第55号 仲間


「あい、チネンじゃないか何でか?」

「何でかって、久しぶりに会ったのに失礼だな」

「あはは、ごめんごめん、でも何でか?」

「ワクガワに呼ばれたからよ、みっちゃんは何でか?」

「俺はここのトップ営業マンよ、1人しかいないけど」

「みっちゃんが営業マン?似合わんな、あのサッカー小僧が営業できるの?」

「足には自信があるからね、営業は歩いてナンボだよ」

「おぉ、名言だね、でも俺は歩かんでも売り上げる方がいいな、あはは」

相変わらずお調子者のチネンである。
チネンは、ワクガワと同じく高校の時の同じ機械科で同級生だった。

高校の時から遊びまわっていたチネンが営業できるのか、正直心配していたが、確かに口がうまいので、その月から契約をあげたのでびっくりしたのだった。

同級生3人で会社も盛り上がり、飲みに行っても盛り上がっていた。

「皆さん、はじめまして、今日からお世話になります。よろしくお願いします。」

また新しいメンバーが加わった。
年は一つ下だったが、変わったヤツだった。

阪神大震災を経験し、死にそうな経験しながろ生き残って、その後オーストラリアに片道切符で渡ったのである。

英語も全く分からないまま行ったので、とりあえず日本食のレストランへ行き、直談判でアルバイトとして雇ってもらったのである。

その後、現地の人と仲良くなり日常的な会話から覚えて、一年後に英語がペラペラになったらしい。

彼曰く、日本で教えている英語は通用しないのだそうだ。日本で教えている英語は日本の古事記に出てくるような古臭い言葉で、若者には通用しないらしい。

それよりも、現地で流行っている言葉を覚えた方が即戦力として話せるのである。
もちろん、ビジネス的な会話は無理としても、そこら辺にいる浮浪者とも会話できる生の英語らしい。

例えば、「トイレに行ってくる」というのを英語に訳するとかなり難しいかもしれないが、現地でそんな英語は死語である。

仲間どうしでそんな丁寧な言葉を使うとかえって警戒されてしまうのだ。

「コールミーネイチャー」

自然が呼んでいる。
これで、理解するのだそうだ。
そんなこと日本では教えてくれない。

日本でも

「わたくし、トイレへ行ってまいります」

という丁寧な言葉でトイレにいく友達がいたら

「なに気取ってんだよ」

と言われてしまうだろう。
僕の時代で流行っていたのは
飲み屋でトイレに行きたくなると

「ちょっと税金払ってくる」

という言葉で、トイレだと分かったものである。

そんな感じで、現地で生の英語を覚えて帰ってきたのだった。
そんな時に社長と知り合い、スカウトされて入ってきたのである。

そんな仲間ができて、会社も活気ついてきた。
2人でファーストフード店でミーティングをしていた時と違い、毎日自分たちの会社でミーティングをして、それぞれが営業に出かける。

夕方に帰ってきて、それぞれの報告をしながらおしゃべりをするのは最高の楽しみだった。

「この前のアポのクロージングですが、やる事は決まったのですが、台風が怖いから台風が終わってからとの事です」

「台風?台風は来てないけど、終わってからってどういう意味?」

「いや、だから夏は台風が怖いから、台風の時期が終わってからってことです」

「今8月だよ、10月後までやらないってこと?」

「はい」

「はいじゃなくて、それを何とか説得してすぐに着工に持っていかないと、その話はなくなるよ、台風に瓦が飛ばされる前に仕事が飛ばされるけどいいの?」

友達の社長はとにかくイケイケでとってこいみたいな言い方をしていたので

「いや、でも無理矢理に勧めることもできないのでしょうがないかなと思うんですけど」

「あのさ、しょうがないっていうのは言い訳だわけよ、どうやったらできるかを常に考えないと、普通はそうだからって納得してたら普通ってことよね、普通がいいんだったら、普通の仕事に戻った方がいいんじょない?」

みんなの前で突っ込まれてかなりムカついたが、確かに言っていることは正しいと思ったので黙っていた。
ミーティングのあと

「行ってきまーす」

他の人とおしゃべりする気にもなれなかったのですぐに出かけた。

そこのご主人ともう一度話をしてみて気づいたことがあった。
その人は、せっかく瓦に防水をしても台風で台無しになって、その後水漏れするのが心配だったのである。

「あー、なるほど、うちは防水工事をして5年間は保証があるので、工事の後で雨漏りをしたら無料で手直しをするので心配ないですよ」

「えっ?本当にお金を払わなくてもいいのか?」

「はい保証期間はビタ一文字いただきません。
完全に雨漏りが無くなるまで何度でも無料で工事しますよ」

それを聞いて安心したご主人は、会社の都合でできる時に工事を進めていいということになったのだった。
あの時諦めていたら、早くても10月以降、下手したらキャンセルになっていたかもしれない。
それを知っていたので、社長はキツく言ったのだった。

「はーい、今月もお疲れ様でした」

従業員が増えたので、末締めの翌月10日払いの給料日ができたのだった。
だから毎月10日は、一番売り上げを上げた人の行きたい店に行って打ち上げをしていた。

「みっちゃん、台風おやじが決まって良かったね、おめでとう」

それが決まったおかげで、その月のトップはみつおだったのである。

「みっちゃん凄いなぁ、見直したやっさ、よっしゃーみっちゃんに追いつけ追い越せ」

チネンはテンションを高くして自分のやる気をもりあげようようとしていた。

3人いると3人の個性と特徴が現れた。

みつおは取れる時はいくらでも取れるが、取れない時はまったく取れなかった。
つまり、100万円貰えるときもあれば、0円の時もあるのである。

しかし、チネンは子供もいたのでそんなギャンブル的な営業ではやっていけないので、トップになる事は少ないが、その代わり平均して50万円を稼いでいたのだった。

そして、年末が近づいた頃、凄いニューメンバーがやってきた。

その人は営業ではなく、クロージング担当としてきたのだった。
その人が来てから新しい風が吹いたのだった。

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