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これまでとこれから

3月も半ばを過ぎ、いよいよ4月。
僕にとってこの一年は節目の年でもあり、大切な一年になってくれる予感がしています。

日頃からお世話になっている方々や、仲良くしてもらってる方々へのお礼と報告も兼ねて、これまでとこれからについて書かせていただきました。

少し長いかなとも思いますので、生き急がれてる方いましたら、結論まで飛ばそうなどと考えずにお茶でも飲みながらお読みになってくださいませ。

相変わらずテイストはエモめです。普通の文章書いてたらソワソワしてボケたくなるんです。性だと思ってお付き合いください。

あらすじ

ふと思い返せば、大阪に来て9年が経った。

中学3年、毎日頭上を物が飛び交う。父の怒号。母の悲鳴。妹の涙。毎日、毎日、毎日。
殴られてできたアザを隠して通う学校も、父への敬語も、夜中まで続く喧嘩も、全てが当たり前すぎる実家から逃げ出すことだけを考えてた。

高校への野球推薦だけを頼りに、卒業式を待たずに大阪行きの電車に飛び乗った日から9年。


この街にまさか自分が9年も住むなんて想像もつかなかったけれど、振り返ってみればそれは必然で、一瞬の出来事かのようにも今だから思ったり。

9年も住んでしまえば愛着が湧いたりするもので、そろそろ大阪出身名乗ってもいいかなとか考えたり。(まだダメ?)

この街で、どんな9年を過ごしてきたのか。
まずはそんな話から始めようと思う。


旅の話とTABIPPOとの出会いは下のnoteから


3年と6年

野球に費やした高校3年間。
野球から離れ旅に夢中になった6年間。

これまでの9年間。人とは多分少しだけ違ってて、少しだけ長い学生生活を歩んできた。

けれど一瞬たりとも後悔のない9年を「長かった」と表現するのは少しあっけなくて、「長編映画みたいだった」と片付けてしまうことで終わらせてやりたい。

数えきれないほど挑戦してきた分、数えきれないほどの失敗を繰り返し、人の信頼も、お金も、歴も、仲間も、居場所も、何もかもを失ったことだってあった。

今になっても、笑い話になるかどうかすら怪しいあのシーンを「後悔」と片付けないことでいつまでも大事に噛み締めながら生きていく。


高校生。野球漬けの毎日。特段上手いわけでも、何かに秀でていたわけでもない僕の3年間は平々凡々なものだったかもしれないが、必要不可欠なものだった。

高校3年の時。参加した地元の祭りで。
野球部の仲間と。懐かしい。

狂ったようにバットを振った日もあれば、練習に嫌気がさして寮から脱走を考えたこともあった。僕はそこまで野球が好きじゃなかったのだと思う。

ただ辞める機会がなくて、毎日を変化させることが怖くてそこに居続けることで月日が流れるのを待ってただけにも思う。

高校3年生の時。野球の隙間時間を縫って勉強に向き合った時があった。進路を考える上で勉強が野球からの逃げる手段になってたからかもしれない。


結果的に、野球で推薦をいただいてた大学に進学し野球を続けたのだが1年もしないうちに辞めてしまった。


大学2年生。オーストラリアを1人で旅したことをキッカケに海外にハマり、新しいことに挑戦していく毎日が始まった。

タイでみんなでコムローイに参加

誰かと旅をする楽しさも、1人で旅をする楽しさも、どんな旅のカタチであっても旅は人生を豊かにし、「楽しい」と感じるキッカケを与えてくれるのだと感じた。

旅人が増えれば、いや、それよりも海外に行ったことがあるっていうだけの人が増えるだけでも、世界は少し笑顔が増えるかもしれない。

ミャンマーで知り合った日本人に教えてもらった富士山の山小屋バイト

旅先での出会いや、旅先での経験が確かに自分の中には今尚生き続けていて、ふとした瞬間に助けになってくれるのはそんな経験や人との出会いだった。

富士山での山小屋バイト4年目

富士山での経験を通していろんなお客様と関わることでさらに経験は増え、価値観は変わっていった。

海外に行かなくても、新しい何かや、新しい人たちとの付き合いだけで経験として人の人生を彩っていくのだと教えてくれたのは海外以上に国内だった。

TABIPPOの学生スタッフとしての活動

そんな中で出会ったのがTABIPPOだった。

「旅で世界を、もっと素敵に」そんなビジョンにただひたすら共感して、深く愛着を持つようになった。

学生スタッフとして、外部から、インターンとして、色んな角度からTABIPPOを見るたびに惹かれていく自分がいた。

旅は、僕の人生を素敵にしてくれたから。

タイでTABIPPOのイベントに参加

色んな地でTABIPPOのイベントに参加したりするたびにやっぱり旅は良いものだと納得できる自分がいて、TABIPPOの活動はもちろん、TABIPPOや旅に関わる人たちとの出会いが楽しいものになっていった。

そんな中で、

自分にとって、大切にしているものは何で
自分にとっての夢は何で、何が自己ビジョンなのか。

そんなことを考えるようになった。

3度目の自己主催イベント

色んなイベントに参加しているうちに、自分でもイベントの企画をしてみたいと思うようになり、学生のうちに5回のイベントを主催した。

3度目のイベントでは裏テーマとして
「自己ビジョンを探す」そんなことをこっそり考えたりしてた。

世界が少しでも豊かに、素敵に、なってほしいという願いはこの頃から沸々と湧き上がってた。


差別なき社会に

ここ2年くらい。僕の中でテーマになっている自己ビジョンは差別なき社会の実現。

あまりに壮大すぎるビジョンに何度も掲げることをやめたビジョンだったけれど、もう下ろさないと誓ったこの右手。

少しだけ話してみる。

色んな旅はもちろん、自分自身のパンセクシャルという個性、自分の住んでた地元の特性。

あらゆる経験や、環境、人との出会いを通して、直面したのは差別だった。

性差別、人種差別、身分差別、環境差別、階級差別、列挙するだけでもまだ挙がる。

無数に存在する差別が、いつか少しでも緩和されれば、世界が少し寛容になるだけで、言葉からなくなるだけで、悲しむ回数より笑う回数の方が増える人がどれだけ増えるか。そんなことがテーマだった。

涙の理由に差別はもう十分じゃないか。

そんな差別をなくしていく上で、無数にある課題に対してのファーストアプローチに僕は旅を考えた。

旅で世界を、もっと素敵に。


TABIPPOに入社します

長い前置きになってしまいましたが、この春。
2022年4月より、株式会社TABIPPOに入社させていただくことが決まりました。

薄らと感じていた人たちもいると思いますが、学生の頃からお世話になっていたTABIPPOに正社員として入社させていただくことが決まりました。

自己ビジョンの実現のためのファーストキャリアとしてはもちろん、最高に好きな人たちと最高に好きな会社で働けることがなによりも嬉しいです。

就職を考える上で、TABIPPOに対して改めて真摯に向き合い、何度も葛藤し、面接を通して真剣に考えさせていただきました。

そのおかげでこうしてファーストキャリアを踏み出せること。嬉しい限りです。


株式会社TABIPPOの皆さん
改めましてこれからよろしくお願いします!!

この街を出ることにする

この街に来て9年。

今じゃ何も見ずに移動できる大阪駅の地下も、大阪の方々の大好きな空気感も、話し方も、多すぎる信号機も、待つことを知らない関西人も。全部が愛おしい。

大阪という街は僕には未だ攻略のできないダンジョンのままかもしれない。けれど、居場所として今もあってくれて、かけがえのない場所や、忘れられない出会い、一生大切にしたい仲間が出来た街だった。

この街に9年も住むとは思わなかったけれど、9年前に戻ってもきっともう一度同じ選択をすると思う。


2012年12月に大阪に引っ越してきて9年。

2022年4月から大阪を離れます。


この場での報告になってしまった方々
ご報告が遅れてしまい申し訳ありません。

残り少ない日数ですが
ぜひ皆さんお会いしてください。

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