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The moon

SideA

深夜2時。夜風が眠れない僕を覚ましてくれる。この凍える風と戯れ合って。この時間の静けさが好きだった。太陽に照らされていた表の時間は、音も光も騒がしい。この時間の暗闇と静けさがこの街の本当の姿を教えてくれる。
音が無い音を求めて彷徨い続ける。元々目的がない散歩だ。彷徨ってるわけではないのかもしれない。ただ眠れないだけ。
こんな時に珈琲があれば幸せだなって思う。凍える風に遊ばれた体が暖かさを求める。こんな暗闇にそんなものはない。
あるのは誰もいない公園と車の通らない道路。
上には点々と星。どの星座の名前も分からずに。
上を向きながら歩き続ける。
そこである芝生を見つけた。砂漠でオアシスを見つけた感覚だった。
理由はわからない。僕はそこに引き込まれた。
気づいた時には仰向けになっていた。自分の息は白い。
星空と白い息。まんまるの月。
「あぁ、みんなが全力を出し切れますように」
月に願うことしかできない自分の無力さを星が嘲笑うように木々の触れ合う音が鳴る。
星に囲まれながら、月に見守られながら、夢を見た。
月が笑う。みんなが笑う。そこに僕はいない。
木々の悪戯かな。無力な僕を弄んでる。何もできない僕のもどかしさも知らないで。
みんなが笑ってるならそれでいい。その考えしか浮かばなかった。
入試まで後7時間。僕はその場で眠り続けた。
担任の仕事を放棄していることなんて気づかずに。


SideB

「散歩しない?」
夜の新宿は思っていたよりも静かだった。
歩けば歩くほど静かになっていく。静けさを求めて、僕たちは歩いているのかもしれない。飲んだアルコールを分解してるために歩いているのかもしれない。
理由なんてなんでもいい。貴女が散歩に誘ってくれたこと。
貴女と散歩していること。それだけで充分。
何も考えず歩き続ける。
ずっとこの道が続けばいいのに。そんな願望を胸に隠しながら。
点滅する信号。僕は足を止める。
「君は渡らないもんね」
その言葉で一緒に止まってくれる。貴女は優しい。
真面目だねって笑いながら一緒に待ってくれる。
それだけじゃないよ。
止まれば止まるほど貴女との時間が増えるから
ずっと信号が赤になってればいいのに。そんな願望を胸に隠しながら。
静かであることが騒がしくなると凍てつく風に体が耐え切れなくなってくる。
「ちょっと寒いね」
貴女の優しい言葉が風と一緒に僕の体を冷やす。
「そろそろ駅向かおうか」
まだ一緒に居たいのに。その言葉も言えずに。思ってない言葉を凍てつく風に乗せる。
今日は楽しかったねってお互い喋り合う。僕にとってそんなのはエンドロールでしかない。終わりが近いって思うだけ。終わってほしくない。
貴女とこれからも一緒に居れますように。
その願いを微笑む月に向かって、僕は願った。
「また会おうね」
貴女の優しい言葉が僕の身体を暖めた。
また会おうねって言葉が何度でも、生き返らせる。


SideC

「1人にさせてほしい」
涙を流す彼女を部屋に残して、僕は外に出た。
初めて喧嘩で、彼女の目から雫を見た。なんであんなこと言ってしまったんだろう。後悔の念に押しつぶされる。
確かに仕事を持ち帰ることが多かった。そんなストレスにやられてたっていうのだろうか。
「仕事してるんだから珈琲くらい淹れてよ」
本心じゃない。ただ、仕事を頑張ってる自分を見て欲しかった。
仕事の邪魔をしない彼女の優しさだってことにも気付いてた。
ただ、甘えたかった。その冷たい言い方が彼女の癇に障ってしまった。
謝ろう。強く思っている。真百合を悲しませてしまったことに対する罪悪感が僕を蝕む。
1人で歩く夜道はこんなに、寂しいものなんだ。
凍てつく風も1人であることを強く意識させる。無性にむしゃくしゃして、同棲を始めて辞めた煙草でも買おうとコンビニに立ち寄る。
24時間空いてるコンビニなんて虚しい夜を埋めるためにある。
初めてそう思えた。
すぐ煙草を買う気にもなれず、適当に店内を彷徨く。
チーズケーキが目に入る。真百合の好きなケーキ。
その瞬間、煙草よりも珈琲よりも頭の中を透明にしてくれる真百合の笑顔が浮かんだ。
あぁ、この笑顔のために頑張ってたんだ。
そう考えると同時にチーズケーキを手に取りレジに向かった。
早く帰ろう。急いで店を出ると、綺麗な円を描いた月が昇っていた。
来る時は気づかなかった。後ろめたい気持ちが上を向かせてくれなかったのか。
その月に向かって願いを込めた。
月に別れの挨拶をして、家に向かって走り始める。
静かな田舎道に仲直りに向かう音を響かせながら。

End


夜散歩
凍える風と
戯れて
夜空見上げて
月に願いを

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