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【 Tinymemory 7 】

毎年秋になると
彼女はあることをしていた

ホットケーキを焼き
間にフルーツを挟んで
クリームを塗り
蝋燭を5本立てた
翌年も 翌年も
蝋燭の数は同じだった

その日には
朝からぬいぐるみと
小さな女の子の写真を抱きしめ
ゆり椅子に座り
時計を見つめていた

いつもは
出勤する僕の姿が見えなくなるまで
雨の日も 風の日も
外に出て見送って
帰りは駅まで迎えに来てくれて
夕暮れ時のポプラ並木を歩くのに
その日だけは
彼女は決して
ゆり椅子から動こうとはしなかった

ある年のことだった
ちょうどその日は僕の休日だった
彼女は食事も摂らずに
ゆり椅子に座っていた
ひたすら時計を見つめて...
そして昼下がり
彼女は動き出し
ホットケーキを焼いた
決して増えることのない
蝋燭を立てて

僕はようやく気がついた
ああ...
彼女のこどもの誕生日だったんだ...
昼下がりのあの時間に
生まれたのだろう
彼女は5歳までしか
わが子を知らないのだろう...

同僚だった僕と再会する前から
彼女はきっと一人で
毎年こうして誕生日を祝っていたのだろう
こどもと引き離された深い悲しみで
声を失って
決して見ることの出来ない
こどもの成長を想って...

翌年の秋
その日も彼女は
夕焼けが差し込む窓辺で
ゆり椅子に座り
うさぎのぬいぐるみと
小さな女の子の写真を抱いて
声なき声で
何かを口ずさんでいた
そこは聖域だった

僕はそっと彼女のそばに行き
小さな箱を手渡した
ゆっくりと僕を見上げ
ゆっくりと箱に目を移す

僕は箱を開け
彼女の手を取り
そのささやかな物を
そっと載せた

それは 小さなオルゴールだった

彼女がじっとそれを見つめた
彼女の瞳が一瞬輝き
その瞳を僕に向け
やわらかな微笑をたたえて
一粒の涙をこぼした

小さな手でオルゴールを包み
ホットケーキを見つめ
声なき声で口ずさみ始めた

賛美歌 ”いつくしみ深き”

夕暮れ時の彼女の聖域に
僕は初めて触れた気がした


#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #詩物語

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