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【短編小説】式神様の思し召し

「おい、君。ちょっと」
「―はい」

代り映えのしない、つまらないオフィスの一角。パソコンとにらめっこを続けて数時間。
どうにも頭が働かなくて、そんな自分に嫌気がさして。
深くため息をついたところで、奥の机から声がかかった。

―嗚呼、この声のトーンは危険だ。神経がぴりつくような声色に、思わず身構える。

「この間の案件、どうなってるんだ?報告書は?」

眉間のしわが、内なる沸々とした感情を見せつけてくるようだった。
嗚呼、マズイ。

「あ、ええと、これです」

自信がなかった。
いや、かれこれ三年はこの仕事をしているので、今更自信がないなんて言えない。
とはいえ、いざ提出するとなると、急に不安になってしまう。クリアファイルから出てきたみすぼらしい紙束は、まるで頭を下げて許しを請うかのように、ペラ、としなった。

何も言わず、文をただ目で追いかけ、僅かに紙の擦れる音が聞こえる。
他に人はたくさんいるはずなのに、それ以外に何も聞こえない。
数えきれない長い沈黙が、鋭利に心を締め付ける。

「―あのな。何度も言ってるだろ」

 パサッ、と紙束が机に落ちた。
あたかもそれは、ギロチンに刎ねられた生首のように、それを見つめる彼を、窮屈に締め付けた。

「・・・・・・すみません」

「あとで資料に使うんだから、ここは―」

もう何度目か、と自分が嫌になった。後に続く言葉は幾ばくも耳に入らない。自分なりの「精一杯」が、こうもあっけらかんと否定されてしまうとは、思わなかった。
不器用、で言い訳ができるならそれでいい。けども、そういう言葉遊びで片付くようなことじゃない。
―惨めだ。

「あぁ、あと。例の企画、もう一回話し合ってこい」

「分かりました」

長い説教はそこまでだった。
ため息のようにどんよりとした黒い雲が、窓の外から僕を覗いて嗤っていた。
急いで書類を詰め込んだ鞄が窮屈そうに悲鳴を上げた。
   
          *
 
―そして、今に至るわけだ。

所在なく寂れたシャッター街。ただでさえ人気のない通りに雨が降れば、人々の声はいっとう聞こえない。傘でもあればましなものを、土砂降りの中を走り抜けるのはいささか無理な気がした。

「アメニモマケズ、なんて、無理な話だよなぁ」

呵々、と、惨めな自分を嗤って鞄の雫を振り落とす。
頬をつたうセンチメンタルを拭おうと、去来した喪失感をなきものにできるわけではない。むしろ水たまりの泥のように、鬱屈とした醜い感情が溜まっていくだけなのだ。
と、思索の海に浸かっていたのも束の間。寄りかかっていたシャッターの向こうで声がした。

「何か、御用ですかな」

錆びついた音を立ててシャッターが開いて、腰の曲がったご老人がそう言った。みすぼらしい杖を突く姿が、妙に様になっている。

「あ、いや、違うんです。雨が・・・・・・」

「あぁ、そうでしたか。もうそんな時期ですもんね」

ご老人は、雨音を楽しむかのような柔らかな目で、曇天の陰りを見上げた。

―空の涙が世界を叩く。

「どうです。雨宿りのついでに、覗いていきませぬか」
どれだけそうして立っていただろう。再び沈黙を破ったのは、彼だった。
招き入れられた店内は曇天の空より幾分も暗い。
薄く埃を纏った棚たちは、目を凝らさねければ何も見えなかった。

「―紙人形?」

それは、おおよそ人型であった。並べられた紙達は桐箱と包みを纏い、ただそこに佇んでいた。幾重にも並べられたそこを、小さな電球がポツリと照らす。

「手前どもは、式神様を販売しております」

「―売れる物なんですか」

「おっと、お客さん。疑っていますね」

「いや、だって―」

ただの紙じゃあないか。そんな言葉をグイと吞みこんだ。

「・・・・・・なかなか、珍しいなと」

「まぁ、そうでしょうな」

そこで初めて、彼は呵々と笑った。穏やかに垂れる目尻に、細やかしいシワを寄せて。

そういやあ、この間いらっしゃった女性もね。

そんなことを―と、意気揚々としゃべり続ける。

「これで、何ができるんですか」

「―気になりますか」

老人の炯々とした眼の奥に、当惑する僕の顔が映る。急に険しい口調になった、眼光の鋭さに思わず身がすくんだ。

「もったいぶるほどのことでも御座いません。加護や呪縛・・・・・・まぁ、簡単に申し上げれば、『意のままにする』と言ったところでして」

柔らかに呵々、と笑う目には、先ほどまでの穏やかさが戻っていた。 
           
「そうですねぇ、これなんて如何でしょう」

棚のうちの一つから、そのうちの一人を取り出した。埃まみれだと思っていた紙人形たちは、それでもどこか神秘的で、むしろ奇妙なほどに綺麗だった。ゆるゆると舞い降りる彼、ないしは彼女に、思わず目を奪われる。
すっ、と伸ばした手のひらに、触れるか触れないうちに、ピり、と肌が痺れた。

「―いてて」

「これは申し訳ありません。式神様と人間にも、相性というやつがありまして」
彼は、幾数枚かの式神様を手に乗せては降ろすを繰り返した。脇の古机に、気難しい式神たちが肩を並べる。

「ふむ、これがよろしい」

何度か棚の間を駆けてしまいに持ってきたのは、やはり紙人形であることは変わらなかった。
が、手のひらとの触れ合いは、あからさまに違ったものだった。妙に暖かかくて、優しかった。
ははぁ、なるほど。これが「相性」というやつか、と彼は納得してみた。

「ははぁ、ちょうどよい。あぁ、三体で、五千円となります。お買い上げなされますかな」

「え、いやぁ、こういうのは・・・・・・」

彼はそこではじめて、店に入った理由を思い出してたじろいだ。
雨宿りのついでが、こんなことになるのだから、この老人は只者ではないらしい。
もっとも、こうでもしなければ、寂れたシャッター街に店を構えることなど、できやしないのだろうが。

「いえ、いいんです」

白髪頭をわしゃっとかきあげて、老人がわらった。

「押し売りと言われるのは御免ですからね。後払いで、構いません。お客様が納得してからお納め、ということで」

「―そういうことなら」

彼は、通勤鞄と上着のジャケット、そして丁重に包まれた桐箱をもって、店を後にした。
洗い流された街に、晴れやかな風香る、麗らかな午後のひと時であった。
           
           *
 
デスク下で、こっそりと桐箱を開けてやった。戻ってきた社内は静かで、人気が少ないのは確かだったが、それでもこの秘密を知られるわけにはいかない、となんとなく思ったのだ。縁のない高級感にすくみつつも、ふたの向こうから覗く彼の一人を、ついっと取り出す。

(これを、手に乗せて、教わった通りに・・・・・・)

彼は、あの老人店主が言ったように強く念じながら、ふぅっと息を吹きかけてやった。手のひらに横たわったままの紙人形が、つうっと手のひら這う。すると、その勢いのまま手を離れて、ひらひらと舞って飛んで行く。物陰から頼りのない行方を覗くと、ゆるゆると落ちて、風にあおられて、それでもあの、先輩の背中へくっついたらしかった。

「あぁ、君。あの件は―」

「はい、このような結果に・・・・・・」

ぴら、と飛び出た紙束はどこか誇らしげ見えた。
文字列を追う先輩を前に、彼はただ、式神とやらの力に縋って、祈っていた。

(頼む、頼むから・・・・・・)

「―いいじゃないか。これならウチでできるだろ」

「―えっ」

さして興味を示さず、先輩はもうパソコンへ視線をやって、ブツブツと独り言を言い始めた。ボールペンの先を走らせて、キーボードをたたく。

「いいんですか!」

「あぁ」

普段から気に食わなかったぶっきらぼうな態度が、今はどうでもよくおもえるくらいだった。

「ありがとうございます!」

成果を出すのには苦労するものだが、ひとたび出てしまえば、精神的にも楽になるものだ。なるほど、これが式神様の「力」なわけだ、と彼は頷いた。浮足立つような心地で、デスクへ戻った。
これさえあれば、使い方次第で大方の人間関係なんて、どうとでもなってしまうだろう。
どっかりと座り込んだ満足感の片隅で、鞄の中にいる二人の式神たちを思って、黒くほくそ笑んだ。
 
          *
 
「ただいま」

キュウゥ、と扉の鳴き声を聞いて、彼は靴を脱いだ。アパート故の狭苦しい玄関に散在する靴をそろえる。

「おかえりー」

キッチン、というには心もとない広さのそこで、彼女はまな板の軽やかな音をたてていた。
 
「あ、そこ。扉閉めておいて。洗濯物に匂いがついちゃう」
 
「―うん」

入ってきたドアをゆっくりと閉じ、そこではじめて、料理のいい匂いに気が付いた。

「今日はねぇ、肉じゃがもうすぐできるからねっ」

「美味しそうだ、ありがとう」

土塊に埋まった野菜たちが、やり方次第でこうも美しく食卓に生れ落ちることに、彼は何か、神秘的なものを感じていた。コトコトと音を立てる鍋の中で、頬を上気させた大ぶりな彼らが此方を見上げている。
 
「あ、弁当箱だして、後で洗っておくから」

言われるがままに鞄を開ける。押しに押され、窮屈に散らかったそこは、奇しくも先ほど覗き込んだ鍋のようだった。
が、そこには雲泥の差ほどの違いがあった。
一つ一つ、丁寧に取り出しては慰めてやる。

「・・・・・・なに、それ?」

ふと、後ろから声がかかった。
反射的に振り返る。
その視線が彼ではなく、足元に注がれているのだと気づくのに、彼は僅かな時間を要した。

「あっ、いや、なんでも」

しまった、と慌てて隠そうとしても、それは遅いというものだ。
おおよそ人の意識は、違和感、即ちそこにあらざるべき物に注がれるのだから。

「桐箱?」

それは、確認という皮を被った、追及の言葉であった。
別段悪いことをしたわけでもない、が、彼にとってそれは、浄玻璃の鏡に立たされているかのような、肝を冷やすものであるに違いなかった。

「見せて」
 
「―うん」

しうぅ、と質の良い木が擦れる音がして、カポン、と蓋が外れた。
一目で高級とわかる装いに包まれて、二人の式神はピクリともしなかった。

「紙人形?どうして?」

「実は」

彼はあの、昼下がりに訪れた怪しげな店のことを、こと細やかに話した。
かくかくしかじか、と語る彼の言葉を、彼女もまた真剣に、決して聞き逃すまいとしていた。

「なんだ、そういうことだったのね」

「・・・・・・うん」

「つまり、なんでも思い通り―ってこと?」

「そういうこと、だね」

「そっかぁ」

妙に心を引っ掻く言葉だった。
彼の心には、言いようのない申し訳なさと慘めさの波が押し寄せて、うねり狂って、その雫が彼の口から、ぽつりとこぼれた。

「ごめん」

「別に怒ってないよ」

蔑んで、罵ってくれたほうがマシだ、とさえ思った。
自分がどれだけ汚い人間だったのか、ここに至るまで気づけなかった、そんな自分が嫌で仕方なかったのだ。

「正直に言ってくれたから、むしろ嬉しいよ」

目尻が、滲んだ。頬を伝って、紙人形を雫が叩いても、それは枯れることなく、とめどなく溢れてくる。押し込めきれない罪悪感の露を、ふいに彼女は引っ張った。引き寄せられて、彼女の鎖骨だか、首元に、頬がうずまった。人の腕というには少し頼りなくて、それでも暖かい羽交いに抱かれていた。
 
          *
 
「・・・・・・ごめん」

どれだけそうしていたか、目を真っ赤にして、鼻を啜って、彼はぽつりと言った。そうだ、僕はきっと、この紙人形を道具に、都合のいいことに身を浮かべたかったのだ。他人という、分かり合えない気苦労から解放されてしまいたかったのだ。でも、それは違っていたんだ。

「うん」

「もう、これはいらない、使わない」

ふやけて所々歪んだ彼らに、ゆっくりと蓋をした。こんな力を使ったって、僕はきっと幸せになれない。
 
「そうよー捨ててきなさい」
 
「―うん」
 
「それと、あの店にはもう行かないで」
 
「―分かった」
 
その眼に、光は無かった。
心ここに非ず、という瞳の虚空には、一抹の感情すらも残ってはいない。
操られた思考が、彼を蝕んでいるに過ぎない。
 
彼の背には、あの紙人形がしっかりとくっついていた。
 



あとがき 「空の余白に、君と揺蕩たゆたう」

もともとは式神様ではなく、マイクロチップという発想だった。

けれども、体表に貼り付けてどうにかなるのか?という疑問と、老人とマイクロチップという微妙な違和感から、神秘的かつオカルト的パワーに頼ってみたと言うところ。

こう見えて(読者の皆様方から、私がどう見えているのかなど、知る由もないのだが)案外オカルト系は信じている。

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