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空を見ていた ⑬くすぶった灯心を消すことなく

暗闇から脱出後、約3ヶ月で生活に必要なものはすべて得ることができた。
トイレットペーパーやスポンジなどが買えるたびに、ひとつひとつ感謝した。

・・・神さま、これを買うお金を備えてくださってありがとうございます・・・
・・・病院代を備えてくださってありがとうございます・・・
・・・今日も一日お守りくださって、安心して眠りにつけますことを感謝します・・・

知らない街で、ひっそり野垂れ死にしていてもおかしくない状況の中で、”神の人”を備えてくださって生かされた命だ。
再婚した夫に守られて生活している現在も、感謝の祈りは日々絶えることがない。

やっとネットをつなげることができ、メールが届いているのに気がついた。
何ヶ月も前に送信されてきた、クリスチャンの親友からのものだった。
そこには、裁きの言葉が連なっていた。
あいまいに言葉を濁して失踪したので、どう裁かれても仕方のないことだった。
ましてや、クリスチャンであり、神学生の私が道をはずれてしまったのだ。
その後、彼女に会いに行ったが、顔を合わすことさえ断られた。 クリスチャンになったころに知り合った先輩クリスチャンたちからも現在でも交流を絶たれている。
優しいばかりが愛ではないのだ。

私にはしなければならないことがあった。
詐欺師が行方をくらます前、私の知り合いの教会で自殺未遂騒動を起こしていた。
恥を忍んでその教会に行き、主任牧師と副牧師にお詫びを申し上げた。
どんなに恥ずかしいことだって、自分が生きているうちに「ごめんなさい」と言わなければ・・・。
死んでからでは遅すぎる。

その教会には、祈りの友で「お母さん」と親しく呼ばせていただいている人がいる。
若いころ事情によりお子さんと離れ離れになり、20年目にそのお子さんの方からお母さんに会いに来てくれたという人だ。
彼女にすべてを告白した。 ものすごい叱責を受けた。 自分が何をしでかしてしまったのか、あらためて直視しなければならなかった。
それは、耐え難いことだった。 できれば目をそむけたままでいたかった。
激しい叱責を放ちながら、お母さんは泣いていた。 私たちは手を取り合って泣いた。

優しいばかりが愛ではないのだ。
ベルトコンベアーに乗せて、イエスさまの十字架の前に自分の不都合をどんどん山積みにすればいいというものではない。
イエスさまは何でも背負ってくださる。 でも、背負わせてしまうからには、その前に、その不都合をちゃんと直視しなければならない。
どんなに辛くても、悲しくても、自分のしでかしてしまった不都合に目をそむけず、きちんと直視しなければ。その上で、イエスさまに「背負ってください」とお願いしなければ。
神さまが「お母さん」を備えてくださったおかげで、そのことを知ることができた。

その日は、その教会のゴスペルグループの練習日に当たっていた。誘われて参加した。
練習の終わりが近づいた時、「お祈りが必要な人は前に出てください」と招きの言葉があった。
私は立ち上がった。 そして、前に出て泣き崩れてしまった。 お母さん以外は誰も事情を知らない。
・・・にもかかわらず、その場にいた人たちが次々と私に近づき、肩に手を置き、または手を握り、抱きしめて祈ってくださった。
次々捧げられる祈りの中で、私は赦しと癒しをいただいた。

何週間かのち、大きなダンボールが届いた。送り主はお母さんだった。
玄関をふさいでしまうほど大きなダンボールには、ぎっしり生活必需品や食料、衣料品などが入っていた。
『教会の女性たちからのプレゼントです』と、短いメッセージが添えられていた。
私はその教会の会員ではない。 それなのに、私のために、見ず知らずの多くの方が手を差し伸べてくださったのだ。
涙が溢れた。 どう感謝していいのかわからなかった。
  生きなければ・・・ 生かされてある命なのだから 生きなければ・・・ しっかり生きなければ・・・
そう思った。
その後も、ある人はオーブンレンジを送ってくださり、ある人は疲労しやすい私にクエン酸を送ってくださり、ある人はたくさんCDを送ってくださり、直接会いに来てくださった人もいる。
  私が何者だから、こんなによくしてくださるのだろう・・・
不思議でならなかった。

2005年の激動の生活によるストレスで、左耳が難聴になった。
聴力は残っているものの、体調や天候によって、現在でも激しいめまいや耳鳴りに襲われることがある。
のちには緑内障と甲状腺腫瘍を与えられた。
私にとって、それは『肉のとげ』(Ⅱコリント12:7)だ。 決して二度と同じ過ちを起こさないように。同じ罪を繰り返さないように。
それらの『肉のとげ』を感謝して受け取っている。

古くからの友人が、私を探し出してアパートに訪ねて来てくれた。
友人の知り合いも一緒に来た。
その知り合いが、のちに私の右側で私を守ってくれることになる夫になる人だった。