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【短編小説】転送

「―以上で、ご説明とさせていただきます。ご不明な点などございました ら、何なりとお申し付けください」

 目の前に浮かび上がるホログラムがそう言って、にこやかに微笑んだ。機械とはいえ、その仕草はもはや人間のそれにしか見えない。

「―えっ、あっ。ごめんなさい。もう一度最初からお願いできます? 私、専門用語に疎くて・・・・・・」

「承知いたしました。では、もう一度説明いたします」

 受付嬢は、嫌な顔一つせず快諾してくれた。人間だったらこうはいかない、とプログラムされた親切心に感謝する。
 そういえば、シッカルトに行こうと思ったのは初めてではなかった、と思い出す。強制移民政策によって離れ離れになった親友のもとへ行けるようになったのは、二年前に終結した紛争以来。またこうして会いに行けるのだと思うと、やはり平和は素晴らしいものなのだ、と改めて認識できる。

「シッカルトまでのご旅行に際してご提供させていただきますのは、身体情報転送による移動方法となります」

「『船』でも行けるのでしょ?」

「勿論です。しかし、化石燃料の枯渇が懸念されている現在、チケットは非常に高価でして・・・・・・」

 比較してみても、その料金は莫大だ。別荘の一軒くらい買えてしまうかもしれない。無理もない。私たち人間は、地球に残された資源を、殆ど使い切ってしまったのだから。

「安全性の点から考えましても、『船』をお勧めすることはできません。我が社も、来年九月をもって『船』の便は全て廃線とさせていただくことになっております」

なるほど、と頷いた。

「『船』よりも、安上がりで簡単ってことね」

「おっしゃる通りでございます」

「でも、身体を転送するなんて」

 最新技術に欠陥はつきものである。そういう意味では、彼女の反応は正しかった。

「正確には、身体の情報、になります」

 プログラムされた人格は、あくまで冷静だった。
 低い起動音と共に浮かび上がるイメージ図。不愉快なほどに、細々しくて丁寧だ。そこには、円筒状のケースの中で、零と一の羅列になってゆく人形の姿が映っている。

「ご利用されるには、まず身体データが必要となります。身体スキャナーをご利用いただきまして、お客様の体を、全てデータ化いたします」

「はぁ」

「その情報を目的地へ転送、再構築することで、移動時間を大幅に短縮できるのです」

「元の身体は? どうなってしまうの?」

 まどろっこしい説明を押しのけて、彼女は尋ねた。

「―法律により、破棄することが義務づけられています」

「破棄―って」

「はい。―同一人物の複数存在は、非常に危険です。自己乖離症状を引き起こす可能性があることから、元の体は破棄、となります」

 ―なるほど。最新技術によく似合う、聞き慣れない言葉だ。どんな方法なのかは知らないが、どう肉体が破棄されるのかなど聞きたくもないし、おおよそそれは人に使う言葉ではない。

「―それって、ものすごく痛いんじゃ」

「いいえ。事前に麻酔投与を行います。痛覚はありません」

時折ノイズが走るすまし顔は、癪に障るような丁寧さでそう言った。

「―あっ、そうだ。荷物は? 届けられないの?」

「その点も問題ありません。身体と同様に、データ化した後転送、再構築いたしております」

「そう・・・・・・」

彼女はしばらく、考え込んでいた。
何を、と言えば確固たる自分の存在、である。いわゆる身体データ、という物で「自分」が再構築できてしまうという事実を前に、人は「自分」が「自分」たり得るあやふやな、しかして確固たる何かを、失ってしまったのだ。
 受け入れがたかった。気味が悪くて仕方なかった。
 しかし、これもまたある種の革命なのかもしれない。
人間という文明が得た、新しい存在の形なのかもしれない。

「―そうね、大人一枚お願いするわ」

「承りました」

 手のひらに埋め込まれたIDチップ決済は、どうにもカネを払った気分になれなくて、彼女は嫌いだった。とはいえ、それもまた進化であり、進歩だということを、彼女は十分に理解していた。

「出発はいつになるの?」

「お客様の準備ができ次第、でございます」

「あぁ、そっか。そうよね」

「はい。『船』ではございませんので」

 そうだったと頷いて、なるほど、私はやはり人間なんだな、と思ってみる。ロボットにはない人間らしさとは、要するにこういうところにあるのだ。

「転送サービスセンターはこちらになります」

 3Dマップデータとかしこまった挨拶を残して、ホログラムの受付嬢は姿を消した。

「変な時代になったものだわ。こんな旅行って」

機械でも、慰め程度の話相手にはなれるらしかった。
誰に言うまでもない。静謐に溶けてしまう独り言にすぎない。耐えきれない冷たい孤独から逃げるように、彼女は電話を取った。

「もしもし、あら、リスタ。―ええ、そうよ。やっとそっちに行けそうなの。―うん。―本当よ、嘘じゃないわ」

 窓越しに眺めた夜景には、幾千もの細やかな光が瞬いている。ふと見上げた宇宙色の空に、星の光は見えない。唯一浮かぶ、みすぼらしい三日月を横目に何度も相槌を打つ。


「――ええ、そうよ。やっと会えるの」

――本当の、私じゃないのかもしれないけれど。
 
シッカルト――月面都市と地球との、短い通話だった。
 
 


あとがき 「それでも世界は美しい」

情報化が進む現代社会の中で、「これから」を想定した世界観。「DNA=生命の遺伝子情報」という新常識が私達の体を作っているのなら、いずれは私達の体ですらも「情報化」できてしまうのではないか。とはいえ、再構築された「私」は、本当の「私」なのだろうか。

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