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僕たちが幸せだと感じるものなんて

後悔していることがある。夜になると、それに苦しんだりする。春の終わり、気温と心境の温度差がズレるこの時期は、心身のバランスが崩れて、特にいろんなことを思い出す。

いろいろなかったことにしたい、と思っていた。なぜあの時、もっと話を聞いてあげられなかったんだろう、とか。過去の体験談を見え張って話してる場合じゃないな、とか。
ただ、なかったことにしたら、それはそれで、何か大事なものを失ってしまうような気もしていた。


先日、縁あってフィジーに訪れる機会があった。フィジーといえば、世界幸福度ランキングは常に上位。「世界一幸せな国」というイメージを持っていた僕は、初めて訪問した5日間の滞在の中で、今まで知ることのなかったフィジーの魅力に触れてきたので、今回はそんな数日間の写真たちを並べていきたい。

日本との時差は+3時間。ほのかに鼻に届くフルーツの香り、夏の暑さを忘れかけていた肌に刺さる日差し。青々とした広大な空に、夏の日差しを懸命に遮るヤシの木のコントラストが効いていた。

フィジーは、南太平洋に浮かぶ333の大小様々な島々から成り、そのうち100の島には人が住んでいる。そして、それら全てをまとめて僕たちは「フィジー」と呼んでいる。

陽気な人の多い国だった。「Bula!」(日本語のこんにちは)という言葉が、さっきから耳に止めどなく流れてくる。

昔好きだった人は、突然旅に出るのが趣味の人だった。北の旅は「駆け落ち」、南の旅は「バカンス」と呼んで楽しんでいた。彼女の法則でいくと、今回の旅は「バカンス」に属する。

落ち着いた雰囲気の流れる国だった。旅先でカメラを構えるようになってから、何気ない日常も大切にするようになった。

現地の人の暮らしがアルバムに並ぶようになり、誰かとの日常がカメラのフォルダには溢れている。バスが通るたびに「Bula!」と言葉を投げかける彼らと過ごす時間は、心に忘れかけていた平穏を届けてくれる。

ターコイズブルーの海、白い砂浜、水面下には色とりどりの珊瑚が花を開かせていた。水面の反射と水平線が空と海の境界線を曖昧にしてくれる。

サンドバンク(砂州の島)と呼ばれる砂浜が存在する。とてもシャイな彼らは、引き潮の浅瀬にしか姿を見せない。そんな砂の島にパラソルを立て、刹那的な永遠を過ごす人がいた。

人の気持ちを考えず、味方のふりして搾取する。相手のルールに土足で上がりこんで、勝手な正義を振りかざす。自分の傷には敏感なくせに、他人の痛みは見て見ぬふりで受け流す。

3分遅れてくる電車に苛立ちを覚えるようになってしまった僕に、今必要なものを教えてくれている気がした。

彼らと歩くそれぞれの時間は、キュッキュと雪を踏んだような音がする。

先日、1年近く住んでいた家を退去した。東京の端っこ、彼女と住んだ家からの退去は意外と呆気ないものだった。段ボール3つにまとまった荷物を眺めながら、人生の軽さを考えていた。

今から6年前、大学に向かう満員電車のなかで、友人が亡くなったことを聞いたことがある。「また、レバ刺し食べに行こう」それが彼との最後の会話だった。人生の節目で必ず側に居てくれた友人との最後は、どうでも良かった言葉で終わった。
あれから6年が経った。彼との思い出を語るような友人とは、いつしか疎遠になった。それでも梅雨の終わり、彼の命日には、彼の好きだったレバ刺しを食べるようにしている。

今振り返っても、フィジーで滞在していた日々は美しすぎて、「やっぱり夢だったんじゃないかな」と思う。人は、それが最高でも最低でも、良くも悪くも馴染んでしまう生き物なのかもしれない。

フィジーには、「ケレケレ」と呼ばれる価値観がある。自分でモノを所有することなく、どんなモノでも共有しよう。という共有度の高さ。

彼らにとって、経験やモノを共有することが幸せなのだという。

安酒のせいにして誰かに甘えてしまい夜がある。「会いたい」とトーク画面に打ち込んでは、消してを繰り返すような夜。そんな夜を乗り越えた数だけ、訪れてほしくない朝もある。

人とのつながりが好きな彼らは、トイレの個室に入っていても、話しかけてくることがあるらしい。ベランダの壁越し、顔の見えないフィジー人との会話に、あの夜は救われた。


かつて、「幸せになりたい」と願ったことがあった。全然違う、違うんだ。「わたしの人生」に、「わたしたちの人生」が加わることで、人生は数倍にも幸せの価値を増す。

僕たちは、グラデーションの中で生きている。

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