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留年短編vol.8 空車珈琲

残業。

今週もよく頑張った。

終電の時間も気にならないくらい深い時間。

バッテリー残量の少ないスマホの画面には、
また行方不明者のニュース。最近多い。

まだ仕事が残っている。家に帰ってもうひと頑張りだ。

会社を出てコンビニに寄る。

深夜にこのクオリティのコーヒーが飲めるのは本当にありがたい。

コーヒーを片手に車道に向かい手を挙げてみるが

通り過ぎるのは「賃送」「迎車」「回送」ばかり。

何も考えずに通り過ぎる車を見る。

「迎車」「迎車」「回送」「賃送」「回送」

大きいサイズを買えばよかった。


この時間は「割増」しか来ないだろう。

次来なければ、近くのネットカフェにでも泊まろう。

信号が青になり、また一斉に車が向かってくる。

「予約」

ここにきて初めての「予約」
もう少し待ってみるか。

「回送」「空車」「回送」「回送」

危うく見逃してしまうところだった。
慌てて手を挙げる。

カチカチと光った車はゆっくりと止まった。

ドアが開き、乗り込み、自宅の住所を告げる。

「お客さん。 ふざけないでよ。」

「ふざけてません。疲れてるので早く出してもらえますか?」

「いやーその住所30分も車走らせれば着くじゃないの。」

「では30分走らせて下さい。」

「だ、か、ら、 そんな近くに行くのに"空車" 使わないでくれる?」

「"空車" ?」

「あんたそれ見て手を挙げたんだろう。」

「どういう意味ですか? "空車"と書いてあったから手を挙げたのですが。」

「空車は空車でも、うちのは"ソラクルマ"だよ。ただの空いてるタクシーじゃないよ。」

「はぁ。ソラクルマ?」

「そうだよ。おそらく君はこう言う。"ふざけてるんですか" ってね。 この車は空飛ぶタクシーだよ。」

「空飛ぶ、、タクシー、、、」

「なんだい珍しいリアクションだな。」

「てことは、海外でも行けちゃうんですか?   いやすいません。疲れてて、、、冗談ですよね。すいません。」

「行けるよ。」

「え。本当に。」

「本当に。っていうか君がすんなり受け入れすぎてこっちが困ってるんだけど。まあいいや。そのリアクション、行きたいところがあるんだろう?言ってみな。」

「......イタリア。」

「Italy!! いいね! じゃあ早速行っちゃおう!」

「待ってください!!仮に行けたとしても、運賃はどうなるんですか?」

「僕の本業は小説家でね。"ネタ"を探してるんだよ。」

「答えになってません。高額なら払えません。」

「悪い悪い。要するにこういうことだ。私は君をイタリアに連れて行く。君はソラクルマで最高の旅をする。その旅を私は小説にする。だから運賃は君の最高の旅そのもの。」

「じゃあ、もしつまらない旅をしたら?」

「その時はその時さ。もっと遠いところに連れて行くよ。」

運転手はミラー越しに少し笑って話し続けた。

「私の小説は私の書いたフィクションでなければならない。つまり君の記憶に残るとまずいわけだ。だから、旅が終われば君の旅の記憶はいただく。」

「空飛ぶ車を運転して、記憶も操作できて、小説家。運転手さんは何者なんですか。」

「空飛ぶ車を運転して、記憶も操作できる小説家さ。代表作は、ニューヨーク・ラブ。ロンドン・マジック。上海・ロマンス。」

「タイトルを考える能力はないみたいですね。まぁ、よく分かりました。ちなみにどれくらいで着くのですか?月曜日には戻らないと。仕事なんです。」

「もう着くよ。」

「まだ5分しか。」

「空飛ぶ車を運転できて、記憶を操作できて、時空を操れないとでも?」

「それってほぼ瞬間移動なんじゃ。空飛ぶ車の意味あるんですか。」

「君にはロマンがないねぇ。空飛ぶソラクルマで"空車"なんてウィットに富んでて最高じゃないか!」

「すでに小説の中にいる気分です。」

「イタリアに行ったら何をしたい?」

「まずはバールでエスプレッソを。」

「そういや乗ってくる時もコーヒー飲んでたが、コーヒー好きなのかい?」

「イタリアは、夢でした。イタリアでバリスタになりたくて。でも現実はそう甘くなくて、普通に就活して、就職しました。日々の忙しさにそんなことも忘れていましたが、どこに行きたいか聞かれて咄嗟に"イタリア"と答える自分に驚きました。改めて今でも夢なんだと思います。」

「そうか。私はコーヒーのことは詳しくはないが、飲むのは好きだ。美味そうなところ探してくれよ。さっ着いたぞ。まずはミラノ......」

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ここ数ヶ月似たような夢を見る気がする。

夢だから曖昧なのだが、

夢をまだ見てる自分の夢、のような。

自分の夢を人に話してるような。

誰と話しているのか。
どこで話しているのか。
どこに向かっているのか。

その先はいつも思い出せない。



眠い目を擦り、

出社する前に本屋に立ち寄る。


最近の話題の小説。

"ミラノ・エスプレッソ"

ダサいタイトルが逆に目を惹く。

少し手に取り読んでみると、何故か涙が出てきて、コーヒーが飲みたくなった。

いや、コーヒーを淹れたくなった。


夢で見た昔の自分の夢を思い出した。

もう一度目指してみようか。



そしてなんだか

久しぶりにイタリアに行きたくなった。  



久しぶりに?



イタリア、行ったことあったっけ。




空車珈琲

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