宮崎竜成

Kanazawa College of Art Doctoral course.

宮崎竜成

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最近の記事

彼は鯨のように叫ぶ

吉川永祐の作品「エビスの呼ぶ声」は人間と非人間のあいだ、文明と自然のあいだ、海に潜っているのか、海から座礁しているのか、その両極の相互を揺れ動き、転位しながら振動する。それを象徴するのは声であり、発せられる叫びは、「叫んでいる」ということだけが感覚される。何かを伝えようとしているのか、あるいは心の内を吐露しているのか。文明的で記号的な声、つまりある言語を発しようとしている事はわかるが、その言語自体がその文明性と記号性を剥がされ、宙吊りになっている。 それは鯨の鳴き声に似てい

    • (我々)は何を震わせるのか

       本文は「声の棲み家」を鑑賞したことによる思考の備忘録である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー      声はコミュニケーションの媒介物ではなく、また、コミュニティを標榜する道具でもない。声とは、それ自体がある出来事の衝突そのものである。会場を後にしたその瞬間に、ふとそう思われてならなかった。  「声の棲み家」はプライベイトという貸民家で行われた林修平、NIL両氏が企画した展覧会である。三階建の建物の一階ではまず鈴木薫の「mana」が(我々)を出迎える。一定の

      • 反復についての覚書 -新しい秩序に向かって-

         いつも同じ時間にジャイアントコーンガーリックペッパー味二袋とゆずレモンサイダーをレジ袋付きで買いに行くセブンイレブンがあるのだが、ついに店員に「レジ袋入りますか。」と聞かれなくなった。もうそういう客なのだと習慣の中で認識し、私と彼との間が無意識のうちに関係づけられているのだろう。いや。それよりもっと前から「あ、いつものジャイアントコーンとゆずレモンサイダーの客だ。」と揶揄されていたかもしれない。それは、本来質的な時間であったものが、量的時間の反復へと緩やかに移行していると言

        • 生成についての覚書

           noteは比較的"ちゃんと"書こうとした文章を載せることにしている。  普段書く文章は、まるで思考のモンタージュのように断片的なもの(出来事)がよせ集まり、なにかイメージを作っているような、いないような、そんなものばかりで、そのような文章を心地よく投稿できるSNSフォーマットが見つからなくてずっと困っていた。ゆえに、今までずっとメモアプリに文章が集積していたのだが、最近とある展覧会に向けた準備の一環で、Google keepのメモを共有するという活動(?)を行っていて、それ

        彼は鯨のように叫ぶ

          憑依、無名、別ルート/サイトスペシフィック考

          先日、後輩に誘われて、「きのふいらしてください」という展覧会を観に行った。金沢市横山町にある使われなくなったまま現存していた町家を使ったものであり、金沢のアートスペースである彗星倶楽部が企画した展覧会となっている。 そもそも会場の町屋は、ことのは不動産が始動した「編む」という、空家を建物の性質や当時の名残を生かしながら改修、再販するプロジェクトの対象であり、本展覧会もそれと協働する形で実現したものらしい。 よって、展覧会では、参加している全ての作家が町屋に遺されたものやそこで

          憑依、無名、別ルート/サイトスペシフィック考

          菊谷達史 「急傾舎」考

          金沢の自宅で行われていた菊谷達史さんの催し「急傾舎」に足を運んだ。 作家自身のアトリエに新旧入り混じった作品が並んでいたが、これは展覧会ではなく、オープンアトリエのイベントという位置付けらしい。 したがって、「急傾舎」とは、オープンアトリエに際して名付けられたアトリエ名であり、展覧会のタイトルではない。 「急傾舎」会場風景 今回は「急傾舎」にもリメイクされて展示されていた、現在作家の最新作となっている映像作品「日の火の碑」という作品について書こうと思う。 この作品は第5期

          菊谷達史 「急傾舎」考

          松本大洋の「ピンポン」にみる、非相対的な「ヒーロー」とポストヒューマン。

          はじめに 正義はいかにして可能か。ということを考えることがあります。少年漫画(ジャンプやコロコロコミック等)では所謂「正義のヒーロー」が悪をやっつける、といった構造が多く見受けられますが(もちろん例外はある)、ここでのヒーローとは決められた一側面を悪と位置付け、それに対するものとして存在します。つまり正義と悪が相対関係を結んでいて、少年漫画における正義はそれが揺らぐことはありません。物語が展開していく中で、正義と相対されるものは即ち立ち向かうべき敵であり、敵を打ち負かしてい

          松本大洋の「ピンポン」にみる、非相対的な「ヒーロー」とポストヒューマン。