見出し画像

【 Tinymemory 3 】

彼女と過ごしたいくつもの季節は
不思議な静寂で包まれている
彼女には言葉がない
”深い悲しみ”によって
彼女は声を失くしていた
その理由を知ったのは
随分あとのことだった


彼女と暮らし始めて
しばらくしてから
住所変更の手続きをした
本籍移動のため取り寄せた戸籍抄本
そこには「協議離婚」の文字があった
僕は不信に思った
彼女の首から下の全身の痣
内臓全機能低下
失声
いつも抱きしめている
小さな女の子の写真
本当に「協議」の上だったのか?
あの 今にも崩れそうなアパートには
ゆり椅子と母子手帳と聖書
最低限の身の回りの物さえ
彼女は持ち合わせていなかった
母子手帳には
女の子の名前だけが記されていた
一人娘のようだ
彼女に何が起きたのか
彼女は言葉もなく
文字さえ書くのをまるで拒絶しているように
筆記用具に触ろうとはしなかった

ある日 何気なくつけたTV
男が女にひどい暴力をふるっている
彼女は悲鳴をあげた
僕は慌ててTVを消した
そして僕は悟ったんだ

彼女が夫に暴力をふるわれていたこと
いつも抱きしめるように手放さない
小さな女の子の写真
彼女はこどもを置いて
逃げ出す人ではない
こどもと引き離されたと
僕は直感で悟った
時々 夜中にうなされるのは
それらの悪夢のせいなのだろう

今でも僕達はきょうだいのように過ごしている
うさぎのぬいぐるみと
小さな女の子の写真を胸に抱いて
胎児のように丸くなって眠る
彼女が眠りについたら
僕は隣の部屋のソファーで眠る
時々 彼女はうなされる
慌てて彼女のそばに行き
その長い髪をそっとなでる
何かにおびえているように
震えていた彼女が
僕の手に気づくと
安心したように瞳を和らげ
そして眠りに入っていく
うさぎのぬいぐるみと
小さな女の子の写真を胸に抱いて
小さく小さく丸くなって

彼女がいつか
自分からすべての思いを話すときまで
僕はこのまま兄のような気持ちで
彼女とともに生きよう
彼女の悲しみが癒えるまで
そしてそこから
僕達は始まるのだろう

君の好きなポプラ並木に
雪が舞っている
僕のコートの袖のすそをそっとつかんで
影のように
消え入りそうに
君がゆっくりゆっくり歩く

川のほとりに
小さな雪だるまがあった
君がそっと近づいて
雪だるまにキスをした
君の瞳が輝き
君の瞳が翳る
今にも泣き出しそうな顔で
遠くを見つめて
その手にいつも包むように
持っている
小さな女の子の写真をなでる
はっと思い出したように
おびえた顔で僕を見上げ
ふっと安心したように
その瞳にぬくもりが戻る

僕は泣きそうになった
雪だるまにキスをしている
君の愛する子の写真と
君が重なって...

君が僕のもとに戻って
コートの袖のすそをそっとつかんで
ゆっくりゆっくり歩き出す
影のように消え入りそうな君が
ふと立ち止まり
雪だるまに振り返って
小さく手を振った




#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門   #詩物語

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: