見出し画像

「昭和財政史」より 昭和54年度の「大平内閣による一般消費税の導入失敗」を書き起こし

昭和53年に誕生した大平内閣は、首相の大平正芳の強い意志もあり、「一般消費税」の導入を目指すことになる。しかし、その構想は結果的に失敗した。昭和財政史より、その経緯を書き起こす。なお長い。

昭和財政史「昭和49~54年度の税制-高度成長の終焉と税制再構築-」https://www.mof.go.jp/pri/publication/policy_history/series/s49-63/04/04_1_1_02.pdf


昭和54年度:一般消費税導入の失敗

昭和53年11月,自民党では,党員全員による総選挙により,大平正芳総裁が誕生し,福田内閣から大平内閣への政権交代が行われた.昭和54年度の予算は,国債依存度が40%に達するという状況の中で,対前年度伸び率12.6%であり,比較的控えめな一般会計予算ではあったが,公共事業関係費は20%増となっていた。

このような状況の中で,大蔵省は昭和54年度予算編成の困難について早くからキャンペーンを展開し,一般消費税の導入に前向きに取り組んでいた.一般消費税導入の検討は,税制調査会の一般消費税特別部会を中心に行われ,昭和53年8月8日の特別部会設置後6回の会合が重ねられ,9月12日一般消費税特別部会試案を含む特別部会報告書が提出され,12月27日の『昭和54年度の税制改正に関する答申』において,「一般消費税大綱」がまとめられた.

「昭和54年中に諸般の準備を行い,昭和55年から別紙の大綱に甚づく一般消費税を実施すべきである」というのが税制調査会の答申であった.

このように昭和53年後半から昭和54年にかけて,一般消費税導入に向けた動きが加速した事情について,昭和53年6月に主税局長から事務次官になった大倉真隆は次のように述べている.

"それにしても、やっぱり税収が,前年の制度改正の反動で,絶対額で前年に比べてほとんどふえないというのは,予算を組む上で非常に大きな制約要因だったわけで,歳出の方は,何とか経常勘定はこれから切っていくんだという姿勢は出してもらいながらも,国債発行額としては,……何とかこれをピークにして,あとは減らすというための下地を盛り込んだ予算にしたいということで,フレームをつくりなから,税制の方では,一般消費税を何とかして近い将来に導入するというところまで,党と政府税調を引っ張ってくれということを主税局長にお願いをしました.それでもなければ15兆円に近いような国債を出して、はい,さようならというわけにおれはいかぬのだということを強くお願いして,主税局長も非常によく頑張ってくだすって,その年の予算編成方針,党税調の税制改正大綱,政府税調の答申,竺つとも,とにかく55年度には一般消費税を導入するように準備を始めるというところまで.やっと書いてもらったということだったと思います."

昭和55年から一般消費税を実施できるよう昭和54年中に準備を行うことが,54年1月に閣議決定されて,政府としても一般消費税導入に向けた準備を進めることになる.

すでにみてきたように,一般消費税の導入に関しては,その萌芽は比較的早くからみられ,マスコミ等でも取り上げられていたものの,具体的な枠組みができあがってきたのは,昭和53年8月以降であり,同年12月に枠組みができてから1年数力月後,すなわち昭和55年度からの実施を目指すべきことが閣議決定されるというプロセスは,一般消費税という巨大な新税に関するものとしては,良くも悪くも,かなり早いプロセスであったことは間違いない.政治的にみて人気があるはずのないこの新税が極めて短い間に導入に向けて動きだしたのは、当時の内閣総理大臣である大平正芳という政治家の影響が大きいといわれている.

大平蔵相の秘書官を務めた小粥正巳は,あるインタビューの中で次のように述懐している.やや長いが,大平首相が蔵相時代(昭和49年7月~昭和51年12月)に発行することになった特例公債の法案成立の経緯についてもふれられている興味深い証言なので,引用しておこう.

…財政家としての大平さんの頭に,大蔵大臣辞任後,最大の宿題として残ったは,止むを得ず決断せざるを得なかった赤字財政の処理ということだったと思います.その赤字財政が,いよいよ大平さんが総理を受けられた時まで続いているわけですね.この宿題解決のメドは何とか自分の政権でつけておきたい,というのが大平総理の決意だったに違いありません.ところでこの赤字国債は,財政法上原則は禁止されている特例公債でありますから,一般の国債は60年で償還することになっているのに,大平蔵相が自分からこれは10年間で償還するということを言われた.それから,特例公債法案という財政法の特例法案を50年度の補正予算の時に国会に提出したわけですが,それを赤字国債の発行が続く間は,わざわざ毎年提出することにした.実は法律のつくり方によっては,必ずしも毎年,出さなくてもやれないことはないのですが,それを敢えて毎年,提出して,国会の審議を受けることにした.これも,大平さんが特に指示されたことです.
つまり例外的に赤字公債を出すのだから,そのつど国会の批判を浴び苦労をしながら認めていただく,なるべく速やかに建全財政に立ち戻ります,ということでなければいけないという,これが財政家・大平さんの基本的な考え方であったと思います.
しかしその後も,なかなかそこから脱却できないのが実態でしたから,いよいよ自分が総理になって国政全般に責任を負うことになったこの時こそ,財政については何としても赤字公債脱却の道筋をつけておきたい,という思いが強まったと思うのです.そこで具体的な政策の打ち出しとしては,三木内閣以来,社会保障関係費が非常に増えてきていましたから,それを含めて財政構造全般を見直して,支出をできるだけ切らなきゃいけないということを,まず言われた.
それから税については,課税の公平という立場から,極力,不公平税制の是正をして税収の確保を図らなければいけないと言われた.しかし,それでもなおかつ,どうしても足りない場合には,これはやはり国民の理解を得ながら増税をお願いしなけりゃならない,ということを,いろいろな表現で,繰り返し訴えられました.では,どうしても仕様がないとして,お願いする増税の内容は何かというと、それは従来のような所得税,法人税中心の税制ではなくて,支出に応じて税を払ってもらう一般消費税の導入が,税制構造,税のバランスから言って望ましいんだ,ということを主張されたのです.

ところが世の中そう簡単にはいかなかった.昭和54年の6月には,財政再建議員懇談会という消費税絶対反対という議員グループができ,署名を集めて,国会議員の多くが,このグループに属するということになってしまう.さらに,その年の8月には,大平首相に一般消費税を導入しないように財政再建議員懇談会が強く申し入れる.世の中の反対も強くなり,商工団体,婦人団体、労働団体などは,猛然と反対の声を起こしてくるもちろん野党も反対の声を強め、国会での審議では,この消費税の問題について多くの時間が割かれることになるのである.その反対のポイントは次の2点に絞ることができる.

すなわち,財政再建が必要なことは認めるが,それは(1)支出の徹底的な見直しによる歳出削減及び(2)不公平税制の是正による税収増,によって実現されるべきであり,一般消費税という「大衆課税」の導入によるべきではないということである.

いうまでもなく,上記2点が必要であることは,政府税制調査会あるいは大平首相においても強く認識され,繰り返し述べられているところである.しかし,これら2つの方法には限界があり,これらの手法だけでは財政再建を行うことは難しいので,大きな税制改革が必要であり,「一般消費税の導入が,税制構造,税のバランスから言って望ましい」という結論に達したのであった.

大平首相は,一般消費税導入の意志を崩さず,昭和54年9月に衆議院を解散した後も,総選挙のための遊説で,財政再建のためには一般消費税導入が必要であることを明言するのである.このように国民の反対にもかかわらず,大平首相が一般消費税導入への強い意志をぎりぎりまで表明していた理由について,前出の小粥正巳は次のように語っている.

不人気は当然のことだ.だけどそれは,根気よく説明をして国民に分かつてもらう,それが政治なのだ,それを敢えてやるのが真のステーツマンだ,というまったく大平さん本来の真摯な,ある意味では愚直な考え方から出てきた.そして国民は最後には必ず分かってくれる,という民意の賢明さに対する信頼が.大平さんには強くあったと思います.しかし,これは政治的な戦術から考えたらずいぶん危険であり.特に選挙前には決してとるべきではないということでしょう.だから党内は殆どみんな反対しますよね.そうであればいよいよ自分がやらなくて誰がやると,一層そう考えるようになった.まして,総理という国政の最高責任者としたら,国民にもっとも不人気なことでも,自分の責任でお願いしなけりゃならない,ということではなかったでしょうか.

しかし,反対の声は日増しに高まり,とうとう昭和54年9月26日には,新潟市での記者会見で,大平首相は一般消費税の昭和55年度導入を断念することを表明する.

10月になり,野党やマスコミの公開質問状というのが出てきて,これに対して,「その仕組みや構造に批判が強く,いまだ国民の理解を得るに至つていないので,歳入歳出の見直しを中心として,一般消費税によらない手立てを見出し,財政再建の契機をつかむように努力することとする」という統一見解のようなものが出されることになる.そして,このような軌道修正にもかかわらず,その後行われた10月7日の総選挙においては,自民党は大きく後退する.このとき,自民党は当選者248人と過半数を下回る散々な結果に終わってしまうのである.

ところで,消費税導入の断念,そして選挙での大敗といった屈辱を大平首相が受けることになった理由の1つがマスコミの報道にあったことは,多くの関係者が指摘するところである.特に,衆議院の解散総選挙を伝えた昭和54年9月8日の朝日新聞朝刊の報道に始まるいわゆる「公費天国キャンペーン」は一般消費税導入を諦めさせる決定打となったという.日本鉄道建設公団の出張問題に端を発した不正経理問題は,やがて大蔵省をはじめとする官庁にも及び,料亭で過剰接待を受ける役人の公費天国ぶりがマスコミの紙面をにぎわすことになった.

このような中で「税金の無駄遣いを放置したままで何が増税だ」という一般消費税批判の感情が急速に盛り上がった.「まさに公費天国キャンペーンは,国民に『高級官僚=悪代官』のイメージを植えつけ,大型間接税導入への強烈なブレーキ役を果たした」といわれている.また,昭和54年7月まで事務次官を務めた大倉真隆も,次のように述べている.


あの新税構想に関連して,返す返すも残念なのは,「増税」だけが突出して伝えられてしまったことです.当時大平さんが話されたこと,書かれたことをみればはっきりしますが,大平さんは増税の前に必ず「歳出を切る」といっておられる.「不公平も直す」と.そして「それでも足りないかもしれないから,その時は負担をお願いするかもしれない」と必ずそういっておられたんですね.

ところが,マスコミにかかると2つの前提が飛んでしまって,「一般消費税導入のための選挙だ」とやられてしまったんです.…マスコミは,「増税のための選挙」と断ずる一方で,「自民大勝」ムードをあおっていたんですから....この面でもマスコミにやられていますね.

確かに.政治的な結果に対するマスコミの影響が大きいことは間違いなく,それによって様々な不幸が起こりうることは事実である.しかし.マスコミは,いわば世論を増幅する媒体であり.一般消費税導入に失敗した根本的な理由は,やはり一般消費税に対する国民の不安や批判を政府が拭いきれなかったことにあるといってよいであろう.

このときの一般消費税導入そしてそれを全面に押し出した大平首相に対する批判とは、「歳出の徹底的な見直し」及び「不公平税制の是正」という2つのことを実際にやる前から,これらの方法では財政再建は不可能なので一般消費税を導入しますという姿勢に対する批判だったのだろう.この点に関して立案にも大きな役割を果たしていた大倉真隆も次のように語っている

…やっぱり世の中は決してそんな甘いもんではない.基本的な考え方は,やっぱり,まず一般会計の歳出を切らなくちゃ,一般増税といったってだれも受け取ってくれるはずはない.……いまから思えば,歳出の方では長岡君〔当時の主計局長:筆者注〕は,一生懸命流れを変えるためにそれだけ努力してくれたけれども,まだまだ要求官庁の方は,一般会計のゼロシーリングとか,マイナスシーリングなんていうことが,世の中におよそ起こるとはだれも考えていなかった時期ですね.当時,歳出のむだを切らなくちゃいかぬと言っていたのは,本当に大蔵省の中の何人かであって,率直に言うと,各主計官にもまだまだそういう意識はほとんど出ていなかった.

この点は選挙後成立した第2次大平内閣(昭和54年11月9日~55年7月17日)において認知され,昭和54年12月21日に,「財政再建に関する決議」が,衆議院及び参議院の両院において全会一致で決議されることになる(第1章第8節第1項を参照のこと).この決議は,その後の日本の財政運営や税制改革の方向性を拘束することになる重要な決議であるので再掲しておきたい

財政再建に関する決議
国民福祉充実に必要な歳入の安定的確保を図るとともに,財政によるインフレを防止するためには,財政再建は,緊急の課題である.政府が閣議決定により昭和55年度に,導入するための具体的方策として,これまで検討してきたいわゆる一般消費税(仮称)は,その仕組み,構造等につき十分国民の埋解を得られなかった.従って財政再建は,一般消費税(仮称)によらず,まず行政改革による経費の節減,歳出の合理化,税負担公平の確保,既存税制の見直し等を抜本的に推進することにより財源の充実を図るべきであり,今後,景気の維持,雇用の確保に十分留意しつつ,歳出,歳入にわたり幅広い観点から財政再建策の検討を進めるべきである.

この決議案は,第2次大平内閣の下で大蔵大臣を務めていた竹下登を中心として取りまとめられたものであった.それは,一般消費税を完全に葬ってしまうのではなく,これを財政再建の機会として活かしていこうとする趣旨で構想されたものであるという.特に,ここでは,財政再建は行政改革によって進めるといっているだけで,財政再建が行革によって実現された後のことには何の言及もないのである.

さらに,この決議の中では,「一般消費税(仮称)」と(仮称)をわざわざつけた点にも大きな意味があったといわれている.すなわち,税制調査会が示した仕組みの一般消費税は財政再建の手段として否定されたものの,消費一般に負担を求める間接税がすべて否定されたわけではないと読めるようにしてあったというのである.

その意味では,一般的な消費税自身も葬られたわけではなかった.昭和63年度の税制改革で平成元年に消費税を導入することに成功したのが,このときの蔵相竹下登であったことは,決して偶然ではなかったのかもしれない.

その後,日本の財政は,歳出面では第2次臨時行政調査会による「増税なき財政再建」を旗印とする行政改革の推進に乗り出すと同時に,歳入面では不公平税制の見直しとして,グリーン・カード制度の導入による「利子・配当課税」の見直しといった作業に入っていく.

昭和54年の一般消費税導入失敗後,平成元年に消費税が導入されるまでの約10年間を振り返ってみると,行政改革による相当な歳出の伸びの抑制努力にもかかわらず,また,昭和55年以降の日本経済の好調にもかかわらず,特例公債の発行をゼロとするためには,昭和61年頃から始まるバブル経済の到来を待たなければならなかったことがわかる.この間の国債累積額は約100兆円に上る.

その意味では,税制調査会あるいは大平首相の認識は正しかったといえる.問題はやはり手続き的なことだったのかもしれない.紆余曲折はあったものの,昭和63年末に消費税関連法案をなんとか通過させることができた理由の1つは、増税の手段としてではなく,税収に関しては中立的としながら,「望ましい税体系の構築のために」消費税を導入するという主張を行ったことにあるといわれている.

確かに「望ましい税体系の構築のために」という視点は,一般消費税導入論者の中に明確にあったのであるが,昭和54年には「税制構造の改革」と「税収の引上げ」という2つのステップを同時に実現しようとした.ここに一般消費税導入失敗の一因があるのかもしれない.もし一般消費税の導入が本当に必要であるというのであれば,既存の間接税の問題を取り上げ,税収中立的な形で(所得税の減税及び既存の間接税の引下げを伴って)一般消費税を導入し,その上で,行財政改革を進めながら,必要とされる税収の増加のために,どの税の税率を引き上げるべきかを検討するというシナリオも今なら考えられる.

しかし、それまで本格的な赤字公債の発行を経験していなかった当時の政府にとっては,いかに早期に均衡財政を実現するかが緊急の課題であったはずで,そのような遠回りの道筋はなかなか思い描けない心理状況にあったのだろう.この点については,大倉真隆も昭和61年に受けたインタビューの中で次のように語っている.

初めから増減税抱き合わせの構想として提示されれば,多少違った成行きとなったかもしれません.しかし,当時はそういう雰囲気ではなかったですね.それに,減税は皆が喜ぶことだから,とくに選挙との関係では皆がいやがる増税は落として減税だけを公約にするといったことになってしまったかもしれません.

また,昭和54年での大敗後もかろうじて総理大臣に指名され第2次大平内閣を発足させながらも,昭和55年夏に急死を遂げてしまう大平首相の政治的な手続きについてもふれて,大倉真隆は次のように述べている.

増税問題はもっともっと粘っこく扱って,「一般消費税」をいいだすのはもっと先にしてくださいと,〔大平元総理に:筆者注〕強く言っておかなかったという点では,私にも大きな責任があるかもしれません.

いずれにしても,この一般消費税導入失敗という蹟きの影響は大きかった.その失敗の理由についてもう一度考えてみるとき,「急ぎ過ぎ」という言葉がよぎる.これは,昭和62年の売上税導入失敗に関して,当時審議官であった尾崎護が用いた言葉であった.昭和53年12月に「一般消費税大綱」として具体的な枠組みができた後,すぐに昭和55年度からの実施を目指すべきことが閣議で決定されるこというプロセスは,一般消費税が税制の根本的な仕組みを変える改正であるとを考えれば,その基本的な考え方についての理解が浸透していたとは思われない国民にとっては,あまりに急な決定であると思われたのではないだろうか.そして一度与えられたマイナスのイメージはなかなか払拭されない

「財政再建に関する決議」は,その後数年間,一般的な消費税の導入が税制改革論議に乗ることを阻み,法人所得税の引上げや公債残高の累積といった問題を引き起こすことになる.その意味では,特に消費税導入論者からいえば,1980年代の終わりに消費税が導入されるまで約10年間は日本の財政にとっての「失われた10年」といえるかもしれない

しかしその一方で、このような躓きがあったからこそ、行財政改革や民営化が進んだのであって,そのような躓きを経験したことは日本の財政や経済にとってはむしろ良かったのではないかと,歴史を肯定的にみることもできるかもしれない.

その歴史的事実の評価は別として、一般消費税導入の失敗が、昭和55年以降、63年末に消費税導入が決定されるまでの財政運営及び税制改革の動きを理解する上での最も重要な出来事であったことは間違いない.本書が対象とする期間の税制に関していえば,ここで1つの大きな幕が閉じられ,昭和55年から新しい第2幕が開かれることになるのである.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?