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空を見ていた ⑭涙の皮袋

この青年を、なんとか遠ざけなければ・・・
  未来のあるこの人を、巻き込まないようにするにはどうしたらいいのだろう・・・

高速道路を使っても2時間弱はかかる距離を、よく通いつめてくれた。
それなのに、部屋に入れたことがない。
もともと、男性一人だけの場合はたとえ友人であっても決して部屋に入れない習慣を持っていた。
引越しと同時に婚姻届を出したが、その前日まで、決して部屋に入れなかった。
ご両親が荷物の運び出しを手伝ってくださることになっていたため、道案内のために、やっと部屋に入ることを許したのだ。
もし業者に頼んでいたら、結婚当日まで、彼は私の部屋に入ることはなかっただろう。

お互いの休日がめったに合わなかったため、日中の勤務時間が終わる夜遅くや、夜勤明けで仮眠を取ってから、遠い道のりを会いに来てくれた。
わずか何十分か、ファミレスでお茶や食事をするためだけに。
そして、食事が終わるとそのまま、また遠い距離を帰って行く。その繰り返しだった。
会える時間が短い分、会話は濃密さを増した。
次から次へと自分の身に起きたことを、どんな人生を送ってきたかを詳細に話した。
これでもか、これでもかというくらい、事細かに話した。
「こんな最悪の人間とかかわってはダメよ」と、いつも念を押した。
私としては、私がどんな人間かとっぷりと言い聞かせれば、当然離れて行ってくれるもんだと確信していた。
私が逆の立場だったら、話のネタにはなっても、決して私のような人間の人生にはかかわりたくないからだ。
暗すぎる。 重すぎる。 つまんなすぎる。 たちが悪い。 汚らわしい。
私自身、自分といることは、決して楽しいことではなかった。

たった1度だけ、彼に怒られたことがある。
「どうして自分自身のことをそんな風に言うんだ! そんなヤツ、ごめんだ! さよなら!」
電話がガチャンと切れた。

  これでいいんだ・・・  これで、彼の人生から私は消えてなくなる・・・ これでいい・・・

この時のために、これまで誰にも話したことがないことまで、話して聞かせてきたのだ。
年の離れた弟よりも、さらに年下の彼を、私の人生に巻き込むにはあまりにもかわいそうだった。
  若い人には、若い人の人生がある。 その年齢にふさわしい相手がいる。
  これでいいんだ・・・

そのはずだった。 これでおしまいのはずだった。
どうしてだろう・・・ 涙がこみ上げてきた。
彼が心優しい、まっすぐな青年だということがわかっていた。
失っても平気だろうか? 今までだって、与えられては失っての繰り返しの人生で、そのことに慣れていたはずなのに・・・。
  イエスさま・・・ 失うにはあまりにも辛すぎます・・・
次の瞬間、部屋を飛び出していた。
住所は知っていたので、それを手がかりに電車を何本も乗り換えて、道に迷いながら、ようやく彼のアパートにたどり着いた。
その日、熱が出ていた私は、玄関先で倒れてしまった。 そんな長い距離を移動するなんてめったにないことで、私の体には負担が大きかった。
救急車で運ばれて、点滴を打ち、家まで送ってもらった。
倒れたのは1度だけではない。 発作が起き、薬を飲んでも収まらず、心臓の激しい痛みと呼吸困難で救急車で運ばれた。
そんな無様な姿を2度も目にしてしまったら、逃げ出されても仕方のないことだった。
・・・にもかかわらず、そのことがあってから間もなく、結婚を申し込まれたのだ。

2006年 秋

結婚して、引越しの後片付けが一段落したころ、彼から「クリスチャンは教会に行ったほうがいい。」と、近くの教会を探してくれて、私は教会という「家庭」に戻ることができた。
彼からは、「神さまがいなくても、普通に生きていける」と、クリスチャンになることは考えていないと言われていた。
でも、その彼が、日曜日にお休みが取れると、「今日は体の具合はどう? 少し動けるようなら、教会に行こう」と、ぐずぐずしている私を誘ってくれる。
なんとも不思議な現象(?)は、その後、思いがけない変化をもたらすことになった。

神さまは、『涙の皮袋』(新共同訳 詩篇56:9 口語訳 詩篇56:8)を、決してお忘れではなかったのだ。