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想いの力が護符にもたらすもの-フィクションとエンターティメントの境-


日本刀で化物を退治できる理由

先日、Xのフォロワーさんが興味深い内容をRPをしていた。
それは以下のようなもの。

これ一見すると、物理でどうにかしているように思われがちなんだけれども、武術に関しては単なる物理現象だけではなく、精神的なものも伴わないと、本質的な意味での攻撃にはならないと思っている。

とはいえ、これって別に特別なことじゃなくて、格闘技や喧嘩であっても、強い人というのは技術だけでなく、威圧感があったり、逆にどんな状況であっても冷静に対処したりという、精神面がしっかりとしている。

古来から達人になると殺気で動きを止めたり、飛んでいる鳥を落としたりとかいう逸話もあるけれども、そこまでいかないにしても、修羅場をくぐった人の殺気というのは、目には見えないけれども、比較的誰でも感じられるものだといえるだろう。

現代でもそれぐらいなのだから、実際に命のやり取りが軽々と行われていた時代の武士が、刀という武器に想いを載せたならば、大抵の怪異は取り除けるのが当然であって、実際に武術の中に九字的なものが入っていたり、化け物退治に武芸者がのぞむという逸話も多くある。

日本刀の場合は、製造法的にも人の想念が籠もりやすかったり、鉄が魔を祓うという文化的な意識というものが、プラスアルファであるとは思うけれども、実際に命のやり取りをしているレベルの武芸者ならば、素手であっても怪異を取り除くのは可能だといえるだろう。

解除と祓い

僕は神仏への信仰を持たないために、邪気や穢れ、怪異などに対処することを「解除」というように表現している。

文字通り、物事を解きほぐして、不安を取り除くという意味合いもあり、理論だてて色々と解明している部分もあるけれども、僕の本来的な技法としては、想念や気といった自分自身のエネルギーと、対象となるネガティブなエネルギーをぶつけ合って、強い方が勝つというシンプルなものだったりする。

講座などでは、初級ということもあって、前述したような理論的なことで、心を整えて不安などに対処すると共に、道具などを使うことによって、ある程度の邪気や穢れに対処する方法を紹介しているけれども、それ以上になってくるとどうしても、エネルギーの強さが重要になってくる。

宗教的な祓いの場合は、神仏や伝承されてきた技法といった、多くの人が時代を積み重ねてきて蓄積してきた想念とノウハウがあるので、基本的にはそれをベースにしていて、術者によってはそこにエネルギーの強さをのせたりもしているのだろうと思っている。

結局の所、目には見えないものとはいえ、前述した殺気も想念であり、それらは目には見えないけれども、実際に存在しているわけで、その使い方によっては解除はもちろん、物理的な攻撃だけでなく、目に見えない領域での攻撃も可能になってくるともいえる。

こんな風に説明してくると、なんだか漫画のようなイメージがあるかもしれないけれども、それはあながち間違ってはいない。

フィクションと思い込みがもたらす力

術の世界での言い伝えで、「生麦大豆五升五合」と唱えて霊的な効果を出していたお婆さんが、「南無大師遍照金剛」だと正しい呪文を教わったら効果が消えたというものがある。
これは、実話というよりも、一種の説話であり他にも色々な呪文のバリエーションが存在している。

基本的には、宗教的な逸話であり、正しい呪文によって怪異が消えたという捉え方をされがちだけれども、人の意識的な面からみると、別に呪文に意味は無く、その人がどれだけ、その言葉に信頼を寄せているかが重要になってくると僕は考えている。

同じ呪文を多くの人が唱えることによって、集合的無意識的な領域で力が増幅することはあるだろうが、本当に信じ切って唱えたものならば、例えそれが間違っている言葉であっても、それらに負けないぐらいの力を発揮できる。

とはいえ、現代人のように様々な情報が手に入るようになってくると、この思い込みがもたらす力というのは、なかなか手に入れることが難しい。

宗教的なものや、呪術的なものであっても、ちょっと調べるだけで色々な説がでてきて、よほど、自分の中で確固とした軸がなければ、どんどんぶれてしまい強い力を手に入れることはできなくなる。

そういった意味では、長い伝統があり、ある程度のシステム化が成されている宗教的な技術というのは、しっかりした思い込みである信仰を強くすることに向いているが、その一方で、80年代の光の戦士症候群を皮切りにした、オカルト系漫画などと自己を同一視する人たちというのも、同じような意味合いで非常に強い思い込みの力を持っているといえる。

このような力というのは、誰もが持っているけれども、それを維持するというのが難しく、術的な力を発揮するためにはしっかりとした道筋や理論がないといけないので、伝統的宗教とは違って、漫画などを信じ切った人などは、そういったものが長続きせずに、最終的に精神病院にいくか、卒業して普通の人になるかというパターンになっていく。

エンターティメントが生み出す怪異

前述したように、漫画などを信念のベースにしてしまうと、なかなか、それを維持するのは難しいけれども、より情報量の多い動画などだと、それを信じ切ってしまう人は多い。

昨今の陰謀論ブームなどは、世の中に出回る情報量が格段に多くなり、フェイク動画や都合の良いように切り貼りされた動画によって、あり得ないようなものを真実だと信じ切る人が多いという一例だといえるだろう。

霊的な要素でいえば、架空の都市伝説だったものが、伝播を重ねていくことで、いつしか実際に架空の存在をみたという人が出てくるというのも同じようなパターンで、このあたりは情報の伝播が今ほどでなかった口さけ女の時代から存在している。

最近では、都市伝説などをベースに、あたかも本当の出来事のように撮影した実話系ホラーや、モキュメンタリーなども増えてきているために、こういった現象、すなわちエンターティメントから生み出される怪異というのは増えてきているようにも思える。

こういった存在というのは、ただの妄想なのか? それとも、想念が集まることで具現化したものなのか?

このあたりは、人によって捉え方は違うと思うけれども、僕としては人の想念が集まったものというのは、人に影響を与えうると思っている。当然、ネガティブなエネルギーが多いものならば、悪い影響を与える。

誤解を恐れずにいってしまえば、いわゆる霊的な現象の大半は、こういった人の想念が引き起こすものであって、人知の及ばないケースというのは本当にごくわずかだと思っているぐらいである。

なんか、怖い話になってしまったけれども、こういった理論を逆手にとれば、映像を使うことによって、護符にもうひとつ力を付け加えることが出来るのはないかと思って、今回、護符の物理的護身動画を制作するにあたって、以前とは違うアプローチを取ってみた。

カッコイイは力

2年前にも、物理的護身の動画を撮影したんだけれども、それは、どちらかというと、護身術などの延長線上にあって、いわゆるシチュエーショントレーニング的な雰囲気を持っていた。

ただ、撮影してから、よくよく考えたら、そのあたりは本職の護身を教える人たちに任せてしまえばいいわけで、護符がメインの龍音堂としては、それは違っているなぁと思ってしまった。

なので、今回は護身的な使い方はしっかりとしているけれども、格好良さを重視して、なおかつ女性でも男性に勝てるというような見せ方にしてみた。

このような手法は、護身をメインにした場合だと、ちょっと問題があると思っていて、いくら護身道具があったとしても、訓練をかなり積み重ねないと使うことは難しいし、例え、訓練で動けていたとしても、実際に襲われた時にそれができるかは別問題になる。

その上、護身道具があるからと安心して、危ない場所にいったり、逆に挑発的な行動をしたりしてしまう可能性もある。

結局の所、よほどの訓練をしていて、さらに本当に危機的状況下にあって、自分がどういう風に動くのか、どういう藩王を知るのかということを、知っていないと、護身というのは難しい。

このことからもわかるように、護身というのは、本質的には、シチュエーショントレーニング的な動きよりもm心構えのほうが大事なので、護身にフォーカスしてしまうと、女性がかっこよく勝つというのは、ファンタジーであり、あまりプラスにならないのが現実といえる。

ただし、これを護符として考えた場合、いざという時、こういうこともできるかも、という想いがあることで、身を守る想念をより強めることができるという考え方もある。

普通に考えると、カッコイイ動きと護符を両立させるというのは、なかなか難しいけれども、幸いなことに動きと見せ方のプロが友達だったことで、よりかっこよく、エンターティメント的な要素の多い動画を作ることができたので、ご覧になってみて欲しい。

龍音堂だからこそできる新しい護符の形を目指して

上記の動画で使用した「積層式陰陽可変型護符-守破-」は、龍音堂の護符の中でも特殊なもののひとつであり、非常にタクティカルな武器的要素を持ちつつ、メインは護符というものになっている。

だからこそ、護身的な動きだけではなく、アクション的な動きをすることで、しっかりとその魅力を主張してくれるし、これを見ることで、実際にアクション的な使い方はしなくても、身につけているだけで、護ってくれるという想いが強くなると思う。

ここまで紹介してきたように、僕はフィクション的な力、エンターティメント的な力というものを重要視している。

年月と伝統、人の多さによってその力が担保されている神仏への信仰がない代わりに、現代の私たちだからこそ作れる力というものを、護符という要素に取り込んでいくことで、龍音堂らしい製品が生まれると思っている。

もちろん、通常の護符や、アクセサリー的なものも作っていくけれども、他にはない、エンターティメントとフィクションの境にあるようなものも、今後は、もっと作っていきたい。

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