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スタバでブラック企業の慰留を見た話

ちょっと思考を整理したいことがあり・・・、というのはだいたい投資関連のことなのですが、仕事の帰りに都内のわりと大きな町の、駅前のスタバに入りました。

ところが、MacBookを広げてテキストエディタが立ち上がると、40代前半くらいの、メガネを掛けた大人しそうな男性と、やや毛深くて少しクマみたいに堅太りの、まだ男性ホルモンの分泌が衰えてなさそうな50才前後くらいの男性がコーヒーを買って、隣りのテーブルに向かい合って座りました。

いちおう都会に住む人間のマナーとして、彼らがいない風の態度で、考えていることをテキストエディタに書き連ねていきます。

ところが、以下勝手にクマ部長と記載するの方が、「貴方が辞めるとは思ってもみなかった」、「〇〇さん(役員とかポジションが上の人のようです)も良い人が来てくれたと喜んでいたんだよ」、「もうちょっと何とかやってくれないか」など、どうやら退職者とその上司の会話のようです。

もはやテキストエディタの文字は目に入らず、最近やや遠くなってきた耳だけはダンボ状態になってしまいました。

しかしこのやや男性ホルモン多めで脳内麻薬の出も良さそうなアッパー系のクマ部長が、何ともせっかちで、せわしない話し方で、何だか長時間聴くのはつらいかな、という感じがします。

そのXXさんの退職について、クマ部長ご本人の価値観を前提として組み立てている言葉と論理、そして最後は精神論で説得しているように見えるのですが、そもそもXXさんはおそらく体育会系カルチャーのその会社や、さらに暑苦しいアッパー系オヤジのクマ部長にも、すでに十分、感情的にネガティブになっていることは容易に想像できます。

つまり、相手が感情レベルで動いているのに、そこに言葉や論理で説得を試みても、嚙み合うはずもないだろうな、ということです。

残念ながら、先月の投資活動の振り返りと、投資戦略の見直しは今日は諦めることにしました。

昭和の体育会的な・・・

退職の理由について、そのXXさんは、〇〇が上手くできずにつらい、自分にばかり皺寄せが来て困る、と悩みや苦しみを口にしていました。

そのような言動に対する基本は、まずは共感を示すか、それが無理でもオウム返しにでも、ひとまず相手の言っていることを受け止めることとマネジメントの教科書の最初の方に書いてあります。

教科書になくても、たとえ表層的でも、ひとまずは共感してみせるのが大人の態度であると思われます。

ところが、そのアッパー系クマ部長は、全く共感を示さず、それどころか、そんなナイーブなのはダメだ、苦しいからと言って逃げてはいけないとか、貴方を信頼して任せたのにそれを放り出すとは人の道に外れる、さらに自分の言葉に酔ってきたのかエスカレートして、きちんとやってくれよ、そんな問題なんてオレに任せておけ、どんと超えていくぞ、というファイトはないのか、男を見せろ、そこにしか成長はない、とか演歌か浪花節か、といった言葉を言いつつ、どんどん追い込んでいきます。

そんなことが出来るくらいなら、そもそもXXさんは、その会社に入っておらず、もっと元気な会社を選んでいたとは思いますが。

おそらくそのアッパー系クマ部長は、男性ホルモンも多く無神経で、わりとストレスを感じない方で、そんな自分のこれまでの生き様や価値観にそれなりのプライドを持っていて、という昭和のサラリーマン的な世界を生きているようです。

本人が感じないストレスの総量分は、周囲の人たちが思い切り感じているのですが・・・。

彼は部下の話をすぐにさえぎり、「人の道に外れることは受け入れられない」を何度か繰り返して、もはや交渉は成立しないと思われました。

といっても、その大人しそうな部下の男性も、残り20日くらいで退職したいと言っているようです。法的には2週間でよいはずではあるものの、いちおう多くの会社の就業規則が1か月前の告知を定めているところも多いので、そこは彼の戦術ミスであるようにも見えます。

おそらく言いそびれたか、内定を書面でもらうのが遅れたのでしょう。

いずれにせよ、できるだけすみやかにその会社を去りたいという意思は、隣りの席からだとよく見えます。

そこのスキをアッパー系クマ部長は何度も突いてきて、せめて有給は返上して来月末までやれ、とか、それが男だろ、人の道を踏み外すんじゃないよ、とか、最後にお前の誠意を見せろ、とか、もはや人の道を踏み外しているのはどちらか分からなくなってきました。

一方的な話がようやく終わる

ということで、時折、「会社の問題点があったら言ってくれ」と雀の涙ほどの改善しようという意思を見せるものの、部下の男性が少しでも何かいうと、「それは泣き言だ」、「男ならその壁を破れ」、「お前ならやれる」、「その先に成長がある」、「こんなことでメゲていては、どの会社に行っても勤まらないよ」とかインターラプトしてしまい、全く対話になってないのが、何ともイタくてたまりません。

おそらく、もっと合理的に仕組みを整備すべきところ、現場リーダーに丸投げして、その人個人に無理を強いることで回している会社ということが見えてきました。

クマも自分はしっかりやっているような自己イメージなのでしょうが、おそらく面倒なこと、課題を自分の直下の中間管理職に丸投げして、その彼ら彼女らを日々詰めることで何とか業務を回していることに気づかないくせに、自分は熱血で優秀なリーダーだと信じているようにも思えます。

実際は思考停止と問題解決能力の無さを、大声と上と下の板挟みになっている、誰かの無理な労働で補っているだけなのでしょう。

さあそろそろ物語はクライマックスです。

大人しそうな部下の男性の、時折入るコメントをことごとく、怪力もぐら叩きのように序盤で潰し、精神論と浪花節をフルコーラス歌ったクマ部長は、最後に少し怒気を帯びた声で曰く、

自分の幸せだけ考えていていいの? もっとみんなの幸せも考えてくれ。君がいなくなると困る人が出るんだ。もう辞めたいのは分かった。でも一度は乗りかけた船だ、ここまではきっちりやり遂げよう、とかそんな気にならないわけ? 男を見せてくれよ!」

おとなしそうな部下の彼が曖昧な返事をしていると、「もうこれ以上話しても時間の無駄だ、出よう」とようやく出ていってくれました。

私にとっては死活問題の、大事な投資戦略を検討していた私の幸せも考えてくれたのかもしれません(苦笑)。

まとめ 〜幸せの優先度

それなりに安定していて好待遇を実現できる大きな会社であれば、入りたい人が絶えない買い手市場なので、カネ払っているんだから朝から深夜までガッツリ働け、と労働者に対して強気で出ることができるでしょう。

逆にそういう会社ほど、コンプライアンスとか違反した場合の悪評に注意を払っているので、実は無茶しないものでもありますが。

ところが現実は、今は人手不足、それもある程度の知識や経験を持ち、周囲と円滑にコミュニケーションできる人であれば、人材の争奪戦が起きている状況です。

あらためて、顧客と従業員、双方の幸せにきちんと配慮できる会社でないと、なかなか選ばれて生き残ることは難しいように思えます。

実業家にとって、ある意味、従業員は0次顧客であり、0次顧客に満足して頑張ってもらうことで、ようやく1次顧客(=通常のお客様)にリーチできるというのが、本当のところではないでしょうか。

基本、人は自分の幸福を追求するために生きており、そのインセンティブを適切に引き出すことで、会社に対する関与の深さ、英語でいうとコミットメントだと思っていますが、が生まれるのだと思っています。

先ほどの会話を聴いていてもっとも違和感を感じるのは、会社のために、XXさんの幸せの優先度を下げろ、という論調が一貫していたことです。

物凄く給与がいい会社なら、たとえば投資銀行みたいに数年だけ必死で働き、その後はひと財産を作って悠々自適、もしくは多少生活レベルを落としてもFIREするという考えもありますが、普通以下の給与で、自分の幸せを後回しにして会社に滅私奉公しろ、というのは、なかなかヤバい発想に思えます。

もちろん、やさしい人事制度が整備されているからといって、それに胡坐をかいて他人の労働にマウントしているようなフリーライダーは問題外ですが、自身も管理職をしていた時は、個人の幸せと会社の成功をどう調和させるかを考慮する必要があると痛感していました。

個々の従業員にとって、何が幸せなのか、どこへ向かっていきたいのか、そして会社として、あるいは上司としてその幸福の実現をどうやってサポートしてあげられるか、これを明確に意識する必要があると考えています。

カネ払っているんだから無限に奉仕しろ、というコストの概念ゼロの昭和の悪しき価値観では、いくらでも選択肢のある売り手市場では、勝つのは難しく、人手不足からビジネスが思うように回せなくなり、衰退していくことは明らかです。

特にこれから超絶人が不足し、さらに人をリードしたりマネージして、きちんと仕組みを設計してビジネスを効率よくデザインできる人、それをしっかり着実に運用してくれる人が圧倒的に足りなくなることが予想されます。

さらにいうと、理想論ではありますが、人の1人や2人が急に抜けても何とか持ち堪えるように、冗長性を持たせる組織デザインをするのはマネジメントの責任でもあり、そこを考えずに頑張ってくれる個人を使い潰すダメな会社なんだろうな、と言うことは透けて見えます。

やり甲斐搾取され、互いに監視しながら生活しているのではないか、とか、邪魔でしたが、いろいろ考える良い契機にはなりました。

それにしても、聞いているだけで不愉快になるような引き止め(途中からいかに有休を使わせず、最後にがっちり使い倒すかを念頭に置いた退職日交渉)が現実に発生し、気の弱い人の精神的なエネルギーを無駄に浪費させることを思うと、退職代行業者というビジネスは当面はなくならないだろうとは思いました。

これはこれで、奴隷制度ではないのだから、悪質な退職妨害は法律で規制するなど、仕組みを整えてもらいたいところです。

男性ホルモンの多い暑苦しいオヤジというだけでも不快なのに、さらに個人の意思や気持ちを無視して踏みにじるのを横目で見て、しかも加害者本人は人の道を指導してやっているみたいな意識でいるのには、何とも人間界の闇を見る思いがします。

要は、人は幸せになるために生きているんだから、お互いの幸福をもう少し敬意を払い、配慮しましょうよ、という単純な話なのだとも思いました。

確かに苦しい時や頑張らないとどうにもならないことも多々ありますが、そういうことが少なくなるよう日頃から知恵を絞るのがマネジメントの仕事でもあるし(私の専門分野のリスク管理にもつながります)、そもそもSM倶楽部じゃないんだから、必要以上に人に苦しみを背負わせる必要はないでしょ、ということでもあります。

今後のマネジメントやコミュニケーション術を考える上で、かなり勉強になる光景であり、皆さまにもぜひシェアしたいと考えた次第です。



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