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他人ではなく、自分の人生を歩むという決意。そのための思考。

「私は自分の人生を歩んでいる」
と自信をもって言える人はどれくらいいるだろう。

僕の周りにはでは他人の人生を歩んでる人が多いように感じる。

例えば、会社の会議などでのシーン。
自分はA案だと思ってはいるものの、自分以外の全員がB案を推している。
ましてや会社のトップもB案にすべきだと主張している。
ここであなたは自分の意思通りA案だと主張を続けることはできるだろうか。

組織の中ではこういった同調圧力によって自分の意見を曲げてしまうことはよくあることだろう。

僕もその一人だ。

だけど最近は社外の人間とも付き合いが増えてきて、収入源も会社一本ではなくなりつつある。
そうなると会社依存体質が薄まってくるのか、少しずつ社内では自分の意見を主張するようになってきた。
退職の意思はないけど、主張して揉めてクビ宣告を受けるような事態になれば、そのときは仕方がない。
と、どこかで吹っ切れてる自分がいるのだろう。

そう考えると、会社への依存体質の根っこには、生活基盤が握られていることが大きく関わっていると思わざるを得ない。
働いている組織が嫌なら逃げれば良い、転職すれば良い、という極論を押し付ける層もいるけど、モノゴトはそんなにシンプルではない。

合理的に考えれば「嫌なことからは遠ざかる」が至極真当であることは理解してはいても、
人間は感情で動く生き物である以上、逃げる行為は容易なものではない。
大多数の人は常に極論的な行動をとることは難しいのだ。


とはいえ、組織で働くにも「魂を売る」という行為はやりたくない。

魂を売るとは、自分の意見を捻じ曲げて同調圧力に屈することだと定義しておく。
要は自分の感情を押し殺して、他人の人生を歩む生き方である。

トップダウンな組織では会社のトップの言うことは半ば強引に進められる。
こちらの主張を言ったところで「いいからやれ」という事態になることも珍しくないだろう。

だけどここで「どうせ言ってもダメだから」というのは魂を売ってしまうことと同義だと思うわけだ。
会社のトップであるとはいえ、100%な人間なんていない。
人は必ず隙があれば間違いも犯す。
トップダウン気質な組織であっても、自分の意見はしっかりと伝えるべきだと僕は思う。
そのためには「どうせ言ってもダメ」を徹底的に分解して考える必要がある。

自分の意見を伝える力が乏しいことが本当の理由じゃないのか?
自分の意見を伝えるためのファクト(事実)を揃えられていないのではないか?
端に相手を説得するのを面倒に感じてるのではないか?
ただの忖度ではないか?

分解して考えてみると原因は相手ではなく、保守的な自分であることに気づかされる。
意外にも魂を売る原因のほとんどは保守的な自分にある。

同じ組織で受け身姿勢で働いているとこういったことに気づく機会は少ない。
もっと視野を広げるために、たくさん本を読んだり、社外の人間と接点をもつことはとても有効だ。
そこで得られた知見は必ずアウトプットした方が良い。
人は頭で考えてることを言語化することは案外苦手なのだ。
自分が今考えていることは積極的に文章や図に落とし込むこと。そうすることで「ああ、自分は今こう考えているんだな」と初めて理解できる。
自分の頭の中なのに客観的な視点をもって見ないと理解できないのは皮肉だけどね。

だけどもこれが真実。

自分の人生なんだから魂を売るようなことはやめよう。
気づけば他人の人生を歩もうとしている。その原因のほとんどは自分にあることを理解する。
広い視点を持つために本を読もう。人に会おう。

今回はそんなお話でした。


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