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【 Tinymemory 終章 】

小雨降る中
ポプラ並木を歩いていた
紅葉し始めた葉が
はらはらとこぼれ落ちてきた
雨を受け止める水面に
葉がゆっくりと流れていく
まるで僕の時の流れのように...

僕はこの街に帰って来た
君と過ごしたこの街に
そして
あいつと共に生きたこの街に...

人生の半ばに差し掛かって
ある程度の社会的地位を得たけど
僕は
あの静寂の数年を忘れたことはなかった

わが子を失った深い悲しみの果て
話すことが出来なくなった君が
沈黙を守ったまま天に帰り
そしてあいつも
君と僕のためだけに作った
たった1冊の夕暮れ時の写真集を遺して
永遠に時を止めてしまった

この街に戻ってから
僕は小さな喫茶店を開いた

「Tiny Memory」

あいつが君によく持って来てくれた
夕暮れ時の写真
その写真集と同じ名前だ
あいつが遺していった写真を
壁一面に飾っている

老夫婦が よく来てくれる
妻の為に椅子を引き
心地よく座らせる
妻を席に着かせると
夫は杖を壁に立てかけ
ゆっくりと腰掛ける
僕に目を合わせ そっと頷く
いつものブルーマウンテンNO.1
僕は心を込めて入れる

やわらかな木目の店内に飾っている
あいつの夕暮れの写真に
妻が一枚一枚見入っている
夫はその妻を
慈しみを込めた目で
優しげに見守っている

今では珍しくなったレコード盤
以前リクエストを受けて
「禁じられた遊び」を取り寄せて
老夫婦の為にレコードに針を落とす

夫が妻の手にそっと触れて
妻は夫に微笑み返す
この老夫婦は
どんな人生を歩んできたのだろう...
長いその年月に
様々なことがあったはず
戦争体験で失ったものもあるだろう
そこから立ち上がって
次の世代の為に
懸命に生き抜いてきたのだろう
それは 想像を絶することだ
なのに...
なんて穏やかに時を重ねてきたのだろう

老夫婦がかもし出す
その穏やかな雰囲気に
僕は時々涙する
気づかれないように背中を向けて
グラスを拭いて

もし君が生きていたら
僕達もこの老夫婦のようになりたかった

老夫婦がいない時
僕は店内に
「いつくしみ深き」を流している
そして君を想っている
静寂の年月が
ひとりで生きる僕を支えてくれる

老夫婦が帰っていく
夫は妻の背中に手を回し
妻は夫に寄り添い
穏やかな微笑みを僕に向けて

僕も微笑み返し
ドアを開け見送る

こうして僕は
またひとりで
ゆっくりと時を重ねていく
今日も 明日も...



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