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私の絶望ワイドショー

幸せ学はちょっと置いておきまして、熱いものを見て興奮冷めやらぬ感じになってしまったので、文章を書いて冷ましてみようと思います。

あちこちオードリーのオンラインライブ3回目「私の絶望ワイドショー」をオンタイムで見ることができました。
私は1回目も2回目も見ています!えっへん

内容は公開しちゃダメだから触れられないのだけども、何を思ったのか、感じたのか、なんかだらだらと書いていこう。


まず気になったのが、ポンコツな人への怒りね。察しない人、You are Not OKの態度の人。そしてそれは個人だけじゃなく、その組織、風潮、文化全体に対してと言うことになる。

ひどいことされた!腹が立つ!はとても自然なこと。そしてそれが文化なもんだから、とりあえずその時は我慢して隠さなきゃいけないし。そうしないとハブられるから。そのあと生きていけないから。だからその時のその行動は正解だとは思うんだけど。

ただ思ったのは、ポンコツで古臭い人に対して、その怒りを溜めに溜めてるなあ、と言うことね。
私は常に幸せでいたいと思っているし、その方法を日々模索しているんだけど、その立場からだと、勿体無いと言うか・・

その怒りを出すことが、ショーなのか、ドキュメンタリーなのかになっていて、見せ物として、と言うのはあるんだけど、見せ物でなかったとした時に、例えばお友達がそう言う話をされた、と言う体だとすると、勿体無い。

攻撃してきた、アホで嫌いな人に自分のエネルギーを使う、ってとても残念じゃない?シンプルに。
相手は自分とは相入れないだから。攻撃されたから攻撃しかえす、と言うのは自然だけど。動物的な動きであって。思考できる人間であるとするならば、自分のエネルギー勿体無い、と客観センサーが働いたら、ああ、この人とは分かり合えないだろうし、向こうのほうが多様性がわかってないぐらいの精神レベルだし、何かを言っても、怒ったりしても、無駄だな、と腹落ちしたら、感情は残らない。そうした方が幸せ。簡単ではないけれども、自分が清々しく生きていきたいと思ったら、こういった心の動きを、私だったらするかな。ねえ、塚地さん。


あとは、週刊誌の記事、さらにコメント欄に怒っていた若林さん(これは今週のオールナイトでも言ってた話だったね)。
そこも、なんていうか、糞コメをするレベルの低い人に合わせちゃっていて、勿体無い。合わせる必要なくない?ショーだからなのかな。そこは若林さん、本当のところはどういう感覚なんだろうか。攻撃してくるやつは全員叩き潰してやる!と思っちゃうんかな。
そうすると、若林さんの今のステージからすると弱いものいじめみたいになっちゃうし、個人的には気にしない感じでいてほしい。気にしていないのであれば。気になるならもちろん本人の自由ですから、感じきって欲しいですけど。



私は昔はテレビっ子で、めちゃくちゃテレビを見ていた。テレビしか見ていなかた。そんなわたしは今の年齢になって、ほんとちょっとしかテレビを見ていない。あちこちオードリーをはじめとした佐久間さんの作られる番組、有吉さんの番組、ぐらい。あとはオードリー、佐久間さんのラジオ。それぐらい。

テレビがつまんなくなっちゃったのよね。それはある種、本当に絶望している。私の絶望ニュース。

テレビだけじゃなくて、ゲームとか、ニュースとか、他のコンテンツもつまんなくなった。それは、年を重ね、経験を重ね、刺激に慣れちゃったこともあるだろうし、昔から私が好きだと思っていたスター達が、年を取って戦線離脱して、若い子に取って変わったからかな、とも思う。

近年、わたしはお店を作って、四六時中働いて、子供ができて、コロナがきて、色々刺激的なことがあったし、自分の本質とはなんだろう?と自問を重ね、法則や公式を追求し、血肉にしてきた。本気で。

私はお笑いが好きなんだけど、今はお笑いと言っても本ネタを見ることはほとんどない。あまり興味がない。それよりも、お笑いの人のドキュメンタリー的な話が好き。変な話なんだけどね。本ネタあんまり見ないんだから。

本気で、感じて、考えて、切った張ったして、っていうコンテンツが好きなんだと思う。人間を感じられるというか。

それで、世の中に色々溢れているものの大半は、大量消費されるような、取ってつけたつまんないものなので。

私が本気で楽しんでいるようなものも、他の人にとってはつまんないものだったりするだろうから、そういうのは趣味趣向だとは思うんだけどね。



そんな絶望の中、どうやって生きていくか、というと。

先日心理学の生徒さんに、それはそれは美味しい桃をたくさんいただいた。
酵素ジュースにする夢が叶ってしまった。桃ってお高いから、今住んでいる名古屋でやると高いから、現地に行った方がいいのかな、でもガソリン代とか考えるとそんなにお値打ちにはできないだろうから、、なんて考えていたんだから。叶っちゃってびっくりした。

この体験はとても嬉しかった。こういうことが、幸せかとも思った。

私は他の人に喜んでもらいたい、という気質を持っているから、それを心理学講座やカウンセリングで発揮しているんだど、そこから自分が想像していないお返しを頂けることは本当に嬉しい。レッスンの感想で、自分が変わりました!なんて言われるのは本当に嬉しいし。物理的なプレゼントも嬉しいし。
私が育てた何かが、実をつけてくれて、それがかえってくる、みたいな。
そんな感じのことがとても嬉しくて、幸せだなと思えるから。

だから、そういうことに自分の時間を使っていくのかしらね。今だったら、心理学のレッスン、カウンセリング、などなど、何か人のお役に直接立てるもの。

フィードバックのためにやっているんじゃないけど、自然とフィードバックがやってきてくれたら、それは尊いからさ。

子育てもそういうところはあるわよね。


なので、私は本気で何かをやる。見返りを求めない。
だけど見返りがある。それがしたいw
批判してくるご縁がない人はきっとこれからも出てくるでしょうけど
そこにかまっている暇はないから。もっと楽しいことをやっていきたいし、ありがたいことに、そういうことが実現できる環境ではあるから。

そんなわけで、絶望から希望を見出す流れになりました。

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