と、カタカナ英語で念仏を唱えるように言い続けた。まさに「平謝り」という光景であったが、実際、英語圏でコレをやると、相手からどう思われるのか、どう受け取られるのかは、僕にはよく分からない。

少し冷静さを取り戻すことが出来た僕は、罵声がした方向を確認した。そこには大学生ぐらいの年齢と思われるアジア人が居た。声を聞いた時はアメリカ人をイメージしていたので、アジア人と思われる顔つきをしていたのが意外だったのもあり、僕はまじまじと顔を眺めてしまった。

「ケータイ?」
「ソコにあるじゃん」
「あぁ、似てるね、確かに、ウン」

彼のカタコトの日本語と発音から察するに、日本人ではないことは伝わって来た。そして、僕が彼のケータイ(スマホ)を盗もうとしたのではなく、自分のケータイがどこにあるか探していて、彼のケータイがたまたま似た形をしていたために混同してしまったことも察してくれたことも伝わってきた。さらに「あなたのケータイはそこにありますよ」とまで教えてくれたのである。

僕は彼の理解力の早さに、いたく感心しながら「サンキューサンキューサンキューサンキュー・・・」と、やはりカタカナ英語で念仏を唱えるように言い続けた。日本語で返してくれたのだから「ありがとう」でも良さそうなものなのに、僕は「サンキュー」と言っていた。「Don’t touch me‼︎」がよっぽどこたえたのだろうか。「この人には日本語は通じない」と一度思うと、その後、通じることが分かったとしても、瞬時に順応するのは難しいものなんだなぁと、もう一人の僕が、しみじみと感じていた。

(違う、そんな場合じゃない・・・!)

僕は、コミュニケーションに用いる言語について思索したかったのではなく、時間を確認するためにスマホを探していたことを思い出した。慌てた手つきで電源ボタンを押して、時刻を表示させた。

【20:19】

やらかした。完全にアウトだ。飲み会は18時スタートだった。18時19分だったら、まあダメだけど、ダメなんだけど、アウトとはいえギリセーフ、日本語にすらなってないが、いやそもそも日本語ですらないが、なんか、そういう感覚は、ある。「スマン、うたた寝してた!」と言ったら、ギリ許されそうな気が、する。19時19分だったら、これはもうアウトでしかないけれども、まだ、飲み会の場には居合わせているはずだ。「スマン、開始時刻、1時間勘違いしてた!」と言ったら、「おいおい、勘弁してくれよ〜」とか何とか言われながらも「じゃあ二軒目行きますか?しゃあねえなあ、付き合ってやるよ(笑)」とか何とか言われて、ワンチャン、その場に加われそうな気がする。しかし、20時19分は・・・、ノーチャンだ。一縷の望みすら見出すことが出来ない。

僕は、LINEを開こうとしたが、誰に何をどう伝えれば良いものか、全く考えがまとまらなかったので、なんとなくスポーツナビを開いて、トップ記事の欄を眺めていた。表向きの理由としては「どう説明するか考えをまとめるため」かもしれないが、実情は「現実逃避」以外の何物でもなかった。そんなことは誰よりも自分自身がよく分かっていた。

「報連相」は速やか且つ簡潔に伝えることがベターと分かっていながらも、遅きに失した挙げ句、長々とことの成り行きを説明したがために「もっと早く言ってくれれば対処出来たのに!」だとか「言い訳は聞きたくない!」などと言われることがしょっちゅうある僕は、あとで痛い目を見ること分かっていながらも、目先の嫌なことから目を背けてしまうのである。

僕は、ふらつく足取りで、姫路駅に向かっていた。誰に何も伝えぬまま、とりあえず自宅に帰ろうとしていた。この「ふらつき」は、寝起きだから身体がまだちゃんと動かせていないのではなくて、茫然自失状態であるために起きているものだと、僕はハッキリと自覚していた。

僕は、駅のホームに入って、電車が来るのを待っている間、無断ドタキャンの罪の重さを突き付けられていた。誰に何と言われるだろうか。どう怒られるだろうか。そんなことばかり考えていた。「怒られるのが怖い」という意識ばかりが先行していたから、まだ、現実を直視出来ているとは言えなかった。電車に乗るという行為も「逃避行」と呼ばれても仕方なかった。そんなことは、誰よりも自分自身がよく分かっていた。

(飲み会、楽しみにしてたのになぁ・・・)

僕は、電車に乗っている間、自分が無断ドタキャンをしたことを棚に上げて、本当は「野郎飲み会」に参加してドンちゃん騒ぎをしたかったのに、なぜこんなことになってしまったのか、と考えていた。他に考えるべきこと、やるべきことがあるのは、誰よりも自分自身がよく分かっていた。

自宅の最寄駅に着くと、再び、怒られることへの恐怖心が募った。スマホの電源を入れる。LINEのアイコンを眺める。動機息切れのような症状が出る。ダメだ。やっぱり怖い。僕にはもうどうすることも出来ない。ねじ込むようにスマホを服のポケットに入れて、早歩きで帰り始めた。どうすることも出来るし、時間が経過すればするほど泥沼にハマることは、誰よりも自分自身がよく分かっていた。

(僕が自分のスマホと間違えて他人のスマホを手にとってしまった時、「Don’t touch me‼︎」と言われたけど、あの状況だったら「Don’t touch my phone‼︎」の方がしっくり来るんだけどなぁ、それとも「私にとってケータイは自分の身体の一部みたいなものだ」というニュアンスを孕んでいるのかなぁ、そう言われると納得感もあるけどなぁ・・・。)

僕は、この状況において、最も考える必要がないであろうテーマに対して、一生懸命、物思いに耽っていると、目を覚ました。

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