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18歳の時に日本に来て2日目に「ここはあなたを歓迎しません、自分の国に帰れ!」と言われました。

18歳の時に日本に来て2日目に「ここはあなたを歓迎しません、自分の国に帰れ」と言われました。

高校の時に、日本のドラマと日本の文化に興味を持ち、夢中になりました。
日本に勉強しに行きたいという思いが強くありました。

家族を説得するために、頑張って5000字の手紙を書きました。お父さんに日本へ留学する決心を表すためでした。ようやく私が日本留学への強い信念が家族を感動させられ、家族の支持を得て日本へ留学する夢が叶うことができました。

当時は成績があまり良くはなかったので、中国の高校にいてもあまり良い未来を見えてこなかったです。日本が好きなわけであって、留学するという丸木橋を選ぶことになりました。そのおかげで、楽しく日本語を学習する時期を過ごせることができました。

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18歳の私が多くの留学の子と同じように、異国の地に親戚や家族や友達が1人もいなく、未来の生活への期待を抱きながら日本へ渡る飛行機を乗りました。

しかし、思いがけなかったのは日本に来て2日目に学校の先生に暴言を吐かれました。

その時の状況は大体こんな感じです。私と同じ時期に来た留学生たちの日本語レベルがあまり高くありませんでした。まったく日本語ができない人もいました。日本語の基礎が身についた私は皆が困っている時の助けになりました。

日本に来て2日目に、先生が車を運転し、新入生の私たちを連れて生活用品を買いに行く予定でした。集合時間が決まったら、先生が車の中で私たちを待っていました。

私は体系が肥満の男の子と一緒にされました。この男の子は体系が原因で彼に合うベルトがないため、一緒に探すことになりました。イオンに着き、メンズコーナーに探しに行きました。彼と店員さんとの間での通訳や試すことなど時間を費やしました。

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先生との約束時間が近づいてきたので、私が駐車場で待っている先生に状況を報告しました。先生は大丈夫だと言いましたので安心しました。再びイオンに戻り、男の子の手伝いに入りました。いつの間にか、先生がかんかんに怒りながらイオンに来ました。

私にデカい声でよくわからない日本語が叫んできて、その後車に戻っても罵られていました。同行の男の子があまり日本語が分からないため、先生と話しているのが私だけでした。先生から突然言ってきた言葉による攻撃で私が瞬時無言になり、じっと我慢するしかなかったです。

車の中で私は先生にずっとデカい声で聞き苦しい言葉を罵り続けられました。今でも記憶がとても鮮明で大体5分から10分ぐらい罵声が続けた気がします。呆然とした私がひたすら謝っていました。


「ここはあなたを歓迎いたしません、自分の国に帰れ!」


当時の私には数の少ない分かる日本語でした。

先生が激怒している表情と異国での深く深く無力感は一生かけても忘れられないと思います。絶望感に充ち溢れました。





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